民主党支持者ではないのだが、正直、自分が望ましいと考える経済政策と民主党が唱える経済政策はとても近い。


日本経済の病は需要がないことで、特に世界で最も金持ちの層である日本の高齢者が金を使わず、しかもその数がどんどん増えており、ますます需要が減ってきており、そういう状況では、企業は企業努力すればするほどより少ない労働者しか必要なくなり、全体としては需要がさらに減り、一方、金がないため結婚して子供を産める人口もますます減ってくる、という悪循環に陥っている。


こうした状況に対して、

・子育て支援

・公教育の再生

に支出することは、有効需要を作り出すだけでなく、特に内需を増やすという目的での将来への投資にもなり、絶対必要なことだ。政府による支出というのは、自然状態では金が集まらないが、未整備=潜在価値がある分野に投資するということが望ましい姿であり、まさにこれが昔は道路であるのに対し今は、子育てインフラだ。子供が生まれるということは将来無限の需要を生み出す。

また、地方分権についても、正しいと信じる。東京は、世界最大の大都会だが、集中は、いきすぎており、いい加減飽和しており、一方、地方には、快適な未開の土地はいくらでもあり、潜在価値を生む領域はいくらでもある。


海外に行って感じるのだが、日本人ほど一生懸命働く民族が、なぜ、もっとのんびりやっている民族より経済が繁栄していないかというと、ある限られた、すでに限界利益が出ないような分野でばかり過当競争しており(製造業、道路など)、潜在需要がある分野(福祉、介護、子育て、住宅、余暇)などに、投資されておらず、やればやるほど総需要が減る、というだけであり、これは、よくいわれるように、戦後からの、経済構造を惰性で引きずっているためであり、この方向性を一変させることは今の時代必要なことである。


そういう意味で、(ちょっと悔しいが)、民主党の政策は、内政面では非常によく出来ていると思う。僕は今の厳しい経済状況では、どちらかを取るのなら、均衡財政派ではなく、まず、有効需要を作りだす、というだけのためでも赤字国債が必要だと思うが、それだけでなく、将来への投資、という意味でも、子供手当、高校無償化はやるべきだと思う。ただし、将来への投資にならないものについてはやる必要はないように思える。高速道路無料化は、財政のほか、環境政策との整合性もあり、やる必要はないと思う。農業の戸別補償は、よくわからないのだが、不要なように感じる。農業って、経済全体から見れば小さい領域だと思うが、地方経済を支える、という意味で必要ということか、そうしたとしてもこれは投資ではないと思う。年金・医療については、持続可能性を担保し、安心を与え、高齢者に金を使わせねばならないが、一方、年年一兆円づつ増えていくので、何らかのメスは入れなければならない領域だと思う。


以前、以下のような文章を書いたことがある。


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いわゆる財政出動などは、一見すれば借金して無駄遣いするわけだから、個人の道徳と同じ尺度で見ると、よくないし、意味がないことのように思えなくもない。ただ、マクロ経済と個人の道徳は同一でなく、マクロでいえば、景気がいい=世の中でマネーが巡回している、ということになり、マネーは、個人、企業、政府の間で回るから、個人や企業で需要が落ち込んでいる場合は、国の借金がいくらかとかに関係なく、機能として、政府がそれを補填するもの、と思え、個人の借金と国の借金を同じ考えで考えてはいけないのかな、というような気がする。

あと、経済について思うのだが、世の中で、大体の人がもつ欲求は、同じようなもので、そのために必要なマネーは同じようなものだが、一方、そうしたサービスを提供できる人はほんの少しであり、ほうっておくと、一部の人に富が集中し、他の人は没落するのではないか、と思えてしまう。(勝手に「一般サービスの需供の非対称性」などと呼んでみる。)今の日本では多くの人がケータイを使い、WINDOWSのOSを使うが、ケータイ業界は寡占、WINDOWSはほぼ独占されており、まるで税金をとるように、世の中の多くの人から年間数万円は取れてしまうのだから、こうした企業に努める人は、年収などは、数百万どころではなく、数千万円もらえてしまうものなのではないかと思ってしまう。ただ、こうした状況が進んでしまうと、社会の階層化が進み、不安定化するから、国が、金持ちからがばっとマネーを収奪し、それを何らかの方法で、再分配する、というのが機能的に必要なのではないか、と感じる。少数のサービスの独占供給者から見ても、マクロで見て、サービスを買える人が減ってしまったら、徐々に損することになるので、ここで税金が取られるのはまあ必要悪ではないかと思う。「神の見えざる手」で均衡が保たれるのではなく、多分自然状態では、富めるものと富まざるもの、都市と農村、など格差は拡大していくものなのだろう。

