誰かと何かがあったわけじゃない。
終止符というのは、自分の中でのこと。
熊野→天河→玉置神社と行ってこられたのは、とても大きな意味があった。
特に熊野では「再生」のお守りがあるように、一度リセットしたい何かがあったであろう私には、今行くべき処だったようで。
ゆきねえさんのカードリーディングにも後押しされ、
彩子さんのフェイシャルを受けながら、色んな自分がぽろぽろと出てきて、
この2ヶ月ほど悶々としていた「何か」に終止符を打てたなと感じた今日。
何があったわけではないけれど、
なんとなく、「これでいいんだな」と思えた。
それも、電車の中で。
昔、居酒屋さんでししゃもを食べながらひらめきが降りてきたことはあったな。
ゆきねえさんのカードリーディングで出てきた○○の件は、今度行ってきます。優先事項として。
そこでまた何かヒントをもらいそうな予感がしてならないのです。
彩子さんと話をしていて、「このまんまの自分でいいんだ」と思えたことと、やっぱり私は人まねができなくていいんだということがわかった。
時間はかかるかもしれない。
人から見たら、パクれば簡単かも知れない。
それでも私は自力で公式を解きたい人、なんだ。
納得できればいかようにも応用することができる。
用意されたテンプレートを繰り返すことでつかんでいくことも出来るんだろうけれど、きっとまたそこから悩むんだろうな、私。
だから、今よくある「起業塾」って合わないんだわ。
ずっとね、時間とお金を費やして学んでも学んでも、どうにもならないって思っていた。
形にすることが苦手なのかも知れないとか。
最初は勢いあるんだけど失速することは、よくあるし。
今までも、「これは無理!!」とムダにした講座がいくつか・・・
あったなぁ、そういえば。
ちゃんと中身を確認してから申し込みたいけれど、たいてい、
「それは授業の時にー」
・・・それもそうか。
だから、今、講座を受けること自体に躊躇してしまう。
興味があることと、知りたいこと・身につけたいことってイコールとは限らない。
知りたいことは もっと掘り下げたいのよ。
型どおりに「これだけ知っていればいい」ということに納得がいかないから。
そして、オリジナリティを求めるから。
だから、素直にまねることができない。
だから、まねることが出来る人ってすごいなぁと思う。
思うけど、無理なものは無理だから、自分にあった道を探ろう。
ちょっとした、スランプだったんです。
それでも毎日こなしていく作業はあって、それはそんな感情を切り離してできるものだから、ここまでやってこられた。
みんな、自分のそれぞれに「適した」状況があるってことよね。
ぐるぐると右往左往しながら、とりあえず、今の自分で出せた答え。
人と違っていいじゃない。
時間かかっていいじゃない。
もっと長い目で見て、しっかり根を張って。
私が目指すところは、ちょっと遠いところにあってもいい。
気持ちの区切りがついた、ということは、前向きな氣持ちへの第一歩。
自分の道を目指す前に、ついつい周りのことを見てしまうけれど、今はあえて自分の目指す道を優先しよう。そうしよう。


