昨年、今年と人間関係が大きく変化しました。
昨年は、某人の詐欺まがい(いや、私から見たら「詐欺行為」ですが)に、たくさんの人が不快な思いをしたことを知る。
詳細は書けないけれど、代金を取って商品を渡さないってどうなのよ。
債権だけ取って、債務は果たさない。
「うっかり」だとしても度を超えた件数らしい。
私は直接的に被害は受けていないものの、意外なところでのダメージ(風評被害的なもの)はあったので、本当に迷惑だった。
今年は、依存傾向のある人がバンバン気持ちいいくらいに離れていきまして。
文字通り「肩の荷が下りた」というのでしょうか、今は楽です。
友人がやってもいないことを周りに吹聴されたりして(やってないから「冤罪」だよね)、色々相談にも乗っていました。
これについても、私、ある意味巻き込まれたんですよね。
結論から言うと、相手に恨まれた。逆恨みですね。
先日用事があってFacebookのメッセージを送ろうと思ったら、送れない。
え?と思ってFacebook検索しても出てこない。
そう、【ブロック】してたんです。相手が。
こちらは何もしてなかったんですもの。
昨年から今年にかけて色々あった中で一番感じたのは、
謝って済むなら警察要らねーわ
ってこと。
何件かこちらに謝ってくる、被害があったり、ひどいこと言われたりというのがあったので、問いただすわけですよ。こちらも。
一応、謝るのは謝るんですね。
ただし、言い訳付き。
あー、「ごめんなさい」って言えば全て許してもらえると。
謝ったんだから、許してもらえて当然と。
それも全部「SNS」でのやりとり。
私は古いタイプの人間なので、全てSNSで済ませようと思う考えについては逆に許しがたいと思ってしまうんです。
言葉では何とでも言える。
ちっ、めんどくせーなー。謝っておけばいいや。うるさいし。
そう思っていたって、文字上では「申し訳ございませんでした」は書ける。
・・・と、思うでしょ?
こちらはお見通しですから。
どういうつもりで書いてきているのか。
今後も仲良くしたいと思っているのか。
こいつめんどくせーし、利用価値ないから、これで切ってしまえばいいやと思っているのか。
よくよく考えてみてください。
あなたが言った言葉が相手を傷つける結果となった。
あなたはそんなつもりはなかったかもしれない。
でも、相手が傷ついたという事実がある。
相手が今後も仲良くしてくれるかどうかは、ちょっと横に置いて、
あなたは仲良くしたいと思っている。
だったら、SNSで
そんなつもりじゃなかったのー
私もあなたの言葉に傷ついたしー
謝ってるじゃん
って、言えますか?
合いの手、入れてみましょうか。
そんなつもりじゃなかったのー
(だったらどういうつもりだと小一時間)
私もあなたの言葉に傷ついたしー
(ここぞとばかりにディスるのね)
謝ってるじゃん
(それって謝る態度じゃないないないない)
こういう場合、私も過去にあなたの言葉に傷ついたっていうのを持ち出して「ほら、おあいこ」というのは、フェアじゃない。
傷ついたときに言え。
言う勇気がないだけじゃん。
これをSNSでやろうものなら、ソッコー友達としての縁を切りますね。
本当に申し訳ない、今後も関係性を続けていきたいと思うなら、対面でしょ?しかも対面を受け入れるか否かはこちらが決めること。
みなさんはどうですか?
私、厳しいかもしれません。
あとはね、日頃の言動もその時の判断材料になってるんですよ。
ジャッジをなくすことも、フラットに物事を無くすためには大切だし、傷ついた中から、自分へのメッセージや気づきがあれば、その出来事も学びになったりする。
でもさ、傷つくもんは傷つくんですよ。
そういう輩から自分を離すってことも、ある程度は必要なんじゃないかな。
「出会った人、みんなお友達」感覚の私だからこそ、傷ついたときに
謝られたし、許さなきゃいけないのかな
こんなことで怒る自分って未熟すぎるのかな
って思ってきましたけれど、いいんです。
傷つけられた相手の言動次第で、今後の関係性を考えれば。
自分が相手をうっかり傷つけたときに相手が今後の関係性を考えるでしょ?私が「それでも仲良くして」っていうのは不条理。
相手が許してくれて、「またこれからもよろしくね」となって成立するものだから。
