ちょっと前に、キューバ、メキシコを旅しました。その場所にいると、いて初めて思い立った疑問があったりしたので、それについて書いてみたいと思います。
○何故、中南米は経済発展せず、北米は発展しているか?
これは、結構前から疑問に思っていた。結論から言うと、北米は、実質ほぼ白紙の状態から、イギリス人が、市民革命後の近代社会を本国から移植し、トクビルのいう、アンシャンレジーム(旧体制)が無かった、一方、先住民は、アステカ、マヤほどの文明はなく、一方、多分、プロテスタントかアングロサクソンの特性なのか、先住民と融合する、というより、徹底して虐殺する、という性向があったのだろう。
来てみてなるほどな、と思ったのが、実は、中南米は、北米よりも歴史が古く、スペイン人がまずついたのも、中米の島で、支配は南に向けて進めてきた。北米、というのは、多分、スペイン人から見ると寒くてやってられなかったので放置してたのだろうと思う。コロンブスのアメリカ大陸「発見」が1492年だから、1500年ぐらいから、数百年中南米を支配してきていて、つまり、そのころからの支配の歴史がある。その時期って、レコンキスタが達成され、その勢いでスペインが欧州最強国の時代で、だから、大航海時代も先頭を切ったんだろうが、一方、その時のスペインは王国の時代で、スペインが近代社会になるのなんで、むしろ欧州でも相当後の方で、つまり、その時代の支配の関係を支配地にも持ち込んだ、ということになる。この時のスペインの支配のやり方がいかに畜生か、ということは、後で書こうと思うが、エンコミエンダ制というらしいが、その土地の住民を奴隷として労働力として利用し、農鉱業を行い、その産物を、貿易で売り払う、ということをやっている。その時々の社会の変化があるが、基本、副王という君主の代理人、もちろん基本スペイン人だろうが、が支配しているが、本国と距離が離れて低、一方、本国の連中は、植民地など、砂糖や金銀を送ればよいとしか、思っていないので、植民地の無理を要求し、植民地側の支配者層は、当然それが不満になって、それぞれ独立に向かっていったりする。で、北米との違いとしては、まず、そんなわけで数百年の歴史のあるアンシャンレジームがあって、北米のピューリタンみたいに、ゼロから「丘の上の町」を目指す、みたいな、高尚な精神は実現しようもないし、そもそもそんな発想さえ出てこない、というところ。このアンシャンレジームと自由主義の対立、というものが、ぐちゃぐちゃと続き、これが近代化を妨げる主な要因となる。白人だから統治がうまい、というのは、100%事実でなく、南米社会の支配層は、どこも大体白人だが、それでもいわゆる先進国はない。中南米が豊かでないのは、産業社会に適さない、前近代的な社会体制の歴史が足かせになったことだろう。
○何故、北米と異なり、中南米は、元スペイン領であるにもかかわらず、国がバラバラなのか?
歴史がある分、広範な地域にわたって、支配体制が広がっていたから、当時文明社会が東部によっており、利害も比較的一致していたアメリカ合衆国の場合と違い、それぞれの地域でばらばらに独立する、というのは自然の流れだったのだろう。南米諸国の独立の英雄シモン・ボリバルは、大コロンビア共和国、という構想を描いたそうだが、最後には、結局「海を耕すようなもの」と絶望したらしい。こういうのもあって、アメリカ合衆国からの干渉に影響力を発揮できない、ということがあるのだろう。でも、チェ・ゲバラなんかは、南米横断旅行をしているようで、アルゼンチンから、チリやメキシコなどいろいろ旅しているが、そもそも、先住民文化はスペイン人とポルトガル人が破壊してしまい、今南米の文化の下敷きは、スペイン・ポルトガル(つまり、まさに「ラテンアメリカ」)にあり、言葉もスペイン語か、それに近いポルトガル語なので、文明としては大方同質ということはいえ、つまり、国いうのは、尾張と駿河、という程度の意味しかないようにも思える。
