家の中でじっとしていると、時にダークな自分と向き合うこともあります。
自分の中で、人との繋がりの選別をしているし、おそらく私も誰かからされているのが明らかにわかります。
それがもうひとつの【選別】。
このような状態になって・・・
人と思うように会えなくなって、会いたいなと思う人もいれば、もうこれっきりでという人も出てきます。
基本的に、私自身は「人が好き」なので、自分から嫌いになることはほとんどないです。
あるとしたら、何かをされた(勘違いや誤解を含めて)、言われたことが【許せない】レベルに達したから。
怒りのレベルがそれぞれであるように、嫌いになるレベルもそれぞれなのですが、私の場合は
嫌い=二度と顔見せるな
・・・書いてみると、激しい性格してるなぁ。
そこに至るまでには、何度か【仏の顔】が顔を出しているんですよ。
でも、ダメったら仕方が無いわ。
人と頻繁に対面しない時間の中で(在宅でできるし)、コロナ禍が終息したら会いたい人と、そうじゃない人が、今まで以上にハッキリくっきりしてきました。
連絡を取っていない=会いたくない、ではなくて、
会いたくない=二度と顔を見たくない、なんだなと。
コロナに関係なく、これまでも突然態度を変えられたり、ないがしろにされたり、連絡を切られたり、ということがあったわけですけど、これまでは「自分に非があったからじゃないか」と、反省を超えて自分を責めていました。
反省はしますけどね。これからも。
もしかしたら、こちらに悪気がなくてもいらんことを言ってしまっているかもしれないし、そんなつもりではなくても誤解されること、曲解されることはあるしね。
でも。
歩み寄りもせずに突然態度変えたり、他の人と対応を変える(こちらにだけ塩対応)、連絡を絶つってことは、
あなたの人生には私は不要なので、私にもあなたは不要です。
ということで良し、と思って。
相手との関わりによっては、釈然としないこともありますよ。
でも、仕方が無いですよね。
塩には塩を。いずれはそれすらも無きものに。
でないと、自分の氣持ちが削がれてしまう。
ここまで動きを止めていなければ、そこまで向き合えなかっただろうしね。
できれば出会った人たちとは仲良くしていきたいし、嫌われるよりは好かれたいのが本音だもの。
自分を責めることで相手を許したつもりになっても、そこで残った「よどみ」はずっと残る。
人って自由を奪われたときに、本性が出るよなって思います。
私も、もちろんそうです。
自分を不快にさせる人とは関わりたくない、とハッキリ【選別】しているんですから。