選挙が終わってから、この現象を説明しようと、さまざまな評論がなされているが、その分析のいずれも個人的には不満だ。唯一最も的確な分析をしているのは、政治家自身であるように思える。そんな訳で自分なりの分析を書いてみる。


民主党の今後について:

民主党の今後についてだが、結構長期政権になると思う。まず、元々民主党の議員のうち、いわゆる名前があがるような優秀な議員は、地元に利益を配分する権限がなかったのにもかかわらず、権力に対抗し、大衆に向けて自らなお主張一本で、逆風下にあっても議席を勝ち取ってきた、という強固な基盤があり、当然与党議員より粘り強い。また、国会においても、官僚の力を借りずに、政策を作り出す能力を磨いて地力が強い。野党であり、逆風化にあっても、勝ち上がってくる実力ある議員が、与党になったのなら、敵はないのではないか。


また、細川政権の二の舞になるとか、民主党の中は、全然違う考えの人のごった煮だとか言われるが、その心配はあまりないと思われる。まず、細川政権の時には、急に非自民党政権ができたために、まず、準備ができておらず、本質的にばらばらだった。自民党を倒す、ということのほかに、積極的な理念がなく、政権を取った後に何をするかわからなかった。小沢一郎はこれに対して強引な手法でリードするしかなく、彼の手腕をもってしても、結局持たなかった。(批判はあるが、もし小沢一郎が行動しなかったらどうなっていたであろう。小沢一郎は、一つの答えを提示したのだ。)

今の民主党は違う。根本的な原理は、反自民党だが、反自民ということをより具体的な政策、つまり、反官僚、地方分権、生活者主義、アジア主義に昇華させてきた。また、ばらばらだから支持されないのではなく、支持されないからあれこれ言いだしてますます支持されなくなるというのは今の自民党を見れば明らかだが、ほとんどの議員にとって信念よりも当選することの方が大事なのであって、別に右だろうが左だろうが、勝てそうか、ということが唯一の基準であり、要は勝てそうな戦略さえ提示されれば、それでまとまるのである。よって、たとえ自分の考えとは違っていても、これほど勝ったのだから、あえて党に逆らって自らの信念を主張するような政治家は出るまい。さらにいうと、細川政権の経験は、今の民主党幹部には強く生きているようで、それゆえに、選挙戦よりかなり前から、たとえ党の中で考え方が異なっていたり、たとえば、大敗北にあったり、メール問題や西松事件など、党が逆境にあっても、党が崩れることはなかった。

そして、反自民として選んできた政策は、結果的に、日本の長期的課題に見事に合致している。小泉改革の場合、サプライサイドエコノミーという処方箋が本質的に誤っており、自由主義が日本の風土に合わないため、一時的には支持されても、状況が変われば、一時の支持がもろ刃の剣となる可能性は十分にあり、これはサブプライムローンで見事に顕在化している。それに対して、今回の民主党の政策は、日本の長期的課題に合致しており、時代に必要とされる政策だ。もしも自由主義を信奉していた時の民主党が政権を取ったなら、それは今小泉改革が受けているのと同じような批判を受けている結果となっており、すぐに自民党に政権が戻る可能性があった。しかし、小泉政権のおかげで9年間政権交代が遠のいたものの、そのおかげで、福祉・子育て、というカードを手にすることができ、長期的にはより思想として国民に支持されるより強固な基盤を持つことになった。特に人口のうちますます多くを占める高齢者と、今人口比でいうと、割と多い子供を持つ親の世帯も、子供手当が一度支給されれば、強力な集票マシンになることからここを取ったのは大きい。また、この民主党の勝利は、一人の個性によってもたらされたものではなく、民主党という党自体の性格からもたらされている点も、民主党をより強固にしている。鳩山などは、どうでもいい人間のように思えるが、まさに個人ではなく党が重要であったからこそ、強い個性を持つ岡田克也ではなく、党を守ること以外、何の信念もない鳩山が選ばれたのだろう。

