2008/10~に別の所に書いたブログ。今オバマ回顧録を読んでいて、そこでのオバマ自身の説明と結構あってる、というのがあり、ここに掲載します。

 

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2008/10:

金融危機のその後と米大統領選

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ところで、全然関係ないが、今回の金融危機の件で、マケインの当選がほぼなくなったのと、最後にかっこ悪い姿を見せられたのはとても残念だ。

民主、共和党大会の後は、マケインが支持率で逆転し、オバマが誹謗を始めたときは、「オバマも終わったな」と思ったが、金融危機でその逆の状況になってしまった。

後付け的になるが、もし、副大統領候補として、マケインがロムにーを選んでいたら、と思う。ペイリンを選んだのは、おそらく保守票を固める為だろう。マケイン自身は、ブッシュと異なり真正保守派ではなく、中絶、銃規制に関しては、リベラルに近い立場を持つ「一匹狼」であったが、当時の情勢では、その割りに、中間層の支持率は伸びずに、一方保守票を固められていないのが危惧されていた。ブッシュのような真正保守派と、マケインは明らかに政治信条が違うが、当時の各州ごとに支持率を見ると、過去にブッシュが勝っている州とほぼ同じ週でマケインが優位にあり、しかもオバマとの支持率の差は、ブッシュのときより小さいものであった。だから、選挙対策として、保守であり、しかも若い女性というペイリンを選んだのも、まあ仕方がないのかな、というようにも感じていた。ただ、これが、単に選挙受けを狙っているだけなのは、明らかであった。
一時期それにより確かに支持率は逆転した。しかし、そもそも、マケインの政治信条、そしてアピールポイントは、一匹狼、で、党派によらず、政治信念によって行動することにある。僕は共和党の方が好きだが、銃規制も妊娠中絶も、リベラルな考えであり、マケインの考えに近く、また、何より党派によらず自分の頭で判断し、孤立を恐れない姿勢が好きだった。ここで、保守派に迎合してしまったことは残念なことであった。(おそらく、彼は大統領当選後は、より自分の主張に戻ることを考えていただろうし、もし彼が当選していたとすれば、おそらく、その次の選挙での各州毎の支持率の差異は、ブッシュの時とは全く違ったものになっていただろうし、多分副大統領はペイリンではないのではないかと思う。)
もし、自分の信念を前面に出して、選挙を戦うのなら、選ぶのはロムニーであるべきであると思う。まず、政権を担当する責任のあるチームを作る、という目的なら、マケイン自身経済に弱い、ということがあるので、経済通の人間を側近に据えることは、明らかに合理的だし、また、さすがに共和党予備選でマケインの次に位置する人だったのだから、副大統領の資質としても問題はないだろう。そして、ロムニーを選ぶ、ということは、選挙対策ではなく、政策に責任を持つ、ということ、また、たとえ保守の支持を失おうとも、自分の政治信条に従って、最後まで選挙を戦う、というメッセージとなった。
実際、その後金融危機が起きたのだから、もしここでロムニーを選んでおけば、マケインは危機に対して適切な人選を怠らなかった、というように評価されたのではないかと思う。実際、カール・ローブも、VPとしては、ロムニーがよいという意見だったそうだ。別に女性だからどうというつもりではないが、ペイリンは、見ていると、やはり、有事の際に大統領権限を持つ人間としては、不安はあるし、派手さはあるが、実質的な政策能力という意味でも適切であるように見えない。

