時々見かける
お申し込みの入らないブログはこれだ!!
という内容に、思いっきり当てはまるこのブログへようこそ。
こちらでは私が提供しているメニューなどを書いていないので、申し込みが入らないのは当たり前(*゜∀゜*)。
じゃあ、なんで続けているのか。
単に、書きたいからです。
以上。
物事には「セオリー」ってものがあります。
一定の法則に沿って物事は動いていく。
それに当てはまれば、その通りに動いていく、はず。
仮説上はね。
ここからは私の「仮説」。
セオリーがある、セオリーに当てはまる、ってことは、
一般的なセオリーに当てはまらない人もいるってことよ。
同じことをしても、同じようにはならないってこともある。
これ、分からない人多いと思う。あなたは、どう??
そして時々こんなことも。
「申し込みが入らないブログはクズ」
「商売っ気のないブログを書いていて何になる」
直接言われることもあれば、そういうことをFacebookに書く人もいる。
※言うのも書くのも、その人の自由です
大きなお世話だ (# ゚Д゚) ムッカー
あ、でも、他人が言うことだからどうでもいいやと思うのが、最近の私。
瞬間湯沸かし器だからさ、ついつい「大きなお世話だ (゚Д゚#)ゴルァ!!」と思うだけで。
そんな話を言われたり見たり聞いたりしたところで、私の代わりにやってくれるわけじゃないもんね。
「自分」を出すところで、お金払って任せるのは、私は好きじゃない。
※お金払って任せたい人は、それはそれでいい。ただし、任せっぱなしではなく、チェックはしましょうね。
ここで私が言いたいのは、
「そういう批判的なことを書く必要ないんじゃない?」
なんて、イイ子ぶったことじゃなくて、
申し込みが入らないクズなブログを毎日書き続けていますが、何か?
と、「ケンカ上等!!!」でもなく、
書きたいんだから、勝手に書くし、書き続けますし。
と、自分の中で言い続けているってことだけ。
「他人目線」を意識することは、訓練としていいと思うし、
仮説を立てて検証して、自分らしい表現を見つけていくってことは大切。
そのために第三者(だいたい、コンサルタント)の視点を使うことも、あり。
そして、それにおんぶに抱っこになってもいいと思うわけ。
私じゃないから。私がそれを苦手としているだけで。
時々、悩むんだよね。
セオリーに乗っかれない自分は、こんなことしていていいんだろうか。
悶々と2年ぐらい悩んで、最近たどり着いた答えは、
好きなようにすればいいんじゃんо(ж>▽<)y ☆?
ということ。
わざわざブログに書くほどのことでもないので、今まで書かなかったけれど・・・
どーしても書きたくなって、書きました。
イチバン伝えたいのは、これ
↓ ↓ ↓
自分なりに悩むこと。
やってみて、反応を知ること。
それは大切な「経験」です。
活かすかどうかは自分次第。
うまくいってないと、あれこれ言う人が周りに出てくるかもしれない。
Facebookのタイムラインで上がってくる誰かの言葉や、誰かのブログで
発信されたブログの内容に、心を痛めるかもしれない。
だけど、考えてみて?
最初から、人を惹きつける文章が書けるとは限らない。
得意な人もいるけれど、みんなが得意なわけじゃない。
学生時代を考えてみて?
「国語」って軽視していなかった?
こういう所でも活きてくるんだよ。
痛く突き刺さった言葉に泣かされても、
「自分」の言葉で伝えたいと思ったら、
まずは、自分の言葉で書いてみる
伝わってないかなと思ったら、見返してみる。
第三者の視点だって、ちょこっとやれば身につくものでもない。
たまたまできる人はいるだろうけど、それをうらやましがる前に、身につけるためにできることはたくさんある。
コンサルタントを雇って第三者から指摘してもらうこともいいけれど、その人から出た答えが全てじゃない。
指摘=批判ではないし、答えはいつも自分の内側にある。
それが「言語化」されるのに、時間がかかるだけのこと。
最後に。
時間をかけること、時間がかかることは、悪ですか?
地道にコツコツと続けていくことは、バカですか?
結果を伴わなければ意味が無い、そういう人もいるでしょう。
言いたい人には言わせておけばいい。
時間を掛けることやコツコツ続けることを鼻で笑う人がいたら、勝手に笑わせておけばいい。
一滴のしずくが、やがて大岩も突き通す
そういう生き方、考え方もある。
大事なのは、
あなたにとっての結果を、ムダにするかどうかは全て自分次第である
ということ。


