こんばんは
少し前に、宮城県多賀城市に行ってきました
東北の謎の神「アラハバキ」さんを祀る荒脛巾神社⛩️(アラハバキ神社)へ行ってきたのでーす
これまでにmakochanが訪れたアラハバキ神に関連する神社はこちら↓
今回は、多賀城跡の側にある荒脛巾神社⛩️です‼︎
多賀城跡
多賀城跡
奈良県の平城京跡、福岡県の大宰府跡と共に日本三大史跡の1つで、国の特別史跡。現在は建物は何もありませんが、多賀城は奈良・平安時代に陸奥国(むつのくに)の国府が置かれたところで、奈良時代には軍事機関の鎮守府(ちんじゅふ)も併せ置かれていました。724年(神亀元年)、大野東人(おおののあずまひと)によって創建され、11世紀の中頃に終焉を迎えるまで、古代東北の政治・文化・軍事の中心地としての役割を果たしました。
政庁跡は、多賀城のほぼ中央に位置し、東西103メートル、南北116メートルの築地塀で囲われ、重要な政務や儀式が執り行われた場所でした。春に咲く政庁跡の桜はなかなか見応えがあり、隠れたお花見スポットです。
荒脛巾神社⛩️は⭕️で囲んだところ↓
JR国府多賀城駅から歩きます🚶♀️
住宅地を歩き、鳥居が見えてきましたよ↓
民家の敷地内にあります。
おじゃましまーす🚶♀️
荒脛巾神社⛩️
道祖神
道祖神って、男性のシンボル像が納められてることがある。以前、岩手県遠野市に行った時にいっぱい奉納されてるところがあってびっくりした覚えがあります。アラハバキさんと道祖神は関係あるのかな🤔
養蚕神社
↓水金神?
井戸?のようでした。
以下、ネットより拝借↓
荒脛巾神は謎の多い神である。東北・関東地方で祀られていることの多い神であるが、“客人神”という立ち位置で、その出自ははっきりとしない。おそらく朝廷の信奉する神々とは別系統で信仰されていた土着の神が、取り込まれて生き残ったものであると推測するのが妥当だろう。それだけ強く信仰されたと考えられる神であるが、ただその性格は多様である。一方で『東日流外三郡誌』の記述によって固着したイメージがあり、ミステリアスな存在となっている。
多賀城市にある荒脛巾神社は、鹽竈神社の境外末社となっている。創建時期は不明であるが、安永3年(1774年)の記録には記載されており、その頃には仙台藩より所領が寄進されていたという。この神社は一般的には“腰から下の病気”にご利益があるとされている。この神の名にある「脛巾」が脛に巻いて用いられる装具であることから、足腰に関するご利益が求められたのだろう。また「脛巾」が旅に用いられることから“旅の神”と考えられ、祠にはたくさんの草鞋が奉納されている。さらに旅から連想されるためか、あるいは神社の立地から境界を守る守護神とも考えられ、“塞の神=道祖神”的性格も帯びており、実際、道祖神のシンボルでもある男根がいくつも奉納されていたりする。
その他にも境内には鋏を奉納した養蚕神社があったり(鋏は「病の根を切る」という意味があるとされているが、これをもって荒脛巾神を“製鉄”の神と考える説もある)、何故か聖徳太子を祀る太子堂があったり、とにかく種々雑多な信仰が荒脛巾神に融合されている感が強い。またこの神社は民家の敷地内を通って入っていくために、さらに民間信仰らしい雰囲気を醸し出している。
アラハバキさんが足腰の神様になったのは後付けなんじゃないかな🤔
makochanの「多賀城さんぽ」は、
続く
※道祖神