ワークショップの帰りの中で、ちょっと思い出してしまったことが。


「きみは強いから」

「あなたは私たちとは違うから」

「できない人の気持ち、わかんないでしょ」



恋愛も含め、老若男女によく言われてきたセリフ。

特に20代の頃は・・・(恋愛が絡むから(笑))。



わたし、強いわけじゃない。わがままを言わないだけで。

わたし、なんでもできるわけじゃない。

できなくて悔しくて泣いた日もある。



言われるととても悲しい。

どうしてそう決めつけられるの?

バックグラウンドは知らないでしょ?

同じことを私が言ったらきっとこう返すでしょ。


「そんなことないよ。なんでそう言うの?」


私も同じだよ。

でもね、たいていこう言われるの。


「だって、あなたって・・・」

「どうせ見下してるんでしょ」



悲しいよね。悲しいというか、通り過ぎて怒りを覚える。

話しているとたいてい私が悪いことになっている。



私は私でいたいだけなのに。

・・・いたいだけだったのに。



今は、同じことがなくなったかと思えばそんなことはない。

自分の受け止め方が変わっただけ。


先日もブログに書いた 「自分の役割」 

どうもこれが原因のようだ。


私の態度が不遜なのもあるだろうし、

意見を述べてしまうことも一因としてあるのだろうし。



それ以上に、「聴き遂げる」役割が介在しているのではなかろうかと最近は思う。



どうしてもネガティブな感情なので、私に向けてもネガティブになっていくのだけれど、


「聴くだけ聴く、言うだけ言う。放っておく必要があれば放っておく。

それでも私にネガティブなことを言い続けるならば離れるだけ。」


というスタンスができあがっているので、20代の頃ほど感情に揺さぶられなくはなった。



でもね。

できれば言われたくない。

聴いてほしいこととしてならば聴けるけれど。


自分を卑下するときって、自分を下にしているようでも紐解いていくと実は相手を非難していることがほとんど。


言う側は意識していないこともありますけれどね。


だから卑屈なものの言い方をするとトラブルになるんです。


言っている本人は、顕在意識ではそんなつもりはない。

でも潜在意識で相手を非難している。


その矛盾は相手に伝わってしまうもの。


それでも「聴き遂げる」役割があるのだから、自分に向けられた呟きだろうと叫びであろうと、まずは聴く。

湧きあがる感情はとりあえず横に置き。

できれば知らんふりをしてそのまま処分してしまいたい。



でもね。

時には泣きたくなる。


だから、これから少し泣きタイムに入ってくる。