やはり、小沢一郎の手腕は凄い。メール問題で、がたがたになった党の代表に就任するや、勝利の戦略を策定し、それを戦術として徹底させることに成功し、長期的な基盤を作りだし、今回の選挙でも自分のグループを100人にまで拡大させている。政治基盤の上でも、民主党優位の流れは元々あったが、これをここまで劇的に具体化したのは、間違いなく小沢一郎の功績である。今の政界で、選挙という戦いで、彼に匹敵する手腕をもつ政治家はいるまい。政治を、エリートの政策談義程度にとらえている若い政治家たちでは、選挙を武器を持たない戦いととらえる小沢一郎に対抗することはできないだろう。(だから、鳩山チルドレンとは言われずに、小沢チルドレンといわれる)。唯一彼に対抗できる政治家は、同じく選挙を戦ととらえる、政局の小泉を除いて思い浮かべることができない。(そう考えると、立ち技の小泉と寝技の小沢の対決というのは一度見てみたい気がする。)

ただ、民主党は、その生い立ちから反自民であったがゆえに、伝統的に反自民のいわゆる左翼勢力が自然と支持基盤となり、党の政策もいわゆる左派的な性格を持っている。この中で今の日本にとって必要な変化としては、日本の歴史上はじめて、生産者中心主義から消費者、生活者中心に変わったということだ。明治以来の日本の発展は、市民の権利を抑え、強力な政治主導により行われてきており、これは、明治時代、あるいは、戦後復興では必要なことであった。偶然か意図かはわからないが、例えば、戦後の日本の企業経営は、株式の持ち合いという技を編み出し、企業の力を強くし、資本家の力を意図的に排除しており、一方政治の世界では、今回のような選挙による政権、首相の交代が行われず、選挙民の影響を可能な限り排除し、与党の中で政権の交代が行われてきた。しかし、今回の選挙で、初めて(いや、郵政選挙もそうかもしれない)選挙民による選択が政治に反映されるという結果となり、政治が国民によりコントロール可能になった。また、バブル崩壊後、株式の持ち合いが崩れ、良くも悪くも、いわゆる本来の市場主義の原則の下、株式が運用されるようになった。かつ自民党の強力な支持団体である経団連も、政権交代により政治への影響力を失い、一方民主党もその本来の性質上も、選挙での公約の上でも、企業活動の擁護者とはまずならないだろう。国が貧しい時代には、国力を総結集する必要があり、民権をある程度おさえることにはそれなりの理由があり、それゆえに、日本は発展してきたともいえるが、その結果割を食っているのは、一般的市民であり、状況から考えて、バランス的にいわゆる市民が直接豊かさを享受するベクトルに進めることは、必要な変化でもある。

一方で、個人的に大きく反対なのだが、今後そうなっていくであろうことは、左派勢力が、日本の歴史上実質的に、初めて主流となり、これがしばらく続くということだ。恐らく、日本で、左派的な考え方が主流ということはまずなく、こうした考えを根拠に民主党が多数派を占めるということはまずあり得ないことだが、そのほかの部分で、小沢一郎が民主党の強固な政治基盤をきづいたがゆえに、時代の偶然により、こうした左派的な考え方が主流となってしまい、この考えが、今後社会の様々な部分で浸透していくだろう。ロシア革命時に、ヴォルシェビキは、決して多数派ではなかったし、イラン革命のときも、当時のイラン国民が僧侶が支配する政体を積極的に望んだわけではない。もっと悲劇的な例では、ポルポトの民主カンプチアというのもある。どれも、当時の国民は積極的にその勢力の考え方に賛同したわけではなく、ただ、ロマノフ朝に、パフレヴィーに、ロンノルと米帝に激しく反対しただけであったが、歴史の偶然により、その後の世界は、当時の国民が全く望んでいない、暗黒となった。民主党がここまでひどいとは思わないが、自民党と対抗するがゆえに、自然と、連合、日教組、民団などを支持基盤としてきた為、国民が望んでいないにも関わらず(たぶん、僕だけでなく、多数派がそう)左翼的な方向性に向かっていくと思われる。輿石東が、早速、安倍政権時に定められた教育免許更新制度の廃止を主張している。民主党も馬鹿ではなく、党内でも議論を呼び、国民の支持を得られないものをアジェンダに最初にあげることはしないだろうが、12年後には、そうした動きをするだろう。

