貞彦303話  『小児病棟』

 

 

小児科病棟の前で、
こんな姿をぷう助に
見せると心配させて
しまうから、行けな
かったことにして
帰ったほうがいいの
かなという考えが
頭をよぎり躊躇して
いると、

「大丈夫ですか?
 お母さん疲れてません?」

と病棟の看護師さんに
声をかけられる。

とっさに「大丈夫です」
と返し、先に病棟へ
入って行く看護師さんを
見てから、私もぷう助の
元へ行く事にした。

病棟に入ってすぐ目の前に
あるのは、長く入院している
子供たちが一緒にご飯を
食べたり、折り紙などが
できるスペースで、
髪の毛が抗がん剤で
抜けてしまったであろう
可愛い帽子をかぶった
女の子が何人かいて、
おしゃべりをしている。

それを見たら、元気を装う
必要もなくまがった背筋が伸びた。

ぷう助の部屋へ行く途中の
廊下でも、頭がはっきり
してきて、昨日この場所で
見てしまった光景を思い
出す。

夜勤へ向かう途中、
病室から出てきた
お母さんがいて、
声をださないよう
ハンカチで口を押さえ
ながら廊下で泣いている
のを見てしまった。

近くにいた看護師さんが
気が付いてすぐ寄り添って
いたけど、そのお母さんが

「あんな頑張っているのに
 報われないで、こんなに
 苦しんでいる姿は見て
 いられない」

と次第に泣き崩れてしまい
他の看護師さんもかけつけて、
そのお母さんを支えながら
別室へ連れて行くのを、
私は半分目を伏せながら
見送り同じ廊下を通る。

闘病記録の本やブログ
などは、涙しながら
読むけれど、それを
目の前で見てしまった時、
受け止めきれなかった。

あのお母さんの立場を
想像してしまったら、
辛すぎて何もできなく
なってしまう。

私はあのお母さんと違い
酸素と点滴で回復している
我が子を、ほぼ確実に
自宅へ連れて帰る
ことができる。

そう思うと私の
「しんどい」
なんてとんでもなく
ちっぽけな話。

長く入院している子供や
そのお母さんたちは、
いっぱい悪い事を乗り
越えて頑張っている
のだと思うと、私の方が
もっと頑張らなくてはと
思わせてもらう。

そして、ぷう助に
「おはよう」というと
「来るのおそーい!」
と元気そうに不満をいう
我が子に会える事も、
涙がでそうになるくらい
感謝した。

ぷう助は順調に良くなって
いるようで、あと数日したら
酸素を外してすごしてみる
という。

午後からはパートだから
少しの間、ぷう助から
私がいない時の出来事を
聴く。

日中は、保育士さんが
よく来てくれて好きな
玩具を持ってきてくれたり、
ボランティアの人が
楽器演奏やぬいぐるみで
劇をみせてくれた
りもするらしい。

それを聞いて、私にも
手品とか子供が喜ぶ
何かができたらいいのに
と思う。

だけど、いくら自分の特技を
探しても、子供が喜び
そうな芸がなにもでてこない。

そうなると、寄付という
形でお金を稼ぐことが1番
身近で出来ることだけど、
今の生活ではそれも
できなくて、やっと1つ
思いついたのは、いずれ
離婚する時に、無いもの
として考えている財産分与が
もし少しでも入ったら、
この小児科病棟に寄付できる
かもしれないと思った。

私は引っ越しの時も、
感謝の気持ちをお返しする
ことができなかったから、
今度こそ、何らかの形で
ちゃんと返そうと心に決める。

そして、たまった洗濯も
しなくてはいけないから、
保育士さんにぷう助を
お願いして1度家に帰る
事にした。

帰りの電車でほっとして
イスに座ると、そのまま意識
がなくなってしまい、気が付いたら
下車する駅よりもずっと
先にいっていて、1時間以上も
電車で眠る。

 

だけど、落ち込みながら帰りの

電車でも深く眠り駅に着くころには
頭がすっきりしていた。
 

 

☆まだスマホがなく携帯電話が主流の時の

お話です。

現在は離婚して平穏に暮らしています。

 

☆個人の特定につながらないよう

一部の表現をかえています。

 

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最後の最後までお読み頂き

ありがとうございます。

明日も諦めないで

希望を信じる1日に

なりますように。