反応:
ある意味当り前ではあるが、興味深いことに、(オバマが演説でイラク戦争を批判しているにもかかわらず)、演説を支持しているのは共和党で、不支持なのは民主党のようになっている。ただ、たとえば、支持派であっても、タイムテーブルの設定に批判的な人は多く、マケインもその一人のようだ。アフガニスタン戦争への国民の支持も35~45%ほどで、不支持の方が多いようだ。記事の反応を見る限り、ホントにこれで大丈夫なのかよ、結局だめじゃないの?、コストがかかりすぎる、タイムテーブルは設定すべきじゃない、など行動そのものに反対なのか、目的には賛成していても、戦術に反対なのか、あるいは、賛成だがもっとやるべきだ、ということなのか、両方のベクトルから、いろんな人間がいろんなことを言ってくる。本当は反対意見にもいろいろあり、それぞれの意見は、どの部分について政府に反対で、代替案は何か、というような、論理的に考えることに意味はあると思うが、メディアの世界というのは論理よりも感情で動く世界である為、右から左から細かいことにケチをつけられることにより、結局はネガティブな雰囲気が増幅される、という結果になる。こういうのは、日本の政治に顕著なようだが、アメリカの政治にもあるようだ。
オバマの支持率より不支持率が初めて上回ったらしいが、これはまあそうなのだろうが、ちょっと公正な判断ではないように思える。ブッシュが、支持率が高い当時「支持率というものは、豊な政治を行うための資本に過ぎない」と述べたのを覚えており、決断自体には論議があるにせよ、世論の反対にあっても正しいと信じた決断を行っており、ブッシュ自身それを誇りにしている。オバマのようにみんなに支持される正義の味方を演じてきた人が、世論の支持を失った際に、どのように振舞うか、興味のあるところだ。オバマが試されるのはまさにここからだと思う。
海外の反応と日本:
まず、オバマは、NATOに1万人の増派を要請し、とりあえずNATOは、7000人の増派に応じたとのことだ。とりあえず、イタリア1000人、グルジア900人、ポーランド600人、英国500人、スロバキア250人、ポルトガル150人、アルバニア85人だそうで、フランス、ドイツは、国内世論の反発があるため、未決定だそうだ。特にイラク戦争などでは、意見を異にした国もあるが、協力すべき時には協力し、試練に晒される友人に対し、友情を行動で示している、という姿勢に感銘を受けた。多国間で平和を守る体制として、集団安全保障主義と、同盟主義がある。集団安全保障、というのは、ほぼすべての国が参加するがゆえに、抽象的な目的に基づくものであるのに対し、同盟、というのは、難しく定義すると、特定の国との間で、特定の具体的な利益に基づいて結成されるというものだ。よって、集団安全保障は、単に道徳律に過ぎず、具体的な紛争が起こった際には、関係国間で利害が異なるがゆえに具体的な平和の定義ができず、参加国は行動しない理由をいかようにも作ることができ、機能しないことが多い。それに対し、同盟の場合、ある国の安全が脅かされた場合、同盟国は、自国への脅威ととらえ、具体的に共に武器を取ることを意味している。もっと言うと、同盟とは、Friendということである。今回も、NATOは、Friendとしての義務を誠実に果たしている。
派遣をした国についてだが、まず、グルジアは、NATO非加盟。グルジア、ポーランドについては、ロシアに脅威から国土を守るために、アメリカの友情を必要としているがゆえの派遣だろう。アルバニアについては、2009年4月に加盟したばかりで、またEUに加盟を申請しているそうだが、これは、国際社会から求められる義務をともに果たすことで、EUに対して自らの加盟の資格があることを示す意図ではないかと思う。アルバニアは昔高校の地理では、鎖国政策をとっている不思議な国という印象だったが、今調べてみると、その後市場経済に移行し、国際社会への復帰へ苦闘してきたようだ。つまり、これらの国は、アメリカの友情を得て国を守り、国際社会に受け入れられるという目的の為、自ら闘っているといえる。そう考えると、アフガニスタンに派遣されるアメリカ兵の多くと、これらの国のアフガニスタンの戦争への参加の理由は、同じといえる。増派はさておくにしても、NATOのほぼ全加盟国、非NATO加盟国でも、ロシアの脅威にある国など参加しており、また、ボスニアなどのほか、イスラム教のヨルダン、UAE、平和主義のスウェーデン、フィンランド、アジアからシンガポールが参加している。
