今回は適当に思ったことを書いてみる。


今日地デジ対応などもあり、せっかくなので薄型テレビなどを買いに行く。さらに、ついでにほしかった無線LANも買ってみる。


実は仕事の割に超めんどくさがりで、ローテク派なのだが、ちょっとその気になってみると、家電の進歩ってつくづくすごいと感じる。実は無線LANに感動。いい加減ワイヤレスでNotePCを使いたかっただけなのだが、当然ルーターにもなり、会社PCは、ワイヤレスでつなぎ、好きな場所でPCが使えるほか、自分のPCはデスクトップなので有線LANでつなげ、さらに、スマートフォンもWiFiでつなげられる、というのに今さらながら感動。回線の遅さも全然感じない。今までは、いちいち有線LANのコードを付け替えて部屋のPCを使っていたので、かなり楽。あと、部屋で、スマートフォンは結構使うのだが、YouTubeで画像を見ていると、今まで回線が遅くて、中断したりしていたが、それがなくなり、サクサクスマートフォンができるのも感動。スマートフォンでバーコードを読むのは初めてつかったけど、読んだ瞬間関連サイトに飛んで、ほとんど難しいこと考えずに、WiFiが使える、というのはいまさらながら、バーコードって便利で、それをスマートフォンで読めるのって、便利だと感じる。


無線LANって、意外にすごいな、と感じる。ネットワーク家電とか言うけど、これがあれば、結構できちゃうんだと、今さらながら感じる。やっぱり、ポイントは、デバイス以上にミドルウェアだ。無線LANを通じて、PC、スマートフォン、テレビなどもつながり、あと、みていると、NASというネットワーク対応のHDDがあり、これれが一つにつながり、しかもワイヤレスでつながる、と考えると結構すごいと思う。すでにPSPでは、録画した画像を、PSPでも見られる、なんてものもできるようで、画期的なように思う。たぶん、端末の能力を考えれば、スマートフォンでもその気になれば、普通にできるんだ、と思う。テレビ、スマートフォン、PCは、端末(インタフェース)であり、これらの間で、データを共有したり、ある端末から別の端末を操作できる、というのは、すごい。レコーダ(今ビデオっていわないんだ、と初めて知る)にとってある番組を元のテレビとは違うテレビで再生する、スマートフォン上でとった動画をNASに上げ、それを、デジタルテレビや、PCで見る、しかし、音はオーディオで鳴らす、ということも普通に出来るみたい。そのスマートフォンの無線LAN設定をやると、そのアプリのインストールも勧められる。スマートフォン上にあまり、重たいふぃあるを置きたくないが、これが、家のHDDにおいておける、というのもよさそう。で、その無線LANというのは、外部のネットやそれに基づいたサービスの中継地点となり、例えば、アクトビラというのがあって、要は、レンタルビデオのかわりに、いきなりネットにつないで、自分のみたいコンテンツに金を払ってみる、というサービスがあるようだが、外部とつないで、そうしたサービスを利用することもできる。もちろん、オーディオなんかもつながるんだろう。とすると、例えば、今自分はPCを使っているが、PC上で、ダウンロードする曲を選んで、NASに入れといて、それを、オーディオ上で、再生する、なんてこともできるのだろう。これってすごいな。テレビ、PC、スマートフォン、(オーディオ)というのは、実は、どれも、概念的には似たような機能をもっており、ただ、それぞれ用途があり、たとえばテレビなら、画像が強い、とか、特徴があり、その機能の強さのバランスが異なっているというだけだ。、が、逆に言うと、どの端末もそれぞれ、それぞれの機能をそれなりに持っている。そういうい、似たような端末、というのが、一つのネットワークでつながり、相互操作が可能って、すごい可能性だと思う。そうすると逆に、無線LANと、共有ストレージとしてのNAS、(とそれらをつなぐソフト、アプリケーション)というのが、実はかなり重要になるというように思う。


にしても、この可能性を思い、ちょっと興奮した。こういうのは、仕事のシステムの発想に相当通じるところもあり、かなりの関心ポイントだ。ちょっとデジタル家電を趣味にして、相互にネットワーク化させることを、趣味にしてみようか、とふと思ったくらい。ネットワーク家電ってこういうことか。これはすごいな。


デジタルテレビについては、ちょっと買う気になってみてみると、結構いろいろあり勉強になる一方迷ってしまい、なかなか奥深い世界なんだとつくづくと感じる。3Dテレビというのは、おまけ機能であって、新しいテレビには、結構普通だったり、テレビにHDDが入ってて録画ができる機能が結構普通とか、それどころか、DVD、ブルーレイまでもはいっている、のも普通のオプションとのこと。デジタルだから、画面分割なんかもでき、PCをやりながら、テレビを見るとかもできるのだろう。そういうば、PCのディスプレーとしても使えるらしいので、けっこうファイルを複数開いて仕事しなければならないときとか、大きい画面が使える、というのは能率よさそう。フルハイビジョンという画像が細かいのとか、コントラストの鮮やかさ、とか、ピカピカのディスプレイか、つや消しディスプレーか(ノングレアとかいうらしい)、動きの滑らかさ、とか、きれいな画像を追究する世界もいろいろ深い世界があるんだな、としみじみ感じる。


