てめー、チクってんじゃねーぞ! | マコチンのブログ

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子どもの頃、学校で友人の間に理不尽な事や
卑怯なことが起こると、よく自問自答したのが
「チクるかどうか」ということです。

先生の存在が正義であっても、
友人と自分のいる空間はそれと切り離した別次元の世界で、
その壁を突き破って先生の元へ助けを求めるのは卑怯者。
今思えばアホなんですが、子どもってそんな世界がありますよね。


ところがどっこい、
大人の世界になると行きすぎた「チクる」がある気がします。

たとえ自分が正しく、相手が悪であったとしても、
なんでもかんでも人に言うのはいやらしいです。
ましてやその動機が「解決」ではなく
「怒り」「憎しみ」「恨み」でしかないなら、
その行為自体も正義ではなく悪意に他ならないでしょう。

今はインターネットがあり、YouTubeがあり、
撮影さえ強行してしまえばデータが手元に残り、
それこそ1億3千万おろか、ネット人口の30億人近くに瞬時に「チクれる」時代です。

学校の先生だけが相手なら、
該当者の親が呼び出され、校長室で注意を受け、
形式的でも加害者が謝れば事態はそこで一旦終了します。
でもネットはそういうわけいはいきません。

アップロードした者に賛同者が増えれば、
加害者(と言っておきます)側はどんどん追い込まれ、
顔写真、住所、家族や恋人、あらゆるものを晒され
職や人生を壊すケースもあります。

ここで問題なのが、被害者側が100%気の毒だったとしても、
「全世界にチクった」という事実が執拗な追い風を生み、
最後は被害者すら望まない規模で加害者側が致命傷を負い兼ねないことです。
 
間違っている側が謝罪し事が済めばそれが一番良いに決まってるし、
犯罪でもない限り「突き落としてやる!」とまで熱くなってるなら
被害者側に「少しは落ち着けよ。」と言いたくなります。

以前こんなブログを書きましたが、犯罪者を晒すのと
「うっかり調子に乗っちゃった人」を晒すのとでは意味が違います。
30億人の野次馬に屋上から30億枚の告発チラシを顔写真付きでばら撒くのは
さすがにやりすぎじゃないかと。

許しがたいほど不愉快な事態に遭遇しても、
最終的には片方が謝って和解できるのが大人なのであって、
加害者も被害者にも「そこを目指す」前提がある方が素敵です。
「これは許せん!!撮影して投稿してやる!!」と頭に血が上り
そのままの勢いで数え切れない「許せない!私もシェア!」を
勝ち取ったところで、本当にそれで満足なんですかね。

つい悪事を働いてしまったその人にも家族がいて、
育ててくれた親なり誰かがいて、
友達がいて、
ひょっとしたらその中に自分の知り合いがいるなんて偶然も
あり得ないわけじゃないし、

うーん、うまく言えなくてもどかしいけど、

個人や企業への攻撃を世界に配信するのなら、
その前に深呼吸してみようぜってことです。

「てめー、チクってんじゃねーぞ!」
が正論になる時代ってのも嫌なもんだぜ!


な、

金太郎♪
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