ところで、英国は、アメリカと共に歩んできたのだから、まあ、要請にはこたえるのだろうが、イタリア、スロバキア、ポルトガルについてはよくわからない。特にイタリアは、なぜ1000人も派遣するのだろう。
様々な国が、Friendとしての義務を果たすため、自らの生存空間を勝ち得る為に、アメリカと肩を並べて戦っている。そういうのを見るにつけ、日本というのはいかがなものか、と感じてしまう。直観的にも、ボスニアやシンガポールのような小さく、さらに同盟国でもない国でさえ参加し、また、スウェーデン、フィンランドのような、同盟でなく、かつ平和主義をとるような国でさえ参加しているのに、同じくアメリカのFriendであり、かつもっとも強大な国が、参加できない、しかも、アメリカが最も友情を必要としている時に、それに応えられない、というのは単純に情けないように思う。日本人だけの論議で見れば、憲法論や歴史の経緯など難しい論議があることはもちろんわかるのだが、国際社会から見れば、日本国内の論議など神学論争に過ぎず、危険を避けるための屁理屈としか受け取られないだろう。言語が違う人とコミュニケーションを取るためには、「ロジカルに」、「意図を」伝える、という必要があるが、僕個人、日本がアフガンに参加しない理由を、外国人に説明しろと言われ、ロジカルに説明できる自信が全然ないし、自信を持って日本の考えを語れ自信は更にない。
自衛隊は現行法では武器使用が認められていないようだから、給油活動しかできない、というのは現実的に仕方なかろう、ISAFに参加した方が筋はとおるが、その際には、武器使用など現地に派遣される自衛隊が国際基準で活躍できるよう、法整備をすることがセットだ。以前は小沢さんが、今は北沢防衛相も、自衛隊のISAFの参加を検討しているようだが、そうした法制度の整備がないまま自国民を戦地に派遣するのは偽善的な行為であるように思える。今は、給油活動がぎりぎりの線で、恥ずかしいことだが仕方がない。
しかし、その給油活動さえ止めてしまい、結局金しか出しません、という結果になり、それだけでも、特に友情を必要としているアメリカからは失望と軽蔑を買う。さらにそれだけでなく、東アジア共同体を唱えてみたり、すでに決まっていた普天間基地の移転問題に難癖をつけてみたりと、ちょっと前の言葉でいうとKYで、テロの危機にあり、それに対抗して、世論に抗して、増派を決定し、国際社会に対して友情を求めるアメリカからみれば、このような行為は、長年のFriendに対する背信行為と取られても仕方あるまい。長年のアメリカとの友情を、あえて明確に切り捨て、中国への忠誠心を示す、というはっきりした意図を持っているなら(僕は大きく反対だが)一つの考えともいえる。しかし、そうした意図も覚悟もなく、単に選挙時に行ったバーゲンとの整合性を取るだけの為に、このような決定になっているのだから情けなく、さらに、アメリカや国際社会の雰囲気を、全く理解しておらず、こんな内輪の論議をあたかも大ごとのようにとらえているところがさらに情けない。
普天間基地移転問題が話題となっており、昨日ルースアメリカ大使がめずらしく激怒したそうだが、恐らく、日本人が生意気だから激怒したのではなく、アメリカの状況を全く理解しないで、子供じみた態度を自立の証だと勘違いしていることに激怒しているのではないか。かつて日本のアメリカへの経済進出に対し危機感を強め、日本企業を抑えようとする議会に対し、日本は安全保障上あまりにも重大な国であるとして、尽く反対したジョンマケインは、フセインの侵略への侵略に対し行動しない日本に対し、誰よりも強く批判しているが、マケインなら、こうした姿勢に怒り、失望するに違いない。
普天間や東アジア共同体の話は今回はしないが、中国との関係の強化も、いわゆるアメリカとの「対等な関係」も、責任を果たし、アメリカとの関係が強力であるからこそ初めて可能ではあるように思う。権利というものは、責任を果たしたものにのみ認められる。自らの安全と生存空間を守るために、アメリカと肩を並べて戦うことを選択した国があることを知るべきだと思う。新聞は、「政府はアメリカはさらなる協力を要請してくる恐れがあると考えている」などといっているが、それを不当な押し付け、ととらえること自体子供の証だろう。
