民主党が大勝のようだ。ちなみに、僕は自民党に投票したので、この結果は残念だ。実は、内政政策については、民主党が唱えている政策には大きく賛成なのだが、なんだかんだバリバリの保守主義であり、さらに麻生さんのファンなので自民党にした。

国民新党の綿貫さんが正しく指摘しているが、これは、小泉さんが自民党を「ぶっ壊した」結果のように思える。自民党の基盤は、主に地方に深く根を張った公共事業であり、郵便局であり、業界団体であり、恐らくこれは、田中角栄が作り上げてきた集票マシンだが、こうした団体の影響力が、構成員の高齢化などにより経済の中で弱まる一方、いつまでもこうしたところに、金を流し続けるわけにもいかないのは明らかである。都市を選挙基盤とする小泉純一郎がこれを見抜き、こうした支持基盤を切り捨て、代わりに都市に住む市民を対象とする改革を打ち出したのだ。この結果郵政選挙で大勝することになる。一方、これにより、かつての自民党の支持基盤が切り捨てられたことを見抜いた小沢一郎は、この空白をいち早く埋めにかかる一方、子供手当て、高校無料化、高速道路無料化を掲げ、都市の市民を新たな集票マシンにする戦略にでた。そして、さらに、サブプライムショックが世界を襲い、いわゆる市場主義的な考え方が、世界的に支持を得られなくなってきた。つまり、自民党は、かつての支持基盤を切り捨てた一方、新しい支持基盤を獲得することに失敗し、亀井静香が指摘するように、支持基盤が創価学会ぐらいしかなくなってしまった。そう考えると、自民党が敗北するのは必然的な結果だ。さらに、多くの人が指摘しているように、自民党のアイデンティティは、政権政党であること、であり、だからこそ中央から金を引っ張ってくることができ、支持基盤に金を流すことができたが、今後そうもいかなくなる。業界団体、中小企業などは、所詮与党になりそうな政党を支持するだけであり、今回の選挙でも民主党に支持を変えた団体は少なくない。よって、自民党はこうした与党であるがゆえに持っていた支持基盤も失うことになる。

よって、(僕は好きではないのだが)鳩山由紀夫が指摘するように、「風ではなく地殻変動が起きている」、というのが正確な表現ではないかと思う。

実は、自民党が、賞味期限切れ、となっていたのは、森政権の時ではなかったかと思う。しかし、これを大幅な外科手術で延命させたのが、構造改革を掲げる小泉純一郎であった。これにより、自民党は、9年間命脈を保つことができたが、逆にその代償はあまりにも大きく、今回の大敗を招いた。もし、小泉が現れなければ、自民党は、その支持団体が縮小化するのに伴い、だんだんと退潮することはあったとしても、これほど極端に敗北することはなかっただろう。

また、今回の民主党の勝利は、小泉純一郎の勝利よりもより大きな意味を持つ。小泉改革については、当時不況と金融の病に苦しむ日本にとっては、支持を得やすい政策だったとしても、日本の長期的な問題、つまり、人口の高齢化と中央集権国家に対する対策ではない。ましてや、郵政の民営化というのは、この取り組みが始まったころに多くの人が言っていたように、日本にとって、本当に優先順位が高い問題であるかも疑問であるものだった。郵政民営化については、小泉純一郎自身のライフワークであり、信念なのだから、それで勝負をかけることについては、共感を得られ、説得力を持つが、長期的に日本に必要な施策という意味ではそれほど重要ではない。(岡田克也が、郵政選挙は日本の民主主義にとって良くなかった、と述べていたが、日本にとっての優先順位がそれほど高くない、という意味で、これは真実だ。)。しかし、今回民主党が掲げている、少子化と地方への対策については、長期的に日本が取り組むべき対策の優先順位にまさに合致することであり、これへの支持は、単なるショーではなく、長期的に続くと思われる。

また、マニフェストを見てみると、結構どこの政党も言っていることは一緒で、
・少子化対策
・地方分権
・官僚支配の打破
・医療/年金の安定化
あたりであり、こういうのを見ていると、他の国のように、国の中に様々なグループがあり、利益が衝突していて、それぞれを党が組織化しているという状態ではなく、日本というのは二大政党制はそぐわない国なのではないかと思う。だた、問われるのは実行力、マネジメントの違いであるだけで、これらにいまいち成果を出し切れていない自民党には、やはり説得力が感じられないのかもしれない。そして、恐らく日本の国民性として、みんな与党側にいたい、というベクトルは働くのだから、政治は基本的に与党有利であり、いったん変わるとなかなか変わり難いのではないかと思う。小泉さんは、「民主党は私の時には、改革が遅いと批判し、今は改革が誤りだったと批判している」と批判しているが、メディアの問題もあるが、ある意見に賛成か反対か、というのではなく、与党か野党か、という違いしかなく、与党が白といえば野党は黒といい、いいややっぱり黒だったと与党が言えば、野党は白という傾向になる。

