ラジオパーソナリティーもしています。まこぱんだです。

 

ここのブログではあまりラジオの話に触れていなかったので、たまにはラジオの話でも。

 

 

2014年12月からスタートさせた番組「煌☆すまいる」(以下、きらすま)と、2016年4月からスタートさせた番組「Dream Canvas」の2本を企画・制作しています。

 

 

コミュニティFMなので、スポンサーなし(つまり、自費)・企画も自分。責任も自分にかかってきます。

誰かの番組に乗っかるとしたら、責任はないでしょうが。

 

 

番組を持つというのは、楽しい反面、大変なこともあります。

費用負担の他に、番組に穴を開けないようにスケジュールを調整したり(うちは収録なので)、編集作業もすんなり行く時ばかりではない・・・

クオリティにこだわればその分もがくわけで、職人気質の私にはなかなか手強いものだったりもします。

 

そして、「誰かが教えてくれるわけではない」ということも。

 

いたとしても、職業パーソナリティーさんですよね。

番組を用意されていて・・・という1から作り上げてはいない人たちなので、わたしが知りたいことを知っているとは限らない。

 

 

 

小さい活動がそうそう簡単に認めてもらえるものではない、とはわかっていますが、これは声を大にして言いたい。

 

 

 

テレビに映るのと、ラジオでしゃべるの、何がそんなに違うの?

 

 

 

同じローカルだったとしても、テレビだと有頂天になる人が多く、ラジオだとせいぜい「出ました~」という程度。

いや、「出ました」というだけマシ。

 

 

 

どうせ聴いてないし

(テレビだって観ないだろうよ、と小一時間。つまり、自分のステイタスと考えている人が多いってこと)

 

 

そう思うなら、ラジオに出なきゃいいんです。

声がかかったから出てやった、ということが、MCに対してどれだけ失礼なことはわかっているのでしょうか。

 

 

 

どうせ聴いてないからと思ってしゃべった言葉は、聴いた人に届きます。

声は嘘をつけません。

声も波動の一種なので、だるーと思ってしゃべれば「だるーーー」というのが相手に伝わるし、楽しいと思ってしゃべれば「楽しいな」というのが相手に伝わる。

 

 

これはテレビだろうがyoutubeだろうが、ラジオだろうが一緒だと思うんです。

 

 

映像があるから、テレビやyoutubeの方が格上

 

 

そう思うのは「見えているところだけやっておけば、あとは適当でよし!!」と言ってるのと同じこと。

 

見た目はもちろん大事ですが、見た目だけしか重視しない。

見た目でわかることは大事ですが、それを支えているのは見えていない・見せていない部分。

その裏付けがあっての「見た目が9割」なのでは?

 

 

そう感じている、今日この頃。

 

 

ラジオは「声」で伝えるので、自分の伝えたいことを伝えるための技術を磨くには一番のツールではないか・・・と思っています。

私も検証中なので言い切ることはできませんし、自分のコーナーがどうしても後回しになりがちなので、「伝える」に至っている自信はありません。

 

12月で「煌☆すまいる」が3年になるということもあるので、ここらで自分が担当するコーナーの中身を見直してみようと思っています。

もっと、言葉が伝わるように。

聴いてみたいと思ってもらえるように。

 

 

 

どうせラジオなんて聴かないし、と言っていた人たちを後悔させるぐらいにまで、成長を目指していきます。