実は、正直韓国に対してはいい印象は持っておらず、歴史問題や領土問題でくだらないことを言い張っていたり、スポーツでもやたらにムキになってくるのをみると、やはり心情的に不快を抱く。


しかし、いってみて、戦争博物館などを回って、朝鮮民族というのは、悲劇の民族であり、それを克服するために一致団結して努力しているのだな、ということが非常によく感じられた。


振り返ってみれば、朝鮮の歴史は、悲劇の歴史であり、現在に至るまで地理環境も非常に厳しく、そのような環境で生き抜かざるをえない、というのは、大きな試練である。

地理環境としては、半島として地理環境が半分隔離されているため、漢民族とは別の、独自の民族と文化が発展していったが、歴史上、隣には常に大中華があり、何度も侵略にあい、時には、武帝やらフビライなど、大陸に支配されており、こうした歴史的経緯ゆえに中国の支配下に入る代わりに平和を保つ、という事大主義は、民族の平和を守るためには、ある意味合理性のある考えだったのだろう。列強が進出してきた時代は、事大主義のおかげで何百年も平和を保っていたのだから、大陸の外にある日本からの共闘要請など、所詮は、大中華文明から外れた田舎者の世迷言にすぎず、普通に考えれば当然相手にしないだろう。また、地理的条件は、ヨーロッパの低地諸国と似ており、海洋勢力(日本やアメリカ)と大陸勢力(中国、あるいはロシア)が争う時には、その戦場にならざるを得ず、豊臣秀吉の朝鮮侵略、日清、日露戦争、そして、朝鮮戦争では、すべて朝鮮半島が戦場になっている。日本帝国は、国防国家であり、朝鮮の地理的重要性を理解していたがゆえに、朝鮮半島の中立、あるいは、日本勢力圏への編入を死活的な利益とし、何度も闘ってきた。これゆえに、大東亜戦争末期まで、日本本土が戦場になることはなかった。(イスラエルの国防戦略と同じで、国土が細長く、防衛に適していない日本は、戦争時に、なるべく自国領土外を戦場にすることを基本方針としたのだろう)。これは、日本の防衛の観点から見ると、戦略的に正しい判断だが、朝鮮半島から見れば、悲劇である。

また、大東亜戦争終了後も、急に独立を与えられた国がどの国も陥るのと同じように朝鮮もまた、独立運動家や、共産党、親日派などが入り乱れるような混乱が続いた。そして、国内だけで闘争している分には、いずれ何かしらの決着がついたのだろうが、不運なことに、ちょうどその時に東西冷戦が始まり、かつ、ちょうど自由主義陣営と共産主義陣営の境界線が、まさに朝鮮半島であったがゆえに、一つの民族が分断される悲劇につながっただけでなく、分断国家同士が争う朝鮮戦争を引き起こす事態に陥り、終戦時には、帝国領土の一部であるにもかかわらずほとんど無傷だったにも関わらず、朝鮮戦争によって、全土が焦土と化し、終戦後も1960年までは、世界最貧国だった。


見方を変えると、列強が進出して来た時、日本からの共闘の呼び掛けを馬鹿にして、大中国に依存していれば問題ないと誤って判断し、日清、日露、日韓合併時も、国内での権力争いを延々と繰り返し、しかも悪いことに、事大主義の伝統ゆえに、自らの力で自らの独立を守る意識がなく、それぞれが様々な外国の勢力に依存して内部闘争を行おうとしたために、列強を自ら招きいれ、列強の係争地となってしまい、ますます混乱に拍車がかかり、最後には朝鮮半島の独立が国防上死活的な、日本帝国によって支配されてしまい、独立を失った。日本の支配のもと、一時の安定が提供されたが、本家の日本帝国が敗北してしまったがゆえに、安定を提供した政府が崩壊してしまったが、これにかわる安定をみずから作り出すどころか、逆に、また内部で内輪もめをはじめ、一方、アメリカに対しても身勝手を主張し続けたために、元々治安を提供する意思をもったアメリカにまで投げだされてしまい、力の空白を招いた結果、そこを共産主義者に付け入られ、全土が焦土となる結果を招いたといえる。朝鮮民族は悲劇の歴史を持つが、それは、半分は、依存心や、身勝手、非妥協から自らが招いたものともいえる。状況から言って、仕方なかった側面もあり、タイミング、地理的環境については、不幸としか言いようがない。ただ、率直に言って、朝鮮の近代史は、結果から見れば、情けない歴史であるように思う。