その後のディベートも見ていて、正直、どもりながら話しているオバマが、それほどいいようには思えなかったが、マケインは、金融危機への対策として、政府の歳出削減を主張するなんてめちゃめちゃだし、ディベートの時、オバマと眼をあわせようとしないところなど、印象が悪かった。金融安定化法案の時に、ディベートを延期して、法案成立を助けよう、というのも、ちょっとパフォーマンスが過ぎているな、と感じざるをえなかった。そして、支持率の差が益々開いていくと、オバマはテロリストとつながっている、などという誹謗までやらせてしまっている。(こういうのは副大統領候補であるペイリンの役割となるが、こういうことを女性にやらせるのはちょっとかっこ悪いのではないか)。僕は、マケインのキャンペーンにメール登録しているので、メールが飛んでくるが、「テロリストとオバマがつながっている」などという中傷メールを見ると、非常に悲しくなる。中傷、というのは、かつて、2000年の時の予備選で、ブッシュに仕掛けられ、散々いやな目にあったために、「偉大なる役割を目指す為に、卑劣な手段はとらない」と心に決め、相手に対する誹謗を控えてきたのではないのか。このような醜い姿勢を最後に見たくはなかったと思う。

オバマは国民統合を訴えているが、(共和党大会でいわれたように)今まで議会で、超党派の合意を作り出してきた実績は、マケインの方がはるかに上だし、だからこそ、本当に「変化」を起こせるのは、マケインだと思っていた。(ペイリンは、大会で、「オバマ氏は、「変化」という言葉をキャリアの推進のために使っているが、マケインは、自分のキャリアを「変化」のためにつかっている」と述べたが、それはまさに事実だと思う。)オバマは美しい修辞を並べているが、実績として何があるのか疑問だし、リスクをとって、行動してきた実績ならマケインの方がはるかに上である。元民主党の副大統領候補のリーバーマンなどが、共和党大会でマケインを応援しているのを見てうれしかった。

CNNにあったが、今のマケインは末期のヒラリーに似ている。ペイリンを選択したことも、最近の中傷も、結局は、よほど大統領になりたかったが故に、なりふりかまわなくなっており、つい近視眼的になってしまったからだろう。これが本来のマケインだとは思わないが、人間誰でもそうであるように、状況が切羽詰ると暴走してしまうこともある。
しかし、やはり、最後まで自分の政治信条に従って戦って欲しかったし、戦うべきだった。僕は今でもマケインを応援している。しかし、もはや勝つ見込みはないだろう。マケインはマケインであることを捨てたがゆえに、破れるのだ。

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マケインには、たとえ伝統的な共和党州をいくつか失っても、ニューハンプシャー、ミシガン、ペンシルバニアなどで勝利して欲しかった。

 

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2008/12

バラク・オバマというプラグマティスト

 

オバマについて書くのはなんだか居心地悪い。

ずっとマケインを応援してきたので、当選した瞬間からオバマを賛美するのは気が引けるし、かといって今さらつべこべ言うのもみっともない。当選後は、メディアもいろいろ勝手な憶測を書くのだろうから、ちょっと熱が冷めるまで様子をみて見ようと思っていた。

オバマは、客観的に見ても、政策はよいと思っていたし、性格も誠実そうに見え、悪くないとは思っていたが、なんとなく好きになれなかった。それは批判者がよく言うように演説内容が空疎で芝居がかっているように見えたからだ。特に「Yes, we can!」を連呼し、大衆がそれに絶叫する姿を見ていると、お前はロックスターか、と突っこみたくなる。(ところで、日本の解説者で、なぜ日本の政治家は、ああいった演説ができないのか、という人がいるが、それはダイレクトランゲージとインダイレクトランゲージの違いで、ああいうのは英語だからいいのであって、日本語でやったら単にきざなやつだと思ってしらけるのがおちだ。これは、英語でよく会話する人は実感できることだと思う。ちなみに、麻生太郎首相の就任演説はかなりよかったと思うが、そうしたことが伝わっていないのはややさびしい限りだ。)だから、当選したときも、マケイン敗北の悔しさも手伝って、何を芝居にのせられて、、などと思っていた。

