畑の野菜を取りに行くと、ひぐらしの声が
うちの近所ではひぐらしの声は聞かない。
市内でも、田舎の方はセミの声のバリエーションが豊かだと感じた。
息子がインゲンを採っている。
「沢山なっている」と、嬉しそう。
ピーマンも沢山収穫。
カボチャは、お盆に親戚が集まった時ようにいただく。
お煮しめは、私の仕事だから、早起きして炊かなきゃ。
豊かさとは、受け取り力だと思う。
今この瞬間から、こんなにも与えられている。
不足を見出す努力を止めるだけ。
今日のセミの声は今日しか聞けないし、
ひぐらしは、田舎に行かないと聴こえない。
野菜を収穫する息子の手を愛おしく見つめることも、今与えられた喜びだ。
今日も、義両親は健やかで、あーだこーだ愚痴を言ったり、笑、チビ達の成長に目を細める。
目の前には「ある」ものしかない。
視覚で捉えられない世界からも沢山受け取れる。
私は何を見ているんだろう?
今この瞬間に不足を見ていないだろうか?
ありもしない幻に翻弄されていないだろうか?
誰かの正解を採用していないだろうか?
自分の視点を、自覚しよう。
その為にノートを開く。
自分と対話する為に。
与えられた豊かさを取りこぼさない為に。