人生の中で数多くの出会いと別れがある。

その中で苦しむこと、苦しめられること、
嬉しいこと、悲しいことたくさんある。


生きている間に、ものすごくステキな人間関係を結べたら、
それはとてつもなく幸せなことなのだろう。


人と人は繋がって、幸せなキセキを起こす。


そのキセキは意外と身近なところで生まれていて、
私たちが気づくことを、待っている。


自分と誰かの幸せなキセキ。
気づいたときに、私たちはさらに大きな優しい気持ちに包まれる。


どれだけ誰かに踏みにじられても。
裏切られても。


この小さな幸せなキセキのために、大切な誰かと繋がり続ける。


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嫌いになった相手はそれこそ「虫けら」扱いするくらい、激しい面を持つ私ですが、基本的には自分から嫌いになりません。

さすがにないことないこと周りに吹いて回る人の存在については、理解はできません。
自分1人では何もできないくせに、強気な誰かの背中に隠れて石や手榴弾ほどの凶器を投げつける人には、論理的に揚げ足を取り続けて追い詰めてやりたいとさえ、思ったこともあります。
私から、その人を信じる気持ちを自ら踏みにじったのですから、信じるに値しないし、一生私の前に現れるなとも思っています。

その一方で「かわいそうだな」とも思っています。

かわいそう。でも、その人たちはそれで幸せなんだろうと、笑って離れました。


こんなネガティブに縛られたままにならず、日常が織り成す幸せなキセキを大切にできる私でいたい。

そう、思いました。






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