これは直感なので間違っているかもしれないが、インドに行って思ったのは、(昔社会主義的政策だった割に)格差がものすごく、タタ財閥みたいに、リッチな人は普通にとことんリッチだが、貧しい人が圧倒的に多すぎるので国全体としての有効需要も小さくつまりGDPも低いままであり、それが最近経済成長しているのは、何らかの化学反応で、中産階級が数として増えてきているからなのではないかと思う。

市場原理主義こそが、企業活動を刺激し、経済成長のための最善の方法、というようにいわれるが、直感的に、マクロ経済からみると、それは違うと思っていて、競争原理を残しながらも、中産階級が減らないように、富を配分させる社会の方が、マクロで見ると経済成長にとってよいように思う。グラックス兄弟の改革のころからそうだが、歴史的にも、社会が健全であるのは、如何に中産階級が育っているか、ということにあるように思える。大体人間の欲求は、人ごとにそれほど違いがあるわけではなく、大方、家と車を買って、子供を2人育て、教育を与え、ケータイやPCをつかう、というぐらいであり、別に所得が2倍になったからといって、2倍のサービスが欲しいと思うわけではなく、一方、所得が半分だからといって、一般に、欲求を半分で我慢できないものではないかと思う。(書きながら、ふと思ったが、こういう過程は、日本に育ったからたまたまそれが当たり前と思っているだけかもしれない。)GDP=需要の総和でもあるのだから、こうした生活に密接するニーズを満たせるだけの収入を得られる人の数を多くするような政策が、一番経済成長に資するのではないかと思う。実際厳密に考えたことはないが、直感的に、「家と車を買って、子供を2人育て、教育を与え、ケータイやPCをつかう」みたいな欲求を全て満たせる、というのは、今の社会では実はかなり贅沢で、自分自身も、いわゆる「負け組」のような部類にいるとは思っていないが、回りを見渡しても、結構一流企業に勤めているようなやつでも、家を買えないとか、子供2人は厳しいとかよく聞く。日本の内需が小さい、とか、経済成長しない、とかの対策はこの辺にあるのでは、という感じがする。

この辺のバランスは、戦後の日本というのは多分かなりよく、国民を皆中産階級にしようとし、かつ、インセンティブを保つ経済運営を行い、世界でもまれな、平等で、かつ豊かになる社会を実現できていたのではないかと思う。ちょっとこれは実際に厳密に確認していないが、この裏には、金持ちや競争力のある企業からマネーを収奪して、それを富まざるものへ回すシステム(累進課税や公共事業等)があったのではないかと思うし、それでよかったのだろうと思う。社会主義の利点は、平等であり、資本主義の利点は進歩であるように思う。進歩のイノベーションを与えつつ平等(中産階級の数を増やす)を実現するようなシステムが優れたシステムなのではないかと思う。戦後の日本だと、再分配のシステムの他、市場を寡占状態に導き、過当競争をさけつつ、そうした企業を競争させる、という状態を意図的に作り出していたそうだが、そういう産業政策もうまくやっていたのだろう。また、田中角栄はこの再分配にかなり精力的に取り組んだようで、最近時々角栄の特集を見る。

そこで、話はもどるが、そうした機能を政府が行おうとすると、必然的に政府の借金はどんどん増えていってしまうものなのではないか、という気がする。金持ちや企業からがばっと金が取れればいいのだが、難しいのは、市場がグローバル化しているから、あまりに重い税を課すと、日本市場から逃げていくことが割りと楽にできてしまうのではないかと思える。そうすると政府は借金にたよるしかなくなってしまう。

