昨日4月18日は

この方の19回目の命日だった

 

俺が日赤に異動になった時

最初に担当させて頂いた

胃癌の男性だった

約1年

共に闘病させて頂いて

病院で看取らせて頂いた

 

車が大好きで

俺が当時インテグラtypeRに乗っていた話をしたