子どもの頃から、そして20代をピークに根深く存在していたこと。

結婚してからは、そこまで考え込むことは減ったものの、時々ふっと影が差す存在。

 

 

誰かと比べて「ブス」と言われること

 

 

顔の造作自体、そこまで気にしているわけでも、気にしていたわけでもない。

それを他人からとやかく言われることが、たまらなく許せないのだ。

しかも、比べられて。

 

 

言う側、おまえ何様だ(怒)。

 

 

これをずーーーーーーっと思いながら、言いたいことをずーーーーーっと呑み込んでいたんだなと。

 

 

大人になれば、自分の顔は自分で責任が持てる。

メイクだってあるし、エステだってあるし、ぶっちゃけ、整形するという選択肢もある。しないけど。

未来の自分にワクワクしていたんだ。

 

 

それがある日、プロ野球のキャンプに行って選手から通りすがりに「ブスが来んなよ」と言われ、そのあとそいつと一緒にいた2人の選手も大笑いしていたのを目の当たりにして以降、自分の中で何かを諦めてしまったみたい。 ←もう自分の中では、時効の話。25年以上前だし。

 

 

当時は化粧品フリークで、コスメ雑誌もよく読んでいたり、肌だけは褒められることが多くて。

なのに、仕事のストレスで体重は増えるわ、肌も荒れるわ。

(これも抑圧していたものが関係しているって、今回わかった)

 

肌はやっと良くなってきたところに、これかよ。

 

 

それから、もう何をしてもどうせ太るし、化粧したってブスなのは変わらないし・・・と卑屈になっていく自分を

 

一生懸命、自分がフォローしていたんです。健気だなぁ・・・

 

 

人を嫌いになって閉じこもらなかっただけ、よかったんだろう。

もし閉じこもりたくなるぐらいだったら、カウンセリングを職業としている人に相談したり、場合によってはスピリチュアルな方法もありかもしれない。

 

結局、なんだかんだと人を嫌うこともできず、悶々とした日々。

見た目のことを言われても、へらっと笑っているしかない。

努力が足りないんだよ!と怒られても、もう響かない。努力?なにそれ、そんなもん幻想。

 

 

努力?してみてるよ。言われなくても。

続かないんですよ。私、昔は全然サボり魔じゃなかった(だから成果も出たんだけど)。

頑張ったって、パッと見の造作で「ブス」って言われたらさぁ・・・(無限ループに注意)

 

 

それを思い出すと、当時の私が可哀想。

でも、もう大丈夫。

 

パッと見の造作でしか見ないのは、相手の自由。

わざわざ口に出して不快にさせる人は、人の心がわからない・・・もしかしたら「人」の皮をかぶったゲテモノだ。

人は中身だ、と思うのも自由。

自分がどういう考え方の人と仲良くなりたいか、それで選んでいるだけ。

 

私の価値は、自分で決める。

通りすがりの輩に言われた言葉は、何の力も持たない。

無力化してしまえ!

 

 

と、決めたんです。

 

 

 

そしたら、アンジャッシュ・渡部さんの不倫騒動。

何が一番呆れたって、接待を伴うお店で可愛い子が来たら必死でしゃべり、そうじゃない子が来たら完全無視していた、という話。

ええ、ワイドショーですが、なにか?

 

それって、最低だな。

そう思った時に、ストンと自分の中で腑に落ちたんです。

 

 

そうか。

見た目だけで全て判断する人を、私は大嫌いなんだ。

それがカッコつけでやっていようと、本心から「美男美女に限る」だったとしても。

その人自身を大切に思わないから、手中に収めたらぞんざいな扱いになるんだものね。

 

たとえ見た目は好みじゃなくても、美男美女じゃなくても、人として友だちになりたいって人はたくさんいる。

美男美女であっても、ちゃんと向き合って友だちになりたい。

一緒に居ればステイタス~っていう付き合い方は、いらない。

 

 

もう、大丈夫。

 

アドバイスとして「こうしたらもっとカワイイと思う」とか、「もう少しやせたらバランスいいと思う」という、私のことをトータルで見てくれるアドバイスは、今後もありがたく受け取ります。

楽しく、笑ってキレイになる方がいい。そうしたい。

 

 

一方で、「ブスが来んなよ(笑)」というような、顔で人格も否定するような輩の言うことは信用しません。

たとえ過去に友人だったとしても、「あ、それだけの人に成り下がったのね」と容赦なく切り捨てます(心の中で)。

 

陰であざ笑う人。

いつか行いが還ってきます。ざまーみろです。

 

 

今回は、私の中の根深い闇(2020年6月11日をもって修了しました)を書いていました。

卒業記念みたいだw