また、オバマは、「一つのアメリカ国民」を訴えているが、実は、その政治スタンスは、民主党の中でも最左派と認定されるほど極端であり、共和党の中でもきわめて中道的なスタンスを取るマケインのほうが、よっぽど国民統合を訴えるのには適切だった。そもそも「一つのアメリカ国民」という主張自体、特にこれが実は人種の統合を指しているからこそ、WASPのアメリカからみれば極端な主張だ。また、経済政策については、そもそも、大きな政府指向であり、グローバル資本主義には反対の立場をとっているが、これは自助を旨とする伝統的なアメリカ的な考えとは異なっており、主張自体とても中立的なスタンスなどではない。

(ところで、アメリカは、極端な市場原理主義の国家だと言われ、それは世界的にも例外的だが、一方国力があまりにも強大である為、その影響が強く、世界的にも市場原理主義が流行となっていた。人間本来の性向として、競争よりも安定を求めるように思うが、移民国家のアメリカでは、新参者でも努力すればステータスが得られるよう、社会を流動的にしておかねば、民族などのグループにより社会が不安定化してしまうので、競争社会にせざるを得ないように思う。よって、市場原理主義性向はアメリカ的価値観から生じたものであり、これが内在的な性質であるように思う。よって、たまたま時流に合致したが、オバマの考えは例外的であるように思う。マケインも減税に反対しているが、これはむしろ独占資本と対決したセオドア・ルーズベルトのスタンスに近いように思えるが、こちらの方が本来のアメリカ的価値観にはあっているのではないか。)

こうした、信頼に足る実績もない、極左のオバマが、理想主義者を演じ、「根拠なき」ムーブメントに乗って、大統領選に勝利したのを見て、なんだか気持ち悪さを感じていた。

そう思っていたところ、理想主義者に見えるオバマに対して、「プラグマティスト」(実利主義者/現実主義者)と形容されているのを見つけ、なんだか非常に合点がいった。(とおもって、改めてネットを検索したら、以下のような記事があった。http://sankei.jp.msn.com/world/america/081213/amr0812130308000-n1.htm
ラインホルト・ニーバーという人は初めて知る名前だが、ちょっと興味が沸いてきた。
God, grant me the serenity to accept the things I cannot change;
the courage to change the things I can;
and the wisdom to know the difference. )

考えてみれば、最強のファーストレディー、ヒラリー・クリントンを倒し、かつ、ベトナム戦争の英雄ジョン・マケインを破ったという実績は、ただの能天気な理想主義者にはできない。どこかの記事にあったがオバマの当選は、選挙運動というより、何か得体の知れないようなムーブメントであったように見え、そうした根拠のないうねりのようなものが生理的に好きではない左脳人間の自分にとっては気持ち悪かったが、もし、理想主義者を演じ、ムーブメントを冷静な戦略をもって、意図的に作り出しているとすれば、畏敬すべき実力の持ち主であるといえる。

プラグマティズム、というのは、哲学的に学んだ訳ではないが、我流に解釈すると、何か具体的な目的を設定し、それを実現する為に、徹底的に冷静、客観的に状況を洞察する知性を重視し、勇気をもって行動する哲学だ。大志、現実、冷静、知性、洞察、忍耐、妥協、勇気、行動、といった言葉がそれを表す。ラインホルト・ニーバーの弟子として、モーゲンソー、ケナンがいるほか、カーター、キング牧師も影響を受けているそうだ(これは意外だ)。大久保利通、吉田茂、岸信介、マキヤベリ、ニクソン、キッシンジャー、リー・クワン・ユー、鄧小平などもプラグマティストと評される。(ちなみに、個人的にも信奉している哲学だ)。

プラグマティスト→現実主義者、というと、策謀めいた印象があり、それは間違いではないのだが、最も重要なのは「大志」である。その大志の実現を強く望むからこそ、その手段は、知略の限りを尽くして効率を求めているに過ぎない。マキヤベリもその策謀ばかり強調されて誤解されているが、著書を読めば、その大志は「国家」にあることは一目瞭然であり、当時小国が大国に踏みにじられ、小国に住む人々の生活が破壊されているのを強く憂えたからこそ、国家を統べる君主は「ライオンの力と狐の狡知を持」つべきだ、と主張したのだ。「私は我が魂よりも、我が祖国を愛する」という言葉は最高級の善人でないといえないことばであるように思う。

そこで、バラク・オバマの大志とは何か、を考えると、主張の他、経歴から考えれば、「人種の統合」しかないように思える。そして、これは、先にも書いたが、アメリカでは実際革命的主張であり、実はオバマも相当の決意ももってこれに望んでいるのではないかと思うようになった。

確か、ハンティントンの文明の衝突だかに、アメリカでは、白人の人口比が年々減っているが、アメリカ文明の危機は、有色人種が白人が支配的な社会に挑戦する国内要因によって起こりうるが、これはまだ数十年先だ、というのがあった気がするが、僕も世界におけるアメリカの優位が覆る要因は、中国以上に、この国内における人種対立ではないか、となんとなく思っていた。

しかし、バラク・オバマが登場したということは、数十年先ではなく、今それが起こっている事を意味し、単純に実行すれば、国内の混乱を呼ぶことになる。そして、プラグマティストのオバマもはっきりとその遠大な目的を意識し、手段に関しては、きわめて冷静に熟慮している、と見る。

民主党大会のオバマの受託演説は、マーチン・ルーサー・キング牧師の演説をそっくりそのまま真似たような演説で、実は、聴いた当初は、人種問題に対して、身を挺して戦ったキング牧師の演説を、たかが自分が大統領になる為の演説に使ってカッコつけるなど不遜だ、と感じたものだが、これは僕の読みが甘かった。まさに、志半ばにして倒れたキング牧師の志を受け継ぐ決意表明した、と考えると、逆に悲壮感さえ感じ、感銘を受ける。

そういえば、選挙期間中、オバマが心の師と仰ぐライト師が、人種対立をあおる過激な発言を行い問題となったり、オバマと左翼過激派団体ACORNなどとの関係が取りざたされた。はっきりいってこれらは100%のデマとはいえず、個人的な予想になるが、オバマもより若いころは、過激な考えを持っており、かつ、今も深層では「白人支配の打倒」を決意しているのではないかと見る。(オバマは、ライト師に対し、本当は、なぜ私の作戦を読んでくれないのか、と嘆いているのではないか。そういえば、選挙期間中、オバマに対して、黒人が、「あなたは本当に我々の見方なのか」と問い詰める黒人がいたが、オバマの作戦を理解しておらず、逆に困らせるおろか者だ。)

そして、実際こうした主張は、客観的にいっても、未だに死を覚悟しなければできない。純粋黒人のコーリン・パウエルは、大統領選に出馬すれば、当選間違いなしだといわれていたが、「黒人が大統領になれば暗殺される」という妻の説得で立候補しなかった。実際、あまりメディアには出ないが、オバマ暗殺の危険性は、よく出てくる話だ。確か白人だけで見れば、55%はマケインを支持しており、KKKのような集団のほかにも、白人の支配階級から見れば、オバマが組閣で、有色人種を多数入れているのは、心穏やかではないのではないかと思う。

オバマにとって、本当にやりたいことは、外交でも経済でもなく、極論すれば「白人支配の打倒」ではないかと思う。しかし、このための手段として、どのような手段が最も効果的か、プラグマティストのオバマは慎重に考えているのではないか。もし、僕がオバマなら、今の経済危機をサッチャーにとってのフォークランド紛争と考える。サッチャーは就任当初、その自由主義的政策に支持が得られなかったが、フォークランド紛争で、国民の支持を得たのを期に、社会主義的政策を片っ端から解体していった。今、アメリカにとっても世界にとっても、緊急の課題は、アメリカ経済の復活であるのは当然だ。ここで、うまく勝利し、大統領としての評価を確立したのならば、本来実現したい人種政策をより力強く進めることができるだろう。一方、アフガニスタンもフォークランドになりうる。既に増派している様子だが、ここも平和裏に解決できれば大統領としての評価を勝ち得ることもできる(かつ恐るべきことにこれは不況対策となる。)確かに、イラクに比べ、アフガンは、戦うに値する大儀に正当性がある。

しかし、経済問題もアフガン問題も解決は難しい。経済については、短期的に回復させることは難しく、必要な財政支出を続けても短期的な効果が出ない場合、気が短いアメリカ国民の失望を招く危険性がある。また、アフガニスタンについては、聞くところによると、イラクより状況は悪く、タリバンは、民衆の支持を得つつあり、一方カルザイ政権は腐敗しており脆弱という南ベトナムと同じような状況にあるとのことだ。(但し、タリバンがアメリカ国内で同情を得ることは考えられない為、そこまでひどくはないが。)

ここでのオバマの戦略は、極端なへまをしないことであり、最悪状況が悪くても悪いなりに国民に説明できていればそれでよいようにも思える。オバマの大儀にとって、最も重要なことは、8年間大統領を続ける、という事実を作ることだと思う。如何に白人の抵抗があっても、8年間、黒人とのハーフが大統領の地位にいれば、その影響は、絶大であり、制度の他、意識も変わっていくだろう。意識の変革というのは実は一番時間がかかるが、アメリカのシンボルが8年間黒人とのハーフという事実はこれ以上ないインパクトだ。そして、もっとも避けるべきことは暗殺されることにあり、その危険性は少なくない。

だから、人種問題はむしろ、特に最初は、表に出さない方が適切ではないかと思う。民主党大会も、大統領勝利演説もそうだが、あんなに露骨に人種の話を前面に出して、大丈夫なのか、とひやひやする。

ところで、ぜんぜん個人の憶測だが、オバマは、実は意外に親日だったりしないのかな、と思ったりする。なぜなら子供のころにインドネシアに住んでいたからだ(ところで、インドネシア語を話せるアメリカ大統領というのは面白い。)まだ、子供だったから、「インドネシアの夜明け」(インドネシアの独立の中心である国軍は、大日本帝国が育てたものであり、インドネシアの独立に、旧日本軍が参加し、命を捧げた者もいる、スハルトは戦後、日本訪問のおり、「恩師」を表敬訪問している。)や、日本のODAによる最大の援助国であることは知らないかもしれないが、おそらく当時も世論は親日的だっただろうし、当時ハワイに移動する際にも、東京を経由したそうだが、そこで、戦後いち早く復興している日本を驚きをもって眺めたのではないかと想像する。一方、今でも時折問題となるそうだが、インドネシアにおける、華僑の経済支配に対して快く思っていない空気も感じていたかもしれない。また、分からないが、ケニアでも、近代史上ほぼ初めて白人を破ったアドミラル・トーゴーや、コダマについては知られているのではないか。麻生首相も、「ベルサイユ会議で、世界に先駆けて人種差別を訴えた日本としても、オバマの就任を祝福する」とか「日系人強制移住に反対したラルフ・カーの恩は忘れない」などと気の利いたことを言えば、オバマも大喜びではないか。関係ないが、ガイトナーは、日本語を勉強していたそうだ。


最後に言いたいのは、当選後に感じたのは、マーチン・ルーサー・キング牧師の偉大さだ。キング牧師が、ラインホルト・ニーバーから影響を受けたのは今日初めて知ったが、彼の戦いは、自分の世代では解決されず、だからこそ、後世に自分の戦いの正当性を主張する為には、非暴力的な運動を行うほうが適切だ、とまで判断したかは分からないが、実際彼の非暴力という戦い方をとったからこそ、その大儀が後世に語り継がれたことは間違いない。

