キレイは日常の中にある。

 

見つけられるか、見つけられないか。

 

みんながキレイというものが、本当にあなたにとってキレイと感じるものなのか。

あなたがキレイと感じるものが、周りにわかってもらえないことが、本当に悲しいことなのか。

 

 

あなたにとって、で十分であることを知ることも大切なこと。

 

 

周りが認めるから、自分も認めるではないのです。

あなたが認めるから、そのキレイは命を持つ。

 

 

造形の美しさは、あります。

その造形の中にある美しさも、あります。

 

外側だけみてもわからない。

外側を無視してもわからない。

 

 

「美しい」ということは、複雑で、実は人の「主観」によるものなのです。

 

----------------------------

 

「30歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」

 

 

顔にものすごいコンプレックスを持った中学生の私に、両親がかけた言葉です。

 

 

人は外側だけじゃない。

大人になったら、それまでに蓄積してきた体験・学び・教養などが、外ににじみ出てくるものだ。

 

きっとそういうことを言いたかったのではないか、と思います。

 

 

私が実際に30歳を過ぎ、その頃から思春期の子どもの親になった。

もし、彼らが見た目のことでコンプレックスを持っていたら、きっと同じことを言ったでしょう。

 

 

その時はわからなくても、30歳という年齢を超えてみればわかる。

 

 

見た目は変わります。

なぜなら「年齢による若さ」は薄れていくから。

その代わり、時間と経験と知識を熟成させた、こなれたオトナになるから。

 

それは若さでは太刀打ちできないもの。

 

30代には30代の、40代には40代の、その世代のもつ

時間とともに育んだ美しさが、男女ともにあるのだと思います。

 

それはまるで「伝統工芸」のように。