民主党は、長期政権になると思う。ただ、一つ例外的な可能性がある。小沢一郎だ。民主党が自民党により再び打倒される可能性は今のところかなり低く、二大政党制どころか、民主党の一党支配はゆるぎないように思えるが、これを壊すとしたら、やはり壊し屋の小沢一郎しかいないのではないかと思う。正直、小沢一郎が、何を理想としているのかはっきりとは分からないのだが、もともと自民党と連立して見せたり、大連立を唱えてみたりと、理念として本当に民主党的に染まっている考えではないように見え、実は保守政治家なのではないかと感じる。また、大連立騒動の時にそうだったように、気に食わなければ党首を投げ出し、子分を連れて出て行ってしまう、ということも結構やってのけてしまいそうで、かつ、今は、一新会が100名ほどで、これ一つで立派な政党となるような一大勢力となっているのだから、その影響も半端なく大きくなっている。小沢一郎は、大久保利通を尊敬しているそうで、実は僕も大久保を尊敬しているが(小沢一郎には、ぜひ成田空港ではなく大久保利通国際空港、に名称変更してほしい)、大久保利通の偉大さは、最善が無理なら次善、次善が無理なら次々善、と、理念や理論に溺れず、また、自身の私欲はないにも関わらうず、局外に立ち、清廉潔白のままでいるよりは、あえて自ら沼地につかることをいとわず、また、個人の好悪ではなく、偏見を持たず、自分以外の派閥の人間も実力があれば重視する、徹底したプラグマティズムにある。ひとつ言えるのは、小沢一郎にとっての、究極の正義は、政権交代可能な政治の実現であり、このために何年も闘ってきたのは間違いないだろう。もし、民主党の単独支配となれば、それは小沢一郎の正義とは相いれず、また、左派の支配する政治が本当に小沢一郎が政治生命をかけて目指したものなのか。もし、民主党の支配が崩れるとしたら、それは自民党によるのではなく、小沢一郎ではないかと感じる。実は個人的には政界再編派なので、これに期待を抱いている。

自民党の今後について:

そもそも自民党の敗北の原因だが、中川修直、小池百合子を中心とした小泉改革路線を貫徹させる考え方と、伝統的な自民党の考え方で党が完全に割れており、どちらかの方向を貫徹できなかったことが今回の敗北の原因であるように思う。首相が麻生さんであろうが、誰であろうが、この内在的な分裂に対して、答えを出すために党首選を行うのではなく、ただの人気で党首を選んだことがそもそもの誤りであり、こうした状況を無理にまとめようとすれば、誰であろうとぶれる以外なくなり、そうすると、党首が頼りないということで、ますます支持を得られなくなり、ますますマスコミの餌食になり、ますます、分裂が加速化していく。麻生さんの失敗は、本質的に2つに分裂している党が、一つにまとまるべきものであると幻想を抱いた点であるように思える。そして、民主党とは逆に、政権与党であることが党のアイデンティティーであったのだから、党が野党であれば、この自民党をひとつにまとめていたアイデンティティーも失われ、自民党を一つにまとめるものは何もなくなる。自民党は、今も党首選でごたついており、かつメディアもこれを格好の題材にし、自民党にしっかりしてもらわねば困る、ともっともらしく主張している一方、おぼれている人の口にホースを突っ込むような行為に出ている。(これは、自民党が嫌いだからではなく、その方が視聴率が稼げるからである)。今度の総裁選では、誰が総裁になるのか、ということ以上に、自民党のアイデンティティーを取ること、自民党がどのような戦略をとるか、ということを問うものであるべきであるように思う。これをうやむやにしたまま、党首を選べば、この自民党の内臓の病は、さらに自民党をじりじり犯し続け、第二、第三の麻生太郎が現れるに過ぎなくなる。はっきりさせれば、自民党は2つにわれることになろうが、その方がまだましであり、ここは、大胆に外科手術を行うしかないように思う。そういえば、ある記事で、石原新太郎が、日本は、風で極端な流れに進みがちであるがゆえに、二大政党制は危険であり、ドイツのように三大政党制で、これらが柔軟に連携する方があう、というようなことを述べていたが、石原の分析には、いくつかの分析には賛成しがたいが、三大政党制というものが日本には適切という点では賛成だ。また、民主党の勝ちすぎについても、ある程度の不安があることから、三大政党制が形になってくれば、反自民の唯一の選択肢が民主ということもなくなり、今回民主に集中した票も、より柔軟に分散されるというベクトルに動くのではないか。