昔、風の谷のナウシカで、腐界(字があってたかな)のそこはきれいな砂になっていて、おどろおどろしい腐界は、実は、人間が作り出した環境汚染を浄化する役割を果たしていた、というシーンがあったように記憶しているが、国の借金というのは、実は、そういうものなのかもしれない、と感じたりもする。

なので、素人考えだが、個人的には、程度にもよるが、累進課税や相続税、というのは、基本的な考えとして賛成だ。程度にもよるのだろうが、そのほうが、GDPはあがると思う。麻生さんは広告税を主張しているが為に、マスコミにひどく叩かれているようだが、それもよいアイデアだと思う。僕はスモーカーだが、タバコ税を増やすのもよいと思う。税金とは、「悪いもの」にかけるほうがうまく取れるらしい。あと、東京都は金がありすぎる気がするので、東京からはもっと税金をとって、地方に回したほうがよいように思う。レーガンやブッシュは高所得者の減税を行い、オバマは、中産階級の減税を主張しているそうだが、この場合、オバマの考えに賛成だ。税をとった分は、子育て支援とか、公立学校の再生、持ち家の取得支援、というような公共投資につかえばとてもよいと思う。僕のベクトルは、中産階級の保全を、インセンティブをある程度保ちつつ実現するべき、という方向にある。

アメリカ独立革命ももともとは税金の話から始まったが、税の話は民主主義の根幹だともいわれる。消費税や道路特定財源の話で盛り上がるが、論議を矮小化せず、どういう哲学でどのように税をとるか、という論議がもっとあればよいのに、と感じる。

(2008/12/28)


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実は、ちょっと驚いたのが、ラビ・バトラーという人が、自分とまったく同じ分析をしていた。


Wiki:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%A9


資本主義が暴発するとまでは予想してなかったが、

・富の過剰な集中と自由貿易は、経済を反映させるのではなく、逆に、需供の不均衡を生みだし、総需要を減らし、結果国民経済を縮小させる


というあたり、全く同じ意見であり、

また、望ましい経済体制についても、


・資本主義は望ましい経済体制ではなく、「均衡貿易、賃金格差の縮小、均衡財政、自国産業保護、終身雇用環境保護 、銀行規制などによる所得格差の少ない安定した共存共栄の社会」=プラウト主義経済が理想であり、「昭和30年 代中盤頃~昭和40年 代頃の日本社会がプラウト主義経済に最も近い理想的な社会」である。


のうち、賃金格差の縮小、自国産業保護、銀行規制についても全く同じように考えていた。(均衡貿易、均衡財政、環境保護については、おそらく持続可能性を念頭に言及しているのだろうが、需供の均衡という観点とはことなりピンと来ず、終身雇用制については望ましくはあるだろうが、企業の永続を前提とするため、技術的には難しいようにも感じる)。昭和30年~40年代の日本に対する言及についてもまさに、同意見であり、要するに、資本主義でも、社会主義でもなく、日本型資本主義/社会主義と呼ばれるような、成長、安定、平等を目指す社会体制が理想という点でも全く同意見。


また、最新の著書でも、

・日本経済には、未来の需要を生むためにも子育て支援が絶対に必要

・住宅投資の喚起が必要

と述べているあたりも、まったく同じ見解であり、驚いた。確かに、診断が同じなら処方箋も同じようなものになるだろう。


ただ、異なっているというか、ラビ・バトラは言及していないが僕が注目する点は、以下である。


・「中産階級」の増加、に焦点を当てる

・産業政策


需供の均衡という言葉より、中産階級の増加、という方が、具体的なように思え、特にこれに注力すべきだと思う。産業政策については、プラウト主義経済というのは、循環型の永続的な社会であるから、それを目指すならなおのこと、産業を常に高度化し、貧困の分配ではなく、分配する富を生み出す努力はセットで必要となる。(これが終身雇用の前提となる。)


とはいえ、ちょっとラビ・バトラーにまた興味をもってきた。ちょっとこの人の本、あまり理論的には書いていない感じなのだが、結構裏側では、ちゃんと経済理論の裏付けもあるように思い、もう一度新しいのを読んでみることにする。