今さらながら、技術の進化は日進月歩だ。記憶媒体なんかも、磁気媒体なんて世界でなく、HDレコーダやら(今さらながら、今ビデオって言わないんだ、と学んだ)、ブルーレイやら、昔とは別次元の容量と速さでデータが扱えるようになっていて、ディスプレイは、薄型テレビと、スマートフォンなど、これまた別世界で、さらにこれらがネットで全てつながってしまう、というのだから、破壊的イノベーションが、連続して起こっているぐらいの勢いのように思ってしまう。


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最近、家電屋にいって、毎回せつなくなるのが、こんなにすごいものがなんでこんなに安いのか、ということ。薄型テレビなど、32型で、40000円以下なんてのも普通にある。まあ、安い分には、消費者はいいんだろうが、年もとってきて、経済のこともそれなりに考えると、正直こんなに安くなってはいけないんじゃないかとさえ思ってしまう。世界的には、サムスンと、LGも主要プレーヤーで、ついに日本の家電量販店にもLGがでてきたが、世界的にも、この業界は、過当競争が進みすぎており、皆が倒れていくチキンゲームをやっているということを感じてしまう。競争こそ資本主義、というが、過当競争、というのは、資本主義の悪い側面で、昔の日本みたいに、業界の中で話し合って、それぞれそこそこに生存空間を確保しながら競争する、という方が建設的だと思う。カルテルとか談合とかいうが、要はバランスの問題ではないかとと思う。


資本主義は厳しいといえば、今日は、ある家電量販店に言ってきて、いろいろ見てきたのだが、そこは見るだけで、いろいろ考えた挙句、カカクコムで購入を決めた。自分でやっておいて、言うのも何だが、こういうカカクコムみたいのも、ちょっとやりすぎのような気がする。大手家電量販店の支配、というだけでも、弱者が淘汰されて、限られた勝者が総取りする仕組みで、ちょっとやりすぎなような気がするが、カカクコム、というのは、さらにその先をいっており、究極の能率化だ。こういうのがはやりすぎると、安さで勝負する一方、真面目に店舗をもって、販売員を教育するような、商売をやっているひとからみても、やってられなくなるだろう。


ものと情報が瞬時に、世界中を駆け回る、ということは、自由放任でこれをほおっておく、というのは、こうしたチ資本主義のチキンレースを助長することになり、さらにこれは、強いものがますます強くなり、弱い者が奴隷になっていく傾向をも助長することになる。


そういう意味でも、規制、には、ある程度の合理性もあるのだろうが、国内レベルでなら、何とかできようが、それが良い悪い以前に、今の社会は、経済活動がグローバル化しており、規制をしようにも、規制をかける権力が集中化していないから、やりようがない、という点が恐ろしい。国連やWTOがあるといっても、逆にそのレベルだ。


家電量販店に行くと、いつも感じるのは、最新科学博物館、というのと、資本主義の恐ろしさ、だ。


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菅さんは、僕もやめてほしい派だが、ただ、一面ちょっとかわいそうにも思わなくもない。


結構、ときどき、ニコニコ動画とかで、国会答弁も見るのだが、メディアがいっているよりも、まともなことを言っているように思う。


「やめるといったのにやめない、それは権力欲だ」とあるが、「震災対応が必要な時に政治空白ができ、かつ与党が分裂する、ということになれば、民主党にとっても、日本にとっても大混乱だったから、(僕にはそう聞こえたが)あえてフェイクをつかった」というようなことを暗にいっているように思ったが、それにはたしかに一理ある。また、ストレステストの件も、要は、「やっぱりもうちょっとしっかり確認した方がいいんじゃないの」という判断で、再稼働を一度やめ、再度検討してもらうようにいった」ということで、「ストレステストOKにならなければ、一切原発は動かさない」と断定的に言っているわけで、それ自体、まあ一つの判断だろうと思う。「やめるといったのにやめない、それは権力欲だ」とか「首相が勝手に梯子を外した」という論調は行きすぎだろうと思う。が、メディアとは、恐ろしいもので、そういう行きすぎた虚構を、象徴的な単語を、断片的に奉じることで、あたかも本当にあったことのように偽装しており、さらに恐ろしいのは、そのメディアのフィクションに乗って、周辺も、国民も判断するようになる。これは恐ろしいことだ。

たしかに、やめる件は、「じゃ、なぜ、今はやめないのか、やめれば、大連立で丸く収まり、菅さん以外は、被災者も含めて皆嬉しいはずなのに」というようには感じる。僕もそれを望んでいる。たしかに、長年の夢がかなったところで、カッコ悪いままで、首相を辞め、政治生命を終えるのは、納得いかないのだろうし、個人としても同情は感じるが、特に今は、個人の感情にこだわっている時ではない。また、ストレステストの件についても、やはり唐突感があるのは事実で、仲間にはもっと相談すべきだろうと思う。そういう意味では、やっぱり器じゃない。


ただ、最近いい傾向だと思っているのは、民主党も、このままいけば、デッドロックとなり、政治はなにもできなくなることを理解し、与野党協力の必要性と譲歩を理解し、自民党も、さすが長年与党だけあって、無責任な反対はせず、政党として対立関係はあろうが、国のために必要なことについては、なんとか合意し、行動するメカニズムを作っていこう、という動きはなんとなく感じる。これは、アメリカの政治に存在するもので、こうしたこと、慣習は、日本でも作られていくべきだと思う。そういう意味では、特に震災の件もあり、対立があっても、ものがきまる仕組み、というのをお互い考え始めている、というのは、良い傾向だと思う。