金曜日に仕事帰り本屋さんで出会ってしまった「日本大沈没」(藤巻建史さん最新刊)。


色んなジャンルの本を読む方だけど、「経済」系の本って実は買ってまで読まなかった。

実用書は読むとしても、この手の本で「自分自身が感じていること」に触れてしまうのがイヤだったんだろう。


そんな私が日経新聞に出ていた広告を見て「なんとなく読みたい」と探していた本。

本を探すのはアマゾンとかで簡単に探して買えるけれど、今回はどうしても手に取って「やっぱり買うかどうか」を感じてから買いたかった。

中身をパラパラ見る以上に、自分の手のひらの直感を大事にする女・・・まこぱんだです。




金曜・土曜に読破したのだけれど、その中に出ていた「結果不平等」という言葉がスーーーっと自分の懐に入ってきてしまったのだ。

本のテーマは「資産防衛」なんだけれど、なぜそうしなくちゃいけないのかの理論展開の中で「結果不平等」という内容が出てきて、そのことがふっと自分の中で1つのある【答え】を出してきたのですね。

答えを出したからと言って、現在の状況が変わるのではなく、自分のココロが軽くなったというものなのだけれど。




「結果不平等」 頑張っても頑張らなくても、同じということ。

めっちゃくちゃ簡単な私なりの表現。


社会に出てからほとんどの時間、仕事をする人生を送ってきた私。

その中で「派遣」で働いてきた時間が一番長い。

独身時代(20代)はひたすら仕事観を育て、スキルを学んでいくのに必死だった。

そのおかげで今の自分があると思う。


壁に思いきりぶち当たってしまったのは結婚後の30代。

仕事をすればするほど周りと乖離していく。

仕事をしない人は今までもいたけれど、「仕事をしないでくれ」と言われたこともある。

それで給与をもらおうとするのに私がついていけなくなってしまった。


悩んで悩んで、最後に出た答えは「なんでこんなことで悩まなあかん?」ということ。

でも、腑に落ちなかった。


その後正社員を経て商業施設で働いたけれど・・・

ここでもそうだった。

仕事が出来るならやって当然。出来てなくても仕方がない。


上司がそうだったのだ。


個々には「よくやってくれるね。」と言われても、やっていない人たちに何かを言うわけでもなく、ましてや変えることなどしない。


抱えてきた「不平等感」は最後までぬぐえず、このまま不満を抱えて仕事をするよりは40代をもう少しで迎えるのだから、その前にこの気持ちは清算してしまおうと退職を決意。


それは正解だったな、と思う。



結婚してから働いた職場で言われたことがあるのが、

「あんたが仕事すると私たちも仕事しなくちゃいけないから、辞めてくれ」

「ぱんださんは仕事できるんだから、私たちとは違う」

ということ。


しまいには「外資系行けば?日本企業合わないよ」とまで。



どうして、あんたたちにそんなこと言われなきゃいけないわけ?

要は仕事していないことが露呈するから、ここにいたければ足並みそろえろということでしょ。

仕事をしに出勤して、仕事をしないでいることっておかしいんじゃない?

それが正社員だろうが、非正規社員だろうが。



仕事ができるからというのは決して褒め言葉じゃない。

その言葉を出す人によっては、相手に向けた差別言葉だと私は思ってる。

純粋に褒められれば私も嬉しいけれど、悲しいかな、悪意や下心で言われることがほとんど。

言われたときのニュアンスや状況で判断が出来てしまうもので、本当に「仕事ができるから助かる!」と言われるのは私も嬉しい。



それに、仕事ができるからって言っても最初から全て何でもできたわけじゃない。

当たり前だけど、そこにたどり着くまでの紆余曲折がある。

それをわかって言う人の言葉には温かさがあるけれど、それをわからずに表面だけ見ていう人の言葉は冷たさを感じる。


(私が仕事できるかどうかの評価は置いといて)

私自身、社会に出たときパソコンできなくて。

最初に正社員で働いた会社では営業だったんだけど、パソコンも専用端末だったからエクセルやワードって全然使わなかったのよね。

当然、辞めても事務職で仕事がない状態。就職氷河期だったし。

仕方がないから派遣登録して、ブラインドタッチができるように集中して訓練したし、派遣先に行ってから実務で使うものを中心に結構猛勉強した。


派遣だから、仕事ができなければ契約切られるわけだし。

雇う側の気持ちになって考えれば、仕事をしない・できない人を置いておく費用を「ムダ」と考えるだろう。

契約更新のたびに考えたし、考えさせられながら、その点は精神的にも鍛えられたと思う。


学ぶ姿勢で一番影響を受けたのが、とある食品メーカーに派遣されたときのこと。

同じ部署の社員さんから「もっと勉強しなよ」「もっと自信を持て」と常に発破かけられてた。



自分にはこれができるんだってものがあれば、自信を持てる。

もちろん、さらに高みを目指すことを忘れちゃいけないよ・・・



その言葉に支えられてこれまでやってきたし、今でも私の中では生きている。

きっと契約で働く私を心配して言ってくれたのだろう。


そこで働きながら、その時々で必要になってくる知識を吸収するために

時には本を読み、時にはセミナーに参加し、時には資格取得を目指した。


今までを思い返すと、これまでに学んだこと・やってきたことは何1つムダじゃない。

それでも、世の中は「結果不平等」がまかり通る。

どれだけ頑張っても、会社は守ってくれない。むしろ相手によっては攻撃されることさえある。

そのことがずっと自分の中でひっかかりつづけてきた。



「結果不平等」なんて認めたくなかった。

頑張ったらそれだけ報われたい。


そんな中で「日本大沈没」を読んで、自分の中で何かがすっと降りて行った。



「日本は【結果不平等】なんだ。」と、自分の中で納得したんだ。


だからと腐るのではなく、その結果不平等がいつか崩壊するかもしれない。

崩壊しなくても、私は自分の足で立って生きていく力をつければいいんだ。



それでやっと胸の中のモヤモヤが晴れた。


今まで、これから仕事でぶち当たることは、将来の私につながること。



今時点では、これだけ自分の中でわかっていれば、それでいい。