トランプは、何気に結構好きだ。国益第一というのは当然だし、メディアに屈しない。

また、メルケルの移民政策とか原発とかはなんか違っており、AFDの方がまともな事を言っているように思う。

私は右翼なんだろうか?

 

メルケルは、支持を得る事を目的とし、建前や耳障りのよい政策を採る。

トランプは、アメリカの国益を目的とし、メディアと戦う。

 

大衆の支持を得る事自体を目的にするなら、ポピュリズムはメルケルの方だと思う。彼女の下で、CDSは左傾化し、移民も原発も、以前の方針を翻した。

 

そもそも、建前や耳障りのいいことだけいうのは、偽善のように思う。人間、そもそも成人ではなく、欲なり悪性なり持っているのが自然であり、それ以前に自分個人の利益が大事であり、またそうした生命としての前提を受け入れて初めて政治なのだと思う。これらをなかったことにすることは、共産主義であり、フィクションであるように思う。問題は、このフィクションが、大手を振って、その結果、当然の個人の利益がないがしろにされる事は避けるべきであり、また、偽善であるように思う。

 

メディアの意見は、国民の平均意見ではなく、Facebookと同じで、ポジティブな面、建前が出てきやすいとみる方が自然だ。

 

トランプの場合、迎合的とか、ポピュリストとか言われるが、メディアに屈せず、共和党主流派にも従わず、声なき声を代弁しているのだから、勇敢な事であるように思う。メディアのトランプ叩きが異常で、権力の監視とか、言論の自由とかのバランスを逸していると感じる。

 

アメリカにとって、長期的な最大の脅威は、中国に覇権を奪われる事であり、この長期的課題に真正面から立ち向かうのが、アメリカの指導者の歴史的使命であるように思う。その意味で、そのために、ロシアと融和する、というのも戦略上妥当だ、と思ったら、これはキッシンジャーがそう助言しているらしい。これは、ソ連、中国、アメリカの三角関係から、中国に接近したキッシンジャーだからこそ、逆に、中国が強大化している今は、ロシアと組んで、中国と対抗する事が正しい、といえるのだろう。キッシンジャーが中国に接近したのは、中国がすきだからではなく、当時の情勢上、それが、国益にかなうからと判断したからにすぎず、今ロシアと組むべき、というのは、国益第一主義の観点では全くブレてない。

また、自由貿易や温暖化についても、それが、アメリカの国益につながるか、という事については、大きな疑問で、例えば、Natoの負担がアメリカが異常に多いのはアンフェア、というのもその通りで、本質的にバランスを逸したことをしているわけではない。移民についても、無制限に許すと大変なことになり、そこに歯止めをかけるのは、自然の摂理であるように思う。

 

個人的には、シリアやイランに対する姿勢には賛成しない。脅しを使うのはありだが、本当にやってしまう、国力を消費するのは国益にかなわない。(但し、実際に戦争はせず、脅しだけ、最大限に行う、という事を意識的にやっているなら大したもの。)

 

やり方が不器用だとも思うが、わざと炎上商法を使っている気もしないでもない。

 

よって、同じ国益至上主義の、プーチンや、安倍首相等とはウマがあい、メルケルとは合わないのもわかる。

 

AfDについても、言っている事が、それほど過激だとも思わない。

そもそも最近の選挙で躍進をしているのは、CDSが左傾化し、右寄りの意見の行き所がなくなったのが原因の一つだろう。

EU離脱というのはれっきとした一つの主張だし(ただ、EUROは、ドイツに有利だと思うので、これ自体が国益にかなうとは思わないが)

エネルギー政策、移民政策、も見る限り、いたってまっとうだと思う。

AFDも、主張を穏健化させ、まっとうな事をいっているように響かせれば、より支持は高まると思う。

ちょっと危険な事を書くが、ついでに言うと、AfDの歴史修正主義の考えも、おかしなことではない。ナチスの悪も脚色されているし、それについて議論さえできない、というのは言論の自由に反する。(ナチスがいい、と言っているわけではない。あくまで、現実から遊離した過剰が問題だと言っている)。個人的には、過剰に厳しいベルサイユ条約にドイツ人が怒るのは当然であり、また、アウシュビッツにも行ったが、一日千人殺して償却するのは物理的に不可能であり、その事実の根拠も、拷問による自白である。カンボジアのツールスレンに行ったが、どくろの山がいくつもあり、大虐殺とは、こういうものだろう。それがない。頭蓋骨を粉々に砕くなんて面倒なことするか、と思う。確か、世界のユダヤ人の人口も、600人殺されたといわれているが、統計上この時期増えている。繰り返すが、強制収容所は一つの悲劇なのは疑いない。が、過剰に脚色されている点、それさえ議論できないのは問題だと言っている。

 

ある意味、AFDの台頭とナチスの台頭は、確かに、似ている。政治が過剰に偽善に振れたことに、大衆が幻滅し、現実的な事、人間本来の生理を当然の権利として力強く主張する事に流れたことは変わらない。そして、これ自体は悪ではない。ナチスを反省するのなら、それを発生させた過剰な偽善を、逆の過剰に振れた際の歯止めと共に、検討するべきだろう。

 

AfDもトランプも、今は、それほど、過剰な事を言ってるわけではない。

 

自分は、別に、排外主義でもなければ、自国が良ければ他国が過剰に不利益を被っても問題ない、という考えでもない。でも、トランプやAfDは好きであり、支持する。