芸術、というか、「生きること」自体がそうかもしれない。

だから、みんなひとりひとりが “アーティスト” なのかもしれないな、と思う日曜の朝。

以前、Facebookに投稿した内容をブログにも投稿します。

 

 

  【歌は、心】と感じた芸能奉納

 

・・・いや、芸術は全てそうなのかもしれない。

これは、シェア元(※1)に書いたお祭りの芸能奉納で感じたこと。

(※1)2023年6月3日に行なわれた、多摩川浅間神社例大祭の宵宮祭で行なわれた芸能奉納のこと

 

技術や素質も大切な要素だと思っています。

技術を磨き続けることも。

 

ただ、

そこに【心】が伴っていますか?

と思うことは、あります。

(愛はあるのか?みたいなw)

 

そう感じることは、あります。

これはメジャー、インディーズを問わず。

 

もちろん、どの世界にも通じることだけれど。

 

 

  本音は、どちら?

 

【心】といっても、

 

\みんなで楽しく!! ウェーーーーイ♪/

 

と思っているのと、

 

\自分が盛り上がれればいいのさ、ウェーーーーーイ♪/

 

と内心は思っている、のとでは、

 

色んなことが恐らく違ってくるんだろうと(推測です)。

 

 

前者は「自分も他者も」という視点であるのに対し、後者は「自分だけ」という視点。

 

表向きは「みんなで~」と言いつつ、自分だけが有利になるように仕組んだりして。

結局、自己満足ですよね。それって。

 

ちょっと違うようでいて、書いてみると全然違うし!!

 

・・・という、ちょっとした気づきもあったりして。

 

 

 

  なぜか、惹きつけられる人の秘密って...

 

いると思うんです。

 

決してうまくはないし、声も決していいわけじゃない。

でも、なぜか惹きつけられる、という歌手。

 

それはもしかしたら「みんなに楽しんでもらおう」とか

そう思う【心】の部分じゃないかなって。

 

【心】が伴うというのは、その人の【素】の部分。

【素】を隠して上辺の技術、素質だけで、果たして人の心を動かすことができるのだろうか?という疑問を感じたんですね。

 

おそらくきっと、なぜか惹きつけられる人って【素のまま】なところがあるのではないか?と

だから、人の心を動かすことができるのではないか?と。

 

シビアな話だけれど、いくら技術が高くても、惹きつけることができなかったら相手の心に届くことがない。

それが、歌であれば「歌は上手いんだけどねぇ~、売れないよねぇ~」ということなのかも。

 

昔は、歌が上手ければそれでよかったのかもしれない。

今は、色んな制作方法がある分、「かっこつけ」よりも

「心があるのか」

と【目には見えない部分】にフォーカスしているしているからかな、って思うけれど、どうでしょう。

 

 

心を込めて歌うことはできても、歌うときにその人の【素】を隠したままで、伝わるのでしょうか。

演者である意識は必要としても、演者の仮面をかぶる必要はないですし、かぶったところで

 

本心、けっこう、ダダ漏れ

 

しているし、それに気づいている人も、昔に比べたら居る。絶対、居る。

 

本心を「本音」に言い換えたら、さらにわかりやすいかもなー。

 

 

そう考えていくと、なぜか惹きつけられる人って、

 

・素直

・等身大

 

だったりしません?

 

素のままであることが、その人の「らしさ」に触れられる=惹きつけられる、になるといっても

過言ではなさそう。

 

 

「素」を作ったら、意味ないですけどね。

「素」は作るモノじゃない、自分からにじみ出てくるモノなのだから。

そして、それが【オリジナリティ】でもある・・・私はそう思います。

 

 

だからといって、「素」の自分をそのままぶつけてくるのはお門違い。

 

「素」の自分を、相手にどのように伝えるか

それをわかりやすくするために、多少のメイクはあるでしょう。

 

言葉や行動のチョイス、言い方のトーン、表情・・・

色んなところに自分の「素」な想いがあふれてくるから、

それを素直に出している人に、惹きつけられるのではないでしょうか。

 

カッコつけるよりも、「素」を出す方が何倍も勇気がいることですしね。

 

 

 

  いいところ、それは「自分に都合のいい」ところ、かも?

 

それは、自分自身が「技術」優先型だから(歌ってないけど)。

技術を高めることが最優先だと思っているから。

 

推測ではあるけれど、何事においても【心=素の部分】があって、

それを隠しながら「いいところだけ」を見せる時代は終わったんじゃないかな。

 

しかも「いいところだけ」というのが、実は

 

【(自分にとって都合の)いいところだけ】

 

だということにも、気づいている人は気づいている。気づき始めている。

 

そこに私自身も気づいたから、【歌は、心】にこれだけ引っかかったんだろうと。

でなきゃ、スルーするよね。きっと。

 

 

 

  上っ面だけだ、というのがバレバレな時代に

 

「歌は、心」と書いたけれど、これはきっと、どのことにも当てはまるものだ、と

私は思います。

 

今回の芸能奉納のことだけじゃなく、最近であった本やYouTubeでも同じことを見るんですよ。

「トレンドか?」と思うくらいに。

 

某CMの「そこに "愛" は、あるんか?」というフレーズ、これかなり前から使われていますが、

まさにそれなんですよ。

愛、じゃなくて、心でいいんですけどね。

(社名とかけているだろうから)

 

 

技術を磨くことは大事。

自分の持っている素質を使うことも大事。

 

それ以上に【心】を伴っていけるようにするには、

自分と向き合うことも大事なんだろうな。

 

そんな風に思うのです。

 

 

それは決して難しいことではなくて、難しくしてしまっているのは、

自分自身なんだろうと気づくことが大事。

 

みなさんは、どう思いますか?

 

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「歌は、心」と感じた芸能奉納、というか、そのお祭りについては、

6月23日の「カラ☆ラジ」でご紹介します。

 

ここで、伏線回収?! 

(と、いうほどでもない)

 

 

上辺だけ取り繕っても、人間関係は上手くいかないよね、ということと

繋がっている話だから、そんなに珍しい話じゃあないんだけどね。

 

改めて、言葉にしてみました。