キング牧師最後の演説でこのように言い、最後まで同志に希望を与えた。

私はそこへいけないかもしれない。しかし、今夜、皆さんに信じて欲しいと思う-我々は、必ず約束の地へたどり着くのだ。

彼は、翌日凶弾に倒れた。だが、彼の言葉は、アメリカ建国の理念、人民に由来する人民による人民の為の政府、恐れるものは恐怖のみ、といった言葉と共に、後に子供の教科書に記され、アメリカの子供は、子供のころから、この精神に叩きこまれ育っていった。そして、この教科書によって育った世代が今社会の一線に出ており、オバマ大統領を受け入れる素地を作ったのだ。そして、キング牧師の意志をはっきりと継ぎ、キングが目指した約束の地を目指すのが、プラグマティスト、バラク・オバマである。
 

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2019/1

オバマの就任演説を聞いた。

結構好感が持てた。

それほど美しい言葉を並べ立てるいつものスタイルではなく、どちらかというと、淡々と、現実は厳しく、国民一人一人の責任と公への奉仕、ということを語りかけ、結構具体的であり、一方、オバマの割には感動を売るものでなかった。個人的な趣味としても、実用的な効用としても感動を売るスタイルは適切ではないと思っていたので、こうした姿勢には賛成だ。(そういう意味で、個人的には、気取った感じのケネディの就任演説などより好印象だった。)

印象的だったポイント:
・経済状況は非常に悪い。経済危機に対して、公共事業を推進し、「大きな政府」を是認する。
・テロとは戦う。だが、敵対的行動をやめればこちらもやめる。
・政府はすべきことをするが、国民もすべきことをすべきだ。自分より大きなものに尽くすべきだ。

経済については、一部のばか者のせいだが、国民みんなもそれに乗った、と正しく主張しているところから、ばか者、つまりウォール街には厳しく、大きな政府の社会主義的政策を進めるつもりと受け取った。これはオバマの従来の主張どおりだ。

テロに対しては思ったより厳し目だと感じた。が、それ以外はやはり国際協調主義で、これも従来の主張どおり。

自分より大きなものの為に尽くす、というところは、個人の尊厳が至高、と憲法上定義された国の主張としては、面白いと思う。これについても、オバマも以前からいっており、マケインもCountry Firstだから、実は同じ主張だ。これは、二人とも形式的に言っているのではなく、多分個人の尊厳よりもそうした価値観の方が優れていると感じているようによめる。オバマは、どちらかというと国の為というより、みんなの為、自分より大きなものの為、というイメージで、ニュアンスがちょっとちがう気がする。

この人は、結構効果を考えて言葉を人工的に組み立てる人だ、と感じた。選挙戦は、自分が支持率を得る為、自分をヒーローと思い込ませる効果を目的として演説を組立てていたが、今回は、逆にヒーローと思わせないで過剰な期待を抱かせないで、逆に国民に現実と責任を自覚させる効果を目的として組立てており、使い分けているように感じだ。昔、自分もこうした方法を実践していた時期があるのでよく分かる。このタイプの人は、言葉は完全に手段と捕らえており、感情が切り離されている為、言葉自体から本心を読むのは難しい。しかし、組立ての意図を読むやり方をすると、逆に本心がものすごく分かりやすい。この場合、言葉と感情が切り離されているからうそつきだ、という見方は僕はしない。ただ、その意図を読んで、その是非について評価する。今のところ、オバマの意図自体にそれほどわるい意図は感じないので、むしろ巧みな政治家と評価する。

その他感じたのは、就任式自体、やはりキリスト教がベースとなっている、ということだ。信教の自由、といっても、建国者たちにとっては、それは、旧教に対する新教の自由で、新教こそアイデンティティーなので、まあ、それが現実だろうし、それでよいと思う。就任式でも、人種や宗教に関わり無く、アメリカの価値観に忠誠を誓うのがアメリカ人、というようなことを誰かが言っていたが、歴史から考えれば、実際のところ、その価値観に、新教、少なくともその優位を認めること、ははいっているのではないかと思う。そうでなければ、ナショナルアイデンティティーの崩壊だ。(ちなみに、ワシントンは、宗教の必要性について述べており、(主にフランスのひどい状況を見て)世俗国家には反対していた。)