オバマの3つの戦略は、軍事、民生、パキスタンとの強力であり、民生はそのうち一つに数えられる。確かに、民衆の支持を得、住民をタリバンから離反させる、という意味では、強力な手段だ。一方、だからこそ危険が伴うことは以前書いたとおりだ。日本が平和憲法を持っているから、軍を海外に出せない、という理屈なら、この理屈で民生支援を断ることはできない。しかし、これは、戦闘訓練を受けていない人間を戦地に送る、ということを意味することになり、さらに、NGOなどを出すとすれば、政府の人間でない人間を危険な場所に送る、というということになる。かつ、ほぼ当然死者がでる。自衛隊でさえ、海外に派遣され、死者がでる、しかも継続的にでる、となると、大きな国内世論の反対を受けることになるだろう。海外で血を流すのは、海外にまであえて出て行くからそうなるのであって、侵略的意図を持たず、国内にいれば、つまり「平和を愛する世界の諸国民の公正と信義」により、安全が保たれる、と信じてきた日本国民にとっては、「海外に出ていくからそういうことになる」という感情的な世論は当然起こることになるだろう。ただ、自衛隊は、軍隊であり、ある意味、もともと死を覚悟することが社会的に求められるものであるから、まだ世論も理解を示すだろう。しかし、ましてや戦闘訓練を受けていない人間に死者が出る、しかも継続的に出る、しかも、戦闘が目的ではなく、戦闘訓練を受けていない分、対抗措置を取ることができず、中には、見せしめのために残虐な殺され方をする人間も出てきた、という場合に、平和主義の理屈からいえば、「無抵抗のまま、次々と犠牲がでるのを受け入れて、それでも民生に尽くし続けるのが平和主義だ。」と言えれば、勇ましく、国際社会の尊敬も勝ち得るだろうが、そんな無謀な理屈で国民を説得できないし、もちろん国民もそんな説明を受け入れるべきでもない。
民主党は、結局どのような判断なのだろうか。ISAFに自衛隊を出し、法律も改正する、というのなら筋は通っている。(社民党は絶対に容認しないから、やるとしたらっ参院選後になる)。ただ、その場合、自衛隊も後方支援、とかいうわけにはいかないだろう。民生支援担当者に死を覚悟した上で、参加させる、というのも一つの方法だ。だが、自衛隊以外どんな組織があるのか、死者が出た場合、それに報いるような制度はできているのか。金だけ出して、軽蔑に耐えるのか。この場合、北朝鮮に日本人が何人拉致されようと、核ミサイルを日本本土に打ち込まれたとしても、アメリカが、仮に「復興のために金を出します」という態度しかとらなくても、文句は言えまい。すっきりさせるためには、要は、日本の平和主義とは何か、また、その平和主義と「同盟」という考えをいかに調和させるか、という論議をしなければならないが、これは延々時間がかかり、しかも結論が出ない可能性さえある。日本はこうであるがゆえに、原則にこだわれず、場合により詭弁をもって、実際的な対応をとってきたが、こうしたロジックは、日本国内でしか通用しないロジックであり、こうした単なる詭弁を、日本国民固有の永続的な性質であり、海外に理解されなくても、それはそういうものだ、と日本国民に誤解させることになる為、こうした、原則を無視し、建前と本音を使い分ける姿勢を当然ととらえる姿勢は、長期的に国民の精神を腐食することになり、いつまでも続けるべきではない。
(オバマに対してはあまりにも侮辱的な言い方だが)オバマと鳩山は、偽善的な表現を使う一方、自らの責任の自覚、不屈さがない、というあたりなんとなくにているところもある気もする。しかし、少なくとも、オバマは、頭脳は明晰だし、広い視野で問題を理解し、自分の頭で考え、反対にあっても、自らが正しいと信じた決断をしているし、偽善的なレトリックにも少なくとも自覚的ではあると思う。
内輪の論争、単なる自分の過去の理屈とのつじつま合わせ、偽善的なジェスチャーをしている時ではない。判断を世論に委ねる、というのは、偽善的な責任放棄だ。視野を広げ、覚悟を持つべきではないか。
(今日ニュースで、岡田外相が、自ら沖縄に出向き、沖縄の民主党支持者に対して、早期解決の必要性を訴えた、というのがあった。過去の無責任な主張に対する報いは受けるべきだが、自らが自分の責任において最善と考える選択肢について、自ら批判の矢面に立って説得しようとする姿勢は、誠実であると思う。)