否定的な言葉を投げかけていると、いつしか相手の『枷』になる。
気にしないでいられる人ももちろんいますが、そんな言葉をかけられる時間が長かったり、幼い頃にかけられていると、心の奥深くにまで、その言葉が染み込んでいるということがあります。
たとえば、私の場合。
「お母さん美人だね。似てないね。」
そのように言われることは、子どもの頃からよくありました。
母を褒められるのは大人になった今でも嬉しいですし、もちろん当時も嬉しいものでした。
文字を読むと、
お母さんが美人である
ということと、
母と私は似ていない
ということは、必ずしもイコールで繋がるものではない、と冷静に考えることができます。
しかし、これが音声だったら、
お母さん美人だね。似てないね。
と、続けて聴くわけですから、そこまで冷静に考える時間すらない。
まして、表情も見えたりしたら。
似ていない、と否定しているのですから、表情のどこかに「憐み」や「同情」が見え隠れしてもおかしくありません。
お母さん美人だね。似てるね。
その言葉の時と、
お母さん美人だね。似てないね。
その言葉の時。
表情も変わりますし、もっと言えば声色さえも変わる。
昔ですが、同じ人にセリフを変えて言ってもらうということを何人かに試してもらったことがあります。
ええ、個人的に。
どちらも同じように言っていると感じる人は、1人いたかどうか。
(すみません、20代のころの話なので・・・)
私の「体感」ですが、言おうと思っている言葉と実際に思っている言葉が乖離していたら、「おかしいな」と直感的に感じやすいと言えるのかもしれません。
というように、言葉の「文字」から想像させることが、知らずに相手に呪いをかけてしまいます。
共通しているのは「ネガティヴ」である、ということ。
お母さん美人だねということを言いたいなら、
「お母さん美人だね。羨ましいなぁ。」
それで充分伝わります。
似ていないことを言いたいなら、
「お父さん似なの?」
と、「お母さんとあなたはタイプが違う」ということを言えば、いくらかはクッションになって伝わるでしょうか。
「物は言いよう」と言いますが、まさに、それ。
たとえば、ネガティブさ満載にして、
お母さん美人だねぇ。似てないよね。
と、言う人がいるとします。
そのココロは、
あーあ、お母さんが美人だから比べられて可哀想~。
だからって「ブスよね」って言うのは可哀想だし、「似てない」って言えば本人もわかるんじゃない~?
この人も美人だったら、人生もっと楽しいのにねぇ~。可哀想~。
というように、自分のことじゃないんだけど勝手に「不幸よね~」と作り上げて出てくる言葉。
ある意味、「妄想劇場」。
美人=チヤホヤされて幸せ
美人に似ていない=ブス=不幸
このように「定義」されている人も多いですから、言う方も知らず知らずに言ってしまうし、言われる方も仕方がないと受け取ってしまう。
といっても、「見た目」で左右されるのは、それも、情報から得た感情だから、相手がどう思うのかっていうのも自由。
大切なのは、「何を伝えるか」以上に「どのように伝えるか」。
言葉が出てくるのは一瞬。
脊髄反射みたいなもんで。
ということは、
常日頃思っていることが言葉や態度に出る、ということなんです。
だから、ネガティヴな言動が多い人は、相手に対して、知らずに呪いをかけている可能性が高いんですよ。
「だからダメなんだよ」
「だから言ったのに」
「どうせ無理だと思う」
などなど、口を開けばネガティヴな発言になるのだとしたら、相手を萎縮させたり、怒りに満ちさせることになります。
そうなると、どうなるか。
自分のしたことは、自分に還ってきますから、
「自分にとっておもしろくない」
という結果が還ってきます。
おもしろくないから、おもしろくないと当たり散らす。
それがまた何かの形で戻ってきて・・・と負のスパイラルに。
知らず知らずにかけているとはいえ、呪いは呪い。
自分にも還ってくるということは、お忘れなく。
すぐにはガラッと変わらなくても、使う言葉を心がけることで少しずつ変わっていきます。
人は誰でも、何かしらを伝えて生きています。
口に出す言葉だけじゃなく、顔の表情、目の表情、文字で綴る情報、ジェスチャーなどなど。
もっと言えば、居心地のよさなど感じるお互いの「間」というものも。
そういうもの全てに「ポジティヴ」も「ネガティヴ」も存在するのですから、どちらを選ぶかは、あなた次第。
「そんなつもりじゃないのに。。。」
相手から否定的に捉えられやすい、誤解されやすい方は、日頃から否定的な言動が多くないか、振り返ってみるといいと思います。
自分が思っている以上に、否定的な言動をしている可能性もありますから。
人はその言葉だけに怒ること、軽蔑することって少ないです。
もしあるとしたら、内容に相当問題がある。
無意識のうちに相手の言動を読み取って、たまたまあなたが発した「何か」がトリガーになるだけのこと。
せっかくなら、否定ワードで相手に呪いをかけていくよりも、元気ワードで相手に自信をつけていく方が、発信する自分自身も元気でいられるのではないでしょうか。





