どんなことでも、コツコツと積み上げていけば、1つの花が咲く。
それを信じることができるから、人は頑張れるのだろう・・・と思っています。
それが不格好だったとしても、
他人からは「なにそれ」と言われても、
咲いた花は、花。
れっきとした、あなたが咲かせた花。
↑ あ、この写真は私が映したものです。一眼レフじゃなく普通のデジタルカメラで。
花が咲いたことを知らずに枯らしてしまうなんて、もったいない。
まずは今までやってきたことを振り返りつつ、周りの反応を客観的に見てみましょう。
ここまでやってきたこと、積み上げてきたことをないがしろにせず、
まずは自分自身が「よくがんばったね♪」と自分に労いを。
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”自分の思うようにならなかったら意味がない”
人から「綺麗ね」「すごいね」と言われないと意味がない・・・
私を含め、そのように考えている人が多いんじゃないかなって感じます。
綺麗な花じゃなきゃ、ダメですか?
花として認められませんか?
華やかな花も、道ばたに咲いている花も、すべて「花」。
決して「実」ではないし、「昆虫」でもない。
あくまでも花は、花。
今はまだ思い描いていた花と違うとしても、次はどうするかと考えて動くことで、さらに大きな花に育てていけるのでしょう。
焦りは禁物。
焦っちゃうけど。
比べて落ち込まない。
比べちゃうけど。
少し「我が道を行く」という気持ちがあっても、いいのかもしれませんね。
そして物理的にある程度の「時間」はかかるということも、わかっていた方がいいのかもしれませんね。
成功者の話は、基本的に「成功した」部分を伝えます。
苦労話はあっても、それは「他人が『へぇぇ~~~』と思うところ」だけ。
見えない、水面下のことは意外と語られないものです。
だから、焦らない。
形になるまで、熟成するまでの『時間』とも仲良くなりましょう。
それまでに小さな花を咲かせたら、それはあなたの「実績」そのもの。
1つ1つを積み上げていけば、やがて大きな花が咲く。
そう信じきれるかどうかが、分岐点なのかもしれないと思う、今日この頃なのです。