受け取る器。 | まつむらまこのブログ

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今日夕方、義実家に行った。


畑の野菜を取りに行くと、ひぐらしの声が



うちの近所ではひぐらしの声は聞かない。



市内でも、田舎の方はセミの声のバリエーションが豊かだと感じた。



息子がインゲンを採っている。


「沢山なっている」と、嬉しそう。


ピーマンも沢山収穫。


カボチャは、お盆に親戚が集まった時ようにいただく。



お煮しめは、私の仕事だから、早起きして炊かなきゃ。




今夜は少し涼しい。立秋を過ぎたからかしら?




豊かさとは、受け取り力だと思う。



今この瞬間から、こんなにも与えられている。



不足を見出す努力を止めるだけ。



今日のセミの声は今日しか聞けないし、


ひぐらしは、田舎に行かないと聴こえない。


野菜を収穫する息子の手を愛おしく見つめることも、今与えられた喜びだ。



今日も、義両親は健やかで、あーだこーだ愚痴を言ったり、笑、チビ達の成長に目を細める。



目の前には「ある」ものしかない。


視覚で捉えられない世界からも沢山受け取れる。






私は何を見ているんだろう?



今この瞬間に不足を見ていないだろうか?



ありもしない幻に翻弄されていないだろうか?



誰かの正解を採用していないだろうか?


自分の視点を、自覚しよう。


その為にノートを開く。



自分と対話する為に。



好みの世界で生きる為に。



与えられた豊かさを取りこぼさない為に。