今回小沢一郎が気づいた新たな集票マシンは強固だとしても、ある方向で政策を進めれば、いずれ、どこか忘れられる考え方や集団は現れるのであり、その忘れられた集団の声を拾い集めいて代弁する形でアイデンティティと戦略を作っていくしかない。企業活動と自由主義を信奉する、いわゆる小泉路線は、民主党がこの逆をいく政策を主張している分、わかりやすい。(一方、この主張は、経済情勢からしばらく支持を得にくく、また、民主党は、企業献金の廃止を仕掛けてくるだろうから、守勢に立たざるを得ず、ここ5年は厳しい。)一方伝統的な自民党は、公共投資は、この時代、そう強く主張できず、こうした政策が強い支持を得ることは、長期的にもない、一方、福祉と年金・医療、農業は、民主党にとられてしまったのだから、伝統的な自民党はどこに向かっていけばいいのか。個人的にも、民主党の政策にどこに隙があるのかわからない。(パッと思いつくのは、家計に負担を強いるCO2 25%削減と、アジア主義、外交、教育、増税)しばらく出方を見極める必要がある。


鳩山由紀夫:

個人的に、この人は嫌いである。長年の主張を見ていると、単なる大衆迎合の変節家であり、純朴な空想家のようにしか見えない。たとえば、この人は元々北朝鮮とパイプがあり、拉致問題には熱心でないが、選挙戦前後では、国民の人気を意識して、北朝鮮には、厳しい対応が必要だと主張してみたり、核武装についても、論核派だったのにもかかわらず、自民党の議員が、論核について提起すると、論議すること自体間違い、とあっさり言ってみたりし、本来の主張はあったとしても、大衆に受けがよくなかったり、その主張が自分に不利となるとあっさりとその主張を覆すようなことを平気でやる。他にも田母神さんが、論文で問題と鳴門、以前ワインの会で同席していた事実を簡単に否定している。小泉さんが、「民主党は私の改革時は、改革が遅いと批判し、今は改革が誤りだったと批判している」と正しく述べているが、これは、鳩山に対して向けられた言葉ではないか。選挙中、民主党は、橋下知事に、地方分権を批判されると、自らの政策をあっさり覆してみたり、農協にFTA推進を批判されると、あっさりそれを否定したり、成長戦略がない、と批判されると、それを取って付けたりと、みていて醜悪だったが、そういうのは、いかにも大衆迎合的な鳩山的なスタンスが出ているように感じた。(むしろ、メディアを嫌い、これらの批判に対して、批判に反論し、自分たちの政策に問題はないと、正直に主張した小沢さんの方が、誠実に思われ、個人的に好感が持てる。)麻生さんに対してぶれている、と批判しているが、麻生さんがぶれているのは、自分の考えがあるが、一方周りにも配慮しなければならず、そのはざまでブレている、という感じであったが、鳩山さんに至っては、ブレているどころか、変節することに何のためらいもない人間のように思える。この外にも、この人は略奪婚だそうだが、女性紙に載っていたのだが、夫人の元夫の言葉で、恩をあだで返すような行為をしただけでなく、自分自身でなく、母親を謝罪に来させるような人間性、について非難されている。弟の鳩山邦夫からは、兄は昔からずるいんですよ、と言われているが、「ずるい」という形容が非常によくわかる。メディアに対して、国民の味方を装い、もっともらしことをいっているのを見ると、いつもイライラする。民主党の代表に選ばれたのは、強い個人的資質があるからではなく、まさにそうしたものがなく、祭り上げておくことが最適の人間だからこそ、選ばれたのだ。この人が、低支持率で、メディアに馬鹿にされ続けたり(そういう意味で、馬鹿にする突っ込みどころ満載の人のように思える)、逆境下で、国民の批判に耐えたり、支持の少ない政策に対して国民を説得する、といったような根性を見せるようにはまるで思えないし、指導者の力量は逆境下で初めて発揮されると僕は思うのだが、この人にそうした資質があるとは全く思えない。というか、せっかくの歴史的な政権交代なのに、なぜ、よりにもよって、この程度の人間が党首になるのだろう。小沢さんなら、名実ともに実力者だし、能力でいえば、岡田さんなど申し分のない人もいるのになぜこの人なのか。(そういえば、選挙期間中、鳩山さんのいうことを次々あっさり否定する岡田さんは面白かった。)