こういうの考えると、アメリカ合衆国の方がむしろ奇跡で、特に、アレクサンダー・ハミルトンは、本当に天才すぎるとつくづく思う。邦がバラバラでは、他国の干渉に対応できないと、自分の自由にしたい各邦に抗して、一貫して、アメリカは一体であることを主張し、ローマ史、市民革命後のイギリス社会を研究し尽くし、その美点を理解し、アンシャンレジームとは異なった新しい国民国家の制度を打ち立てる一方、後の時代の社会主義者と異なり、旧体制を全面的に否定し社会の根幹を破壊することを避ける為に、同志であるはずの愛国派に対して戦い、かつ、その社会の将来は、農鉱業ではなく、工業と貿易に置くべきと主張した。。。また、南北戦争のその当時で見た正当性はよくわからないのだが、合衆国の統一を維持しながら、南部連合、という、前近代的な政治体制を完全に破壊するということを行った、リンカーンは、建国以来の懸案を解消し、世界最強国の礎を固めた、という意味で、確かに偉大なのだろう。もし、アメリカ合衆国の南部がそのまま独立していたら、その南部は、前近代社会体制となっていただろうし、北米大陸はより分裂し、内部対立および帝国主義の干渉を許し、南米と似たようなじょうたいになっていたことも考えられる。
○各国の植民地政策について
まず、旅してみて思うのが、人種のるつぼというのはよくわかり、黒人、白人、メスチソなどいろんな人種がいる。一方、原住民は、いわゆるネイティブアメリカンで、モンゴロイドで、なぜ、黒人や白人が、と思うと、壮絶な歴史があって、今日の人権思想の発想からすると理解できず、動植物の反映と絶滅、みたいな味方でないと理解できない。国によっても違っていて、キューバなどは、原住民は、虐殺と疫病で全滅してしまったらしく、今や白人と黒人の国になっている。(が、社会主義思想のおかげで、人種差別、という考えはないとのこと。)メキシコは、いわゆるメスチソ(白人とインディオの混血)の割合が一番大きい。いわゆるラテンアメリカで、アステカ、インカ、マヤの中心である、メキシコ、ペルーあたりは、いわゆる原住民もそれなり今もいるそうだが、キューバや、ブラジル等、少なく、アルゼンチンは白人の国だ。一方、アメリカ、カナダもいわゆる白人の国といってよいだろう。
スペイン人のやっていること、というのは、まず、原住民の文明を破壊し、彼らを奴隷としてこき使い、当時は産業革命前だったので、農業や鉱業などの、植民地経営を行った。支配、虐殺しただけでなく、疫病がもっと厄介だったらしく、このヨーロッパ人が持ち込んだ疫病に対する免疫が、当時のいわゆるインディオにはなく、インディオは大きく人口を減らすことになる。その結果、植民地経営をする労働力がなくなってきたから、奴隷貿易で、黒人を、アフリカから連れてくることになる。スペイン人の原住民支配のやり方は徹底していて、アステカを支配する時、アステカの都の湖に浮かんでいる宮殿を根こそぎ破壊し、その湖を埋め立て、そこにスペインの宮殿や教会を立てる(今のメキシコシティのソカロとか)という徹底ぶり。ヒトラーも顔を青ざめる鬼畜ぶりだ。日本が戦争に負ける時に、京都に原爆を落とし、靖国神社を潰して代わりにドッグレース場を作るようなものだろう(これら、本当にありそうだった話)。メキシコシティーだけじゃなく、メキシコの多くの都市で、カテドラル(教会)があって、ソカロがあって、まず最初にシンボルから入っている。今、メスチソは、メキシコの主要民族だが、白人とインディオの混血ってことは、つまり、白人にレイプされたインディオが生んだ女性の子孫、しかもこれが、主要民族になっている、ということを考えると、どれだけやらかしたんだ、という感じ。ムラートとかも同じ話だ。自分がもし、コロンブスになったとして、未開の地を冒険して、そこで、原住民を発見した、として、それを虐殺して、宮殿を根こそぎ破壊し、全員奴隷化する、というとこまでやるかな、と想像力が及ばない。そこで、なぜそこまでやるか、と考えると、ヨーロッパでずっと続いてきた戦乱の歴史、十字軍やレコンキスタ、という異民族との戦いの中で、自分と異質の集団は、情けや手加減を見せると、逆にしっぺ返しを受ける為、カルタゴ的に徹底的に破壊し、物理的に弾圧する他にも、その精神的柱を破壊させることが、「合理的」だという、「歴史の教訓」を得ており、その鉄のルールをそのまま、新大陸で適用した、ということなのだろうと思う。多分判断基準は、キリスト教徒か否か、というところで、多分当時のキリスト教というのは、宗教であるとともに、憲法というか社会のルールであり、キリスト教徒=自分たちと同じルールを理解できる人たち、で、そうでない人は、人ではなく、蛮族、動物であり、同じ人、というカテゴリに属するとみなされなかったのだろうな、と思う。そして、ラテンアメリカの革命と独立、というのも、別に民族独立、という文脈ではなく、白人が本国から独立している、というだけの話である。そして、今に至るまで、社会の上層部は白人で、インディオは一番低く、貧しいグループに属する。