ゆえに、民主党政権は、しばらく長期政権になると思う。(一つの例外的な可能性があるが、これは後で書く)。

麻生首相で非常に残念なのは、麻生さんは、その広い視野で、早くから少子高齢化や地方分権、医療/年金には、早くから課題と認識し、小泉さんの自由主義路線に必ずしも賛成でなく、かつ、サブプライムショックで、財政出動に大義名分が立ったにもかかわらず、その財政出動を、いわゆる民主党が現在主張しているような、国の形を変える、新たな集票マシンをつくる、というところに使わなかったことである。これは、日本にとって必要な政策というだけでなく、これをおこなえば、小泉さんが昔よくやったように、民主党の大義名分を奪い、単なる反対主義者のレッテルを貼ることができたのに、、、と思われ、そこは残念でならない。


民主党の政策:

率直に言って、内政政策については、民主党の考えに大きく賛成だったりする。特に、少子化と分権は極めて重要だ。自民党は民主党の政策には成長戦略がない、と批判するが、民主党のマニフェストにあるように、少子化対策等により内需拡大をはかることにより、経済成長を行う、とあり、これは正しいと思う。そして、これは、高齢化対策と経済成長という意味で、かなり優先度の高い課題だ。

海外を旅行したり、外国人と仕事をしていてつくづくと感じるのだが、なんであんないい加減で、怠け者の連中に比べ、こんなに懸命に働いて仕事もしっかりやっている日本の経済の方が成長しないのか、というのは不思議でしょうがなく感じるが、僕なりの答えとしては、既に競争が行き過ぎた分野に対してがんばりすぎて、一方、潜在的にものすごい需要がある福祉や、子育て支援に対して、金をかけないというところが問題なのではないかと思う。GDPというのはつまり、どれだけ金が回ったか、ということであるから、別に低炭素革命で金が回ろうとも、子育てで金が回ろうと、金が回っていればGDPは増えるのだ。

また、今回投票の為に、地元に帰ったが、僕の地元は、恐らく僕の両親が結婚して家を買うような時代に作られたニュータウンで、名前もずばり角栄団地というが、つまり、その時結婚した世代の人が集中している地域であり、ちょうど僕が育った頃がその地域が一番栄えている時代であり、以後はなかなか新しい人が、移り住むこともすくなく、学校などもかなり小さくなっており、商店街も相当店じまいしている。(とはいえ、近くに大学や高校が結構あり、そういう意味だと近くに若者をみることもできる。)こういうのをみるとさびしくなるが、逆に感じたのは、子供が生まれる、というのは長期的に相当な需要を生むということだ。人口が増えれば、まず、家がいるし、学校や保育園、塾もいるし、商店街いる。支出という意味では、どう考えても、子供が独立した後の世代よりも、子供を育てている世代の方が圧倒的に支出するに決まっている。借金しても支出せざるをえないんだから。そして、我が地元もそうだが、かつて急増する子供の為に作られた施設は次々縮小化しているが、そういう縮小に対応することは、新しく何かを始めるよりも大変なことであり、こういうことも、経済成長しない要因として大きいのではないかと思う。

さらに、年齢的に、同年代が結婚して子供を生んだりするのだが、結構いわゆる割と給料がもらえる会社にいるつもりだが、それでも、家を買って子供を2人養うのはつらいといっており、これゆえに子供を生まないという選択をする人も多い。ついでにいうと、お母さんが働こうにも保育園が全然ないという。女性が子育てをしながら働けるようにすることも大事だが、一方で、家をかって子供を養えないような状態が普通というのもおかしかろうと思う。

かつて日本の交通インフラが整っていなかった頃に、田中角栄は、道路整備を主張し、それを利権化したが、このように、実は潜在需要があるのだが、それが組織化されていない分野については、国が率先して、強引に方向を定めることが妥当だ。そして、かつての道路整備は今の子育て環境の整備にある。