民主党の政権は続くのだろうが、正直、鳩山さんはつまらないことで、結構あっさり投げだすのではないかと思うし、その方が良いと思う。

そういえば、鳩山さんの主張として、「東アジア共同体」というのがある。力量のわりに大層なことを主張するものだが、これを考えると、言動も結構整合性がとれる。意識としては、EUを想定しており、日本をドイツととらえているように思える。そう考えると、一連の姿勢も整合性がとれる。まず、日本の戦前については、謝罪する意思を明確にしており、韓国と仲良くしている。中国ともよい関係を気付くかと思いきや、一方、ダライラマなどにあっており、中国ににらまれるようなことも行っている。(これ自体勇気のあることと言える)。一方で、論文が物議をかもしているが、アメリカとは、ある程度距離を置き、よりアジア主義的なスタンスをとる。また、北朝鮮にも本来圧力よりも対話派で拉致問題にもそれほど熱心でない。外国人参政権付与にも熱心で、日本列島は日本人だけのものではない、といった発言をし、これまた物議をかもしている。これは、つまり、東アジア共同体、という単位で考えており、当然アメリカとは距離を置くし、東アジア共同体の中では、チベットも台湾もすべて平等に暮らしていく、その中で、中国、日本、といった国家という単位はあえて軽視する、という考え方をとっている。この構想については、地政学的なぜい弱性をもつ韓国、あるいは、中国の脅威に怯える台湾、チベットなら賛意を示すだろうが、まず、中華帝国、という統治形態を揺るがす動きを極端に警戒する中国にとっては危険思想だし、日中同盟は、アメリカが最も警戒するシナリオであり、アメリカ、中国にとっては、危険思想であるように思える。一方、個人的な実感としてもそうだが、やはり、日本という単位がなくなり、東アジア共同体、というのがそのアイデンティティになるというのは、日本国民にも抵抗があろうし、何より、中国に飲み込まれるのは冗談ではない、と考えるだろう。EUの場合、長年勝ったり負けたりの戦争を繰り返してきた、という歴史や、キリスト教、ギリシア・ローマ文化という共通基盤があり、かつ、戦後の荒廃と、米ソ冷戦、特に、東のソ連の脅威があり、まとまらねばならない、という強力なインセンティブがあったが、今の東アジアではそのいずれも当てはまらない。個人的には、そうした絵とは全く逆に、東アジアのイギリス、光栄ある孤立を目指すべきなように思っているので、東アジア共同体の絵とは相いれない。

麻生太郎:

僕はファンなのでどうしても、ひいき目に見てしまうのだが、よく戦い抜いたのではないかと思う。産経にいい記事があったが、ブレるとか、漢字読めない、とか低レベルの批判されながらも、大局的に見た上での行動は、プリンシプルにのっとったものであり、姑息であったり、無責任であったりしたことはなかったように思うし、自ら述べているように政策的に、大きなミスはなかったように思える。リーマンショックの大変な時期に、政局より政策を選び、アニメの殿堂など、各論では批判を受けたが、緊急の政府支出を素早く行ったことは、バブル経済の反省を踏まえた上での迅速な対応であり、大局的に見れば間違っていない。政策を重視したがゆえに、西松事件で民主党が揺れている時も解散を打たなかった(ここで打ったら幻滅だったが)。党首討論も、世論調査では不利な判定を得ているにも関わらず、毎回麻生さんの方から申し入れており、小沢さんも鳩山さんも何度か逃げており、その逆はない。支持率低下で内閣改造が叫ばれた時も、人気取りのための改造は姑息と考え、退けている。何より、本人にとっては、むしろ投げだしてしまった方が楽だったのではないかと思われるが、それにも関わらず、政権投げ出しを繰り返すことはおかしいとの原則論から、困難にもじっと耐えた。都議選の応援のとき、麻生さんに来ないでほしい、などといっている、といった報道が盛んに報じられていたが、そうした声にも関わらず、候補者をすべて回った。揚げ足取りのような報道に対して、みんなで応援しようと決めたんだ、応援して何が悪いんだ、と声を荒げていたが、荒げる理由もよくわかる。評論家を気取り、結果的に足を引っ張っている人間よりも、自ら前面に立ち続ける人間がなぜ非難されるのか。解散の時期についても、時期としては自民党にとって極めて不利だったが、一通りの政策を打ち、なすべきことをほぼなしたのち、筋として解散をすべきと思われる時に、解散を決断した。

