僕が敬愛する志村けんさんのお母様の逝去について思うところを。
これは志村さんに限ったことではないんですが、
芸能人の身内が亡くなると、葬儀の場にもマスコミが現れては
その様子を報道します。
有名人ですのでこれは構わないと思います。
どうしても嫌な場合は密葬という形で済ませる選択肢もありますし、
実際そうされている方々も大勢おられます。
僕が物申したいのは、報道内容の部分で、
今日の志村さんの時もそうでしたが、
「憔悴しきった様子」
「気丈にふるまい」など、
そのフレーズを文中に挿入しなきゃいけない
設問でも解いてるんですか?と聞きたくなります。
似たところでは、遺体で発見された人についても、
「変わり果てた姿で発見」という表現が義務化されているのかと
問いたくなるほど乱立します。
お母様の葬儀にいた志村けんは、
僕がずっと好きで憧れる志村けんそのものでした。
多少疲れてはいそうでしたが、憔悴などしていませんし、
無理に気丈に振る舞っている様子もなく、
いつもの頼もしく男らしい尊敬すべき志村けんがそこにいました。
記者は憔悴という言葉の意味を知ってて使ってるんでしょうか?
「気丈に」という表現にも敬意を感じません。
志村けんほどの地位にいる人に対して用いることには
むしろ若干の挑発すら感じます。
もうかなり前のことですが、
母親を亡くしたビートたけしさんに対しても、
葬儀での囲み取材が酷いものだったのをよく覚えています。
そもそもですが、
身内を亡くした芸能人が葬儀でどんな様子だったのなを
知らしめる必要もないと思うんですけどね…
もうこういう道徳はメディア界には期待できない
ということが常識になりつつあることが一番悲しいです。