それに比べれば、日本は本当に幸運であったといえる。アヘン戦争が教訓を提供していたがゆえに、志士たちには、列強に支配されたら祖国がどうなるか、といった正確な危機意識を抱くことができ、また、混乱も、比較的列強の干渉が少ない幕末期に済ませてしまい、早い段階で自力で統一を達成した。そして、自力に頼む道を選ぶと共に、日清、日露戦争の間も陸奥や小村など、自らの能力を超える国際情勢の力学の前に、過激化する自国民を敵に回してでも、我慢し、妥協する道を選べる賢明な指導者に恵まれた。戦後についても、占領は、事実上、民主主義を信じ、独裁制を取らない、寛容なアメリカ合衆国一国のみにより行われ、かつその司令官は、強烈な個性をもつ大物であるマッカーサーにより行われた。日本が始めから分割占領された場合はもちろんのこと、もし司令官がマッカーサーほどの強烈な人間でなければ、北海道はソ連に支配され、そこに日本人民共和国がつくられ、日本も分断国家の悲劇をこうむっていたかもしれない。戦後、吉田茂の民主自民党が勝利し、日本がいち早く保守の下の団結を回復したのも、すでに統一政体の国民的経験が長いからという理由のほか、混乱を望まないGHQの力の裏付けもあっただろう。また、アメリカの占領の現実を受け入れるが、それを利用するとともに、日本国民の利益に合わない部分については、断固反対するといった、感情的な国民と占領軍に対し戦い、現実的な平和と安定を実現させる、勇敢でかつ現実的な吉田茂というすぐれた指導者に恵まれたことは、幸運だったといえるだろう。また、朝鮮戦争は、朝鮮人には悲劇であったが、経済の崩壊に苦しむ日本にとっては、天恵であったと言え、これにより、日本経済は息を吹き返す。もちろん、日本民族の努力もあるだろうが、一方、非常に幸運に恵まれたといえる。


しかし、だからこそ逆に、現代韓国の発展には感銘を受ける。自ら招いたとはいえ悲劇の歴史をもつ韓国が、今や世界で最も進歩的で繁栄した都市を築いており、進歩では東京を超えている。


韓国を取り巻く環境は、歴史的にも今も非常に厳しい。周囲に、日本のほか、中国、ロシア、アメリカに囲まれ、また、半島は分断され、北には、同じ民族でありながら、軍事的な脅威である北朝鮮と対峙する。一方、気候が、温暖であるがゆえに、人口が多い割には、資源はほとんどない。韓国の大統領は、一様に、北朝鮮の獰猛な軍事的意志と、韓国の持つ「地政学的ぜい弱性」を憂慮するとのことだ。こうした民族が、世界で生存するためには、民族が一致団結し、自らの知力と努力に頼むとともに、世界情勢に配慮し、それに適合していくしか方法はない。また、北の軍事的脅威に対抗するためには、自国の防衛努力のみならず、外交努力により、有効国からの同情と支援を得ることが不可欠である。


今の韓国は、これらを明確に意識し、それらに対して隙なく手を打っている。周囲を強国に囲まれた国が、逆にその危機感と地理的条件を生かして、周囲を凌駕することは、歴史上時折みうけられるが、今の韓国は、まさにそのような国であるように思う。

「地政学的ぜい弱性」は、逆を言えば、大国間の交差点であり、その地理的条件を生かせば、地域の中心になることができる。日本の空港を打ち負かした仁川空港など典型的だ。この外に、たとえば、サムスン電子の成功に理由の一つに、その海外戦略があり、日本製品の方が品質が優れていた時には、日本メーカーが進出しない途上国に市場を広げ、途上国の発展とともに、売上を伸ばし、それによりいまや品質さえ日本製品とそん色なく、日本の至宝ソニーを打ち負かし、世界最強の家電メーカーとなっている。また、今、EUFTAを結ぶ方向で進んでいるが、もしこれが結ばれれば、ただでさえ、ウォン安で安く、かつ品質のよい韓国製品がますます安価になり、日本メーカーではとても太刀打ちできなくなってしまうだろう。サムスンの成功の一つの要因は、国内市場が狭いがゆえに、はじめから世界を視野にいれ、その中でいかに強みを生かせるか、ということを戦略的に実践してきた結果であり、ETAの件は、この戦略を、政官財一体で取り組んでいることの証左だろう。(かつての日本株式会社のようだ)。ちなみに、実は、韓国の地理環境については、程度の違いこそあれ日本も同様であり、人口が多く、資源がないのであるから、民族が団結して、世界を意識して戦略を実践せねばならないのは日本も同様である。韓国よりももっと条件が厳しい国にたとえばシンガポールがあるが、シンガポールも、韓国と同じような対応をとっており、教育に力を入れるとともに、やはり、その地理的条件を逆に活かし、アジアのセンターとして繁栄している。(ちなみに、ドイツ資本の我社のアジアの中心はシンガポール)。そういえば、仁川空港と共にアジアでは、シンガポールのチャンギ空港も、シンガポール航空も有名である。