また、安倍さんは、自分が最も苦しい時に支えてくれたのが麻生さんだと述べ、福田政権の末期にも、考えの合わない福田さんに対して党を支えるために、あえて幹事長に就任したりと、本質的にこの人は壊し屋ではなく、建築家なのだろう。与謝野さんも、麻生さんは基本的にいい人、と述べており、半径3メートルの男、といわれるそうだが、実際にいい人なのではないかと思う。

戦術的には、党員に戦う理由を与えられなかったり、ふたつに割れた自民党を一つであるべきと幻想を抱いた、あるいは切り捨てるものを切り捨てる、といった蛮勇に欠けた、といった、ある意味致命的な失敗はあった。もし、がたがたの自民党が、選挙前の切羽詰まった状況であのまま空中分解し、党首も投げ出していたら、戦後に日本を支えてきた伝統のある政権与党の最後として非常にみっともなく、後味の悪いことになっていたが、そこで投げ出さず踏ん張った結果、最後はまがりなりにもまとまり、伝統ある政権与党の最後として、それなりに立派に戦ったのでははいかと思う。

実は、30日の池袋の麻生さんの最後の演説にいったのだが、その内容は、特に麻生節を披露するわけでなく、きまった台本を棒読みするだけだったように感じた。失言と盛んに報じられた結果、得意の麻生節も披露できず、最後は気力と義務感だけで先頭に立ってきたという、その苦痛と負担が感じられ、かわいそうに感じた。

選挙に負けたのちの、サバサバした表情が印象的だった。

変わるものと変わらないもの:

さて、今回政権交代となったが、これは、日本の戦後で実質的に初めて政権交代であるが、これがスムーズにいくか、ということは今後の日本の歴史を作る上で、非常に重要である。アメリカ大統領選挙では、選挙の敗者は、敗北宣言で、勝者にエールを送る、というのが伝統になっているようにも思え、一方、ブッシュも、敵方のオバマへのスムーズな政権交代に積極的に協力しているが、政権交代が、敗者の協力によって、スムーズにさわやかになされるか、というのは今後の日本で民主主義の伝統を作る上で、極めて重要なことだ。これがもし、アフリカとまではいかないにしても、韓国や台湾で起こっているような、政権移行に対する嫌がらせや、次の与党による報復戦になるようなら、日本の民主主義の将来は明るくないように思える。ここでも麻生さんは、プリンシプルに従ってそれなりに「負けっぷりをよく」対応しており、非常によいのではないかと思う。また、おそらく日本社会も日本が共和国になることも社会主義になることも望んでいないように、社会が全くひっくり返ることは望んでいないだろうが、民主党も政権与党になるにあたり、何を変えるか、だけでなく、何を変えないか、ということも重要なことではないかと思う。内政については、変えるだろうし、変えるべきだろうが、たとえば外交などは、急旋回することは決して望ましいことではない。個人的な考えをいえば、教育政策についても同様だ。やはりこのあたりも、アメリカでは、政権が交代しても、いずれの政党もアメリカの伝統に忠誠を誓っており、本質的にアメリカの価値についての合意はできている。反対党の政策についても、その次の与党が基本的に責任をもって引き継ぐことが前提とされており、政権が変わったからと言って、無責任にすぐに何でも変えるわけではないが、これが社会に対して安定感を与えているのではないかと思う。選挙の時に、反対党と違う意見を言うことはやむを得ないが、あまり変えるべきところでないところ、少なくとも急激に変えるべきところでないところについては、むしろ君子豹変すべきではないかと思う。インド洋の給油活動やソマリア沖への自衛隊派遣など、急にやべるべきではないと思うし、アメリカに背を向けることについても、多くの国民から見て反対意見だろう。CO225%削減についても、特にこれはインパクトが大きいがゆえに、やめた方がよいのに、と感じる。政権与党となる民主党にとって、試されるのは、マニフェストをいかに守るかではなく、変えるべきでないところをいかに守るか、というバランス感覚ではないかと思う。この変わるべきでないところ、について、明確になり、国民的合意が成立すれば、日本の民主主義はより安定したものになると思う。