蝶の羽ばたきほどの小さな「要因」が、どこかで嵐を起こすほどの大きな「変化」をもたらす。

 

解釈の仕方は色々ありますが、小さな要因がその先の結果に及ぼす影響として、映画のタイトルにもなった「バタフライ・エフェクト」。

 

私は確か30代になってからこの「バタフライ・エフェクト」について書かれた書籍を読みました。

今になってみるとわかることが多い。

当時は「ふーーーーん」だったのに。

 

 

あくまでも<蝶(バタフライ)>や<嵐>は、比喩。

蝶が羽ばたくときに起こる「風」と、吹きすさぶ嵐の風量は明らかに違いますよね。

その違いをわかりやすくしたもの。

 

 

行動を起こすことを含めた「要因」によって、予測できる「結果」があります。

おおよその予測はできたとしても、そこに小さな要因が重なることにより、予測していた結果と異なる結果が生じる可能性があります。

 

 

その要因、自分が起こすものであるならば、それは自分のコントロール範囲。

 

思考が現実化するということも踏まえると、起きて欲しい「結果」に繋がる思考が必要なのではないか・・・

なんて、思ったりもします。

 

 

自分の思考(=要因)が、起きて欲しい結果とリンクしていなければ、

言(思考)と動(行動)が一致しないという、自分が当初望んでいた結果と異なってしまう。

 

 

ということは、

 

自分の思考を含む1つ1つの要因によって、もたらされる結果が変わるということ。

それは大きな要因に限らず、小さな小さな要因でも変える力を持つということ。

 

 

だから、

 

小さな1つ1つの言葉・行動を大切にしていく。

不平を言えば、その不平に合った現実がやってくる・・・というのも、私はうなずけるなぁと思うのです。

 

でも、言いたくなることはあるよね。人間だもの(笑)。

 

 

今回、【マゼンタ】でこのことを書いたのは、マゼンタには「結果」というキーワードがあります。

 

 

結果には必ず原因があって、何もなく生じるということではありません。

それは自分が起こすことだけでなく、自分以外の人や自然が起こす「要因」によっても左右されるもの・・・それが「結果」であるということを書きたいなと思ったからです。

 

 

 

小さな要因によって生じる結果が変わるなら、未来予測はムダなのかというと、そうではありません。

<知る>という小さな要因により、<行動>が変わるのか・変わらないのか。

それに対する未来予測はある程度可能です。

 

 

だから、未来予測はムダではないのです。