アメリカ合衆国(とカナダ)との対比で考えると興味深い。アメリカ合衆国の場合、創世記にはいろんな集団がいろんな目的で北米に移り住んでいるが、いわゆるピューリタンが、旧教からの弾圧を逃れ、「丘の上の町」を創る、という理想に燃えていた、というのが根本にあり、アメリカ合衆国の建国でも、似たような理想主義がベースとなり、これが今日続く民主主義を中心とした、世界の政治の潮流の先駆けとなっている。そうである一方、だから、いわゆるインディアン(ネイティブアメリカン)というのは、ピューリタンが、自分達の理想社会をつくる為の邪魔な存在だから、奴隷化するのではなく、根こそぎ虐殺し、虐殺後の無地のキャンパスに自分たちの理想社会を別途新しく作り出す、という動きとなる。ジョージ・ワシントンなどもインディアンを徹底して虐殺した人とのこと。スペイン人と違い、アメリカ合衆国はなぜインディオを奴隷化しなかった、というのは興味あるところだが、ちょっと見ると、北米のインディアンは、より誇り高く、従順でなかった、との説明。後は、旧教と新教の、或いは、スペイン人とアメリカ人の異民族に対する認識にも多分違いがある気がして、イスラム教徒と長いこと戦い続けてきたスペイン人は、異民族の存在に慣れ、同じ領域で生活する、ということもある程度日常だったのだろうが、新教徒、イギリス人は、異質な他人と共存する、という発想がそもそもなかったのではないか、と予想する。実際、イギリス民族は、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、等、先住民を根こそぎ根絶し、自分たちで完全に新しい社会をそこに作る、という性向を実際に示している。このほか、スペイン人支配地域は、アステカ、マヤ、インカなど、高度な文明があったので、根絶しきれず、そこも、北米と違うのではないか、と予想する。そういう意味で、アメリカ合衆国は、異質な他者を排除してた上で、「丘の上の町」であり、ある意味偽善的といえば偽善的で、こうしたアメリカ的偽善、もこうした建国の背景によるところもあるのだろう。で、アメリカの理想は、「丘の上の町」だから、当然、その町の中は、高度な理想社会でならねばならず、高度な社会が発達していくことになる。かの有名な、合衆国憲法もこの文脈の中から生まれている。ただ、奴隷貿易の悪は、アメリカでは今も度々語られ、それを克服したのがリンカーンやキング牧師、といういい方が、されるが、そういえば、いわゆるネイティブアメリカンについても、同じ意味で、悪だと思うが、これが問題であり、克服されてきた、というような話は僕は知らず、多分あるのだろうが、黒人に比べあまり聞かない気がする。Political Correctness(PC)の話はあるが。
こういうのを眺めると、スペイン民族と、イギリス民族は、どちらがワルか、というのは興味深いところ。いちおう存在と共存を認めたスペイン民族の方がまだまして、イギリス民族の方が、実はワルという気もする。一方、アメリカは、その「丘の上の町」を作りきった後に、そこに対して、あらゆる人種が入る道を開いており、差別はあるが、それをいけないことだとはっきり教育している、という意味で、今ではもちろん、いまだ社会の階層、差別が残る、ラテンアメリカよりは、良いのだろうと思う。
こう考えると、日本は、卑弥呼の時代から、いわゆる大和民族(まあ、沖縄、アイヌの話はあるが)でやってきており、メスチソ、とか、アステカの宮殿に対する複雑なアイデンティティー、など、自分は何者なのか、といったことを悩むことはない状況にある、大変幸せな民族で、極東という地理的環境と、先祖の頑張りに改めて感謝する気持ちになる。また、一方、植民地経営は、客観的に大成功で、少なくともこんな連中に植民地支配を批判されるいわれはない、と改めて感じる。朝鮮、台湾、満州で、民族が根絶させられたり、混血が社会問題となっている、ということはない。これは、ドイツ人がフランス人に対するような対応であり、要は相手を、蛮族ではなく民族とごく自然にみなしており、動物として扱おう、という発想がそもそもない、ということと、日本は当時国際社会に受け入れられることを切に願っていた為、基本行儀がよく、国際法の優等生でもあった、ということもある。台湾を文明化したのは、日本といっても間違いなく、朝鮮も、隷属的状況を脱し、社会の仕組みを整え、教育を普及させたのは、帝国政府といってよい。いずれにしろ、スペインの中南米支配、イギリスのアメリカ支配、後英仏などのアフリカ支配の方が、圧倒的な圧政である。