さらに、地方分権も、非常に波及効果が高いと見る。地方で何年か働いてみてつくづく感じるが、日本は、東京とそれ以外の都市は全然違っており、東京の一極集中は明らかに行き過ぎており、一方、放っておいたら、地方には仕事がないので、ますます東京一極集中が進んでいく。海外も結構いったが、体感的に東京ほど大きな都市はないと思う。いやいや東京よりも人口が多い都市はあるよ、というかもしれないが、あんな巨大なビル群が、延々と続くなんて都市は見たことない、ロンドンやパリだって、東京ほどではないと思う。一方で、地方に行くと、大阪や名古屋でさえ、職場から30分ほど電車に乗れば、静かな住宅地がふつうにあり、仕事さえあれば、なにも好き好んで東京に住む必要はなく、実は地方の方が全然ゆとりのある生活ができる、という方向性になれば、すでに飽和している東京よりも経済の波及効果は全然大きいように思える。
ところで、地方分権ということについて、以前書いたが僕は道州制論者だ。理由は経済政策の適正規模であり、小沢さんの全国300自治体というのは、経済政策をやるには小さすぎるように思え、また、東京から地方に住む、という都落ちのイメージよりも、古い都市から新しい都市へ、といったイメージが非常に大事になるが、その為には、道州制ぐらいの規模で、道州というのは台湾であり、満州であり、というようなイメージにならねばならないと思う。ところで、日本の経済発展のためには、個人的には、竹中平蔵が唱えるように、自由化すればいいというものではなく、MITIによる産業政策を支持してきたが、最近はその考えを少し変え、日本経済も成熟してきており、日本の経済規模が小さい時代は、総力を結集するひつようがあるから、それでも良かったが、世界に冠たる日本企業に、日本株式会社が指図するというのもかえって邪魔に思われる、というのもなんとなく感じてきた。なんとなく想定だが、経済政策を講じる地域とその経済規模には適正量があり、国全体が貧しい場合は国全体でまとめねばならないのだろうが、国の経済規模が大きくなると、その大きな単位を、一つの司令塔で制御する、というのはかえって非効率になり、経済規模の拡大に伴い、その経済地域の単位は分割されるべきではないか、と考えるようになった。かつて、偉大なる実績を残した通産省も、官僚制が解体される、というのではなく、新しいフロンティアに対して、台湾や朝鮮や満州を建設する、と思えば、その能力を遺憾なく発揮できるように思える。

一方、官僚支配の打破、については、必ずしも賛成ではない。結論から言うと、天下りを禁止するというのなら、公務員の給料は3倍ぐらいにすべきで、基本的に、国家に最高の人材を送るべきであり、公務員には名誉と責任感と共に、金を与えるべきだと思う。そのかわり、国益に反するような行為に対しては、もちろん大いに罰則を強化してもよい。官僚支配で何が悪いのか、といえば、要は彼らのマネジメントが稚拙であり、国益を害し、自分自身の利益を増進するから問題だ、ということであり、例えば、自分の天下り先を確保する為に、薬害を隠し、製薬会社を守るような連中だろう。しかし、もっと悪いのは、官僚が無能になる、ということである。たしか20年ぐらい前は、日本は、政治家は三流だが、官僚は一流、といわれてきた。「官僚たちの夏」をみると、日本再建に尽くした官僚のことがよくわかる。よく覚えていないが、そういう時代は官僚は、それほど天下りなどうるさく言われていなかったのではないかと思う。バブル崩壊以降、そうした官僚優秀説が説得力を持たなくなり、一方天下りのような慣行のみのこったからたたかれるのかもしれない。
重要なのは、公務員の給料自体が高すぎる、ということが問題なわけではない、ということだ。こうした害の大きさに比べれば、給料を上げてやることぐらい、全然たいしたことはない。公務員から見れば、難しい試験を通った上に、若い頃から安い給料で馬車馬のように働かされ続けているのだから、そりゃ、そういうおいしいめがなければ、なぜ、ひとよりも優秀で、かつ努力してきた自分たちが、そうではない連中よりも、貧しいんだ、という不満は当然出るだろう。実際、官僚たたきばかりやっていたのでは、優秀な若者が官僚を志さなくなるのではないか。これこそ由々しき状態ではないかと思う。実際、公務員の給料を3倍にする、というのは、インドネシアのユドヨノ大統領が行い、これにより、役人は悪事を働く必要がなくなり、国に秩序と信頼を与えることに成功し、国が発展を始めているそうだ。リー・クアン・ユーは、回顧録の最後に、「国家に最高の人材を送ること」を主張している。


(つづく)