自国の防衛についても、韓国は、徴兵制を敷いているほか、いざという時に、他国からの支援を受けるため、今の世界中の係争地域で汗を流している。この活動は、ソウルの戦争博物館などで展示されており、ベトナム戦争の派兵は有名だが、それ以外にも、いろいろな所に派遣されている。


そういえば、そういう意味で、韓国は、イスラエルにも似ている、と感じた。どちらの民族も、民族的な悲劇を経験したのち、過酷な条件下で生き抜くために、民族の団結と自立、努力という選択を行っている。


こうした韓国の発展をみるにつけ、朴正煕の偉大さに思いを馳せずにはいられない。1960年には、世界最貧国だった韓国は、朴正煕が大統領となってから、急速に発展を開始する。朴正煕の偉大さは、朝鮮の歴史をだめにしてきた事大主義と内輪もめという病を直視し、これに対して戦いつづけ、あえて独裁的な手法をとってまで、民族の団結と自立を植え付けたことにあると思う。帰国後、気になって調べていたが、以下の演説を読んで強烈な感銘を受けた。


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わが五千年の歴史は、一言でいって退嬰と粗雑と沈滞の歴史であった。

いつの時代に辺境を超え他を支配したことがあり、どこに海外の文物を広く求めて民族社会の改革を試みたことがあり、統一天下の威勢で以って民族国家の威勢を誇示したことがあり、特有の産業と文化で独自の自主性を発揮したことがあっただろうか。

いつも強大国に押され、盲目的に外来文化に同化したり、原始的な産業のわくからただの一寸も出られなかったし、せいぜい同胞相争のため安らかな日がなかっただけで、姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図にすぎなかった。

第一にわれわれの歴史は始めから終わりまで他人に押され、それに寄りかかって生きてきた歴史である。大韓帝国が終幕を告げるまで、この国の歴史は平安な日がなく外国勢力の弾圧と征服の反覆のもとに、かろうじて生活とはいえない生存を延長してきた。

ところが、嘆かわしいことは、このながい受難の歴程のなかでただの一度も形勢を逆転させ、外へ進み出て国家の実力を示した事がないということである。

そして、このような侵略は半島の地域的な運命とか、われわれの力不足のため起こったのではなく、ほとんどがわれわれが招き入れたようなものとなっている。

また、外圧に対してわれわれが一致して抵抗したことがなかったわけではないが、多くの場合、敵と内通したり浮動したりする連中が見受けられるのであった。

自らを弱者とみなし、他を強大視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、この悪い遺産を拒否し抜本せずには自首や発展は期待することはできないであろう。

第二に、われわれの党争にかんすることである。

これは世界でもまれなほど小児病的で醜いものである。

第三に、われわれは自主、主体意識が不足していた。

われわれの波乱多き歴史の陰になって固定されることのなかった 文化、政治、社会はついに「我々のもの」を失い、代わりに「よそもの」を仰ぎ見るようになり、それに迎合する民族性に陥らせてしまった。

「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。

第四に、経済の向上に少しも創意的な意欲がなかったということである。

われわれが眠っている間に世界各国はいち早く自国の経済向上のため 目覚しい活動を展開していた。しかし、われわれは海外進出は念頭におかず、せいぜい座ってワラを編んでいただけではなかったか。

高麗磁器などがやっと民族文化として残っているのみである。

それもかろうじて貴族の趣味にとどまっているだけであった。

しかし、これも途中から命脈が切れてしまったのだから嘆かわしいことである。

以上のように、わが民族史を考察してみると情けないというほかない。もちろん ある一時代には世宗大王、李忠武公のような万古の聖君、聖雄もいたけれども、全体的に願みるとただあ然とするだけで真っ暗になるばかりである。われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあってもこの歴史を全体的に改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史はむしろ燃やしてしかるべきである。

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ネットで検索していると、この演説は、日本人が韓国を馬鹿にする文脈でよくつかわれているようだが、ここで言いたいのはそうした趣旨ではない。自国の病に対してこれほどはっきり認識し、これほど明確に戦う姿勢とり、未来への生存のためには、自国の歴史を「燃やしてしかるべき」とまで言い切るような大統領がいるのならば、韓国が発展するのも当たり前だと納得がいく。古代の朝鮮史については、あまり知識がないのでわからないが、近代韓国史に対する自分の認識も(歴史的な不幸はあったにせよ)同様であり、かつ、世界の中で、日本、韓国のような厳しい環境にある国が生存していくためには、自主、主体意識を持つ以外ない、という点もまったく同意見である。朴正煕大統領は、国民に辛辣な言葉を吐き、意識改革を訴えるとともに、当時経済学者の韓国は、比較優位の観点からコメの生産でやっていくしか方法はない、という意見を拒否し、工業化への道を開き、国民に自信と勇気と安全を与えることに成功した。今の韓国は、やや強すぎると思えるほどまでの強い民族意識と自立心を持ち、世界に伍している。恐らく、今の韓国は、朝鮮の歴史の中で世界の中で最も繁栄している状況にいるのではないか。こうした状況を見るにつけ、いかに朴正煕大統領が偉大だったか痛感する。


韓国の発展にあまりに感銘を受けたので、帰国後に、『朴正煕‐韓国を強国に変えた男』を読んだ。非常に面白い本だった。朴正煕の生涯は、まさに、韓国の近代の歩みそのものであると感じた。差別を受けながらも、日本のシステムの下で育ち、その価値観を体得するとともに、終戦間近に崩壊する帝国軍の状況を見るにつけ、日本帝国に対して冷めた感情をもつようになる。終戦後は、民族の独立を目指し、一時共産党に入党し、投獄されたり、陸士で学んだことを元に出世する一方、親日派のレッテルに苦しむなど試行錯誤を重ね、その後にようやく最高権力を握り、悲壮な決意で、民族の自立を達成していく。


朴正煕の体制は、維新体制というそうだが、朴正煕自身も西郷隆盛が好きだったりと、その執政は、明治維新をモデルにしているように強く感じる。民族の団結を訴え、教育や産業を発達させ、国民に軍隊精神を注入し、隙なく国防力を強化していく、という発想は明治維新そのままだし、日本の統治下で育ったからこそ、明治日本と満州がどのように発展してきたかも、実例をもって、理解していたのだろう。


これは、別の機会に書こうと思うが、今の日本にもし、朴正煕大統領のような政治家がいれば、と考える。現在の韓国の状況を見るにつけ、日本の現状には強力な懸念を抱く。一応今は、日本の方が国民一人当たりの所得で上を言っているが、意志と戦略をもち、それを着実に実践している韓国に対して、10年後に国をどうするか、というビジョンもそのための戦略もなく、内にこもり、臆病と無気力に支配されている日本が、早晩遅れをとることは、ほぼ確実である。先日そうした自分の心情と合致する題名である『日本は没落する』(榊原英資)を読んだが、僕が韓国で感じたような漠とした不安を克明に説明している。日本は、今でも先進国のカテゴリに入り、一応今だに技術はあり、国民の金融資産も1500兆円あり、客観情勢は別に悪くもなく、もちろん、やりようによっては、復活することは全く可能であるだろう。当然だが、繁栄するか没落するかは、単にわれわれの選択と行動いかんによる。ただし、僕は悲観的だ。最も重要な要素である意志がかけるため、没落は避けられないように思う。こうした国民に対して、朴正煕大統領のように、世界情勢を理解し、その中で、どのように生存していくか、国民を鼓舞し、自立・努力・勇気を訴える人間はいないのだろうか、と感じる。


朝鮮の歴史は悲劇の歴史であり、一方で情けない歴史でもある。最終的に、その中から極めて重要な教訓を学んでいる。戦争博物館には(忘れたがたしか)「自由は無償ではない」というような言葉があり、独立博物館には、「~ゆえに自主独立と自主決定が重要だ」という説明がある。この精神こそ、朴正煕が残した記念碑であり、悲劇の歴史の中から悟った自主独立・自主決定の精神こそ、今の韓国の繁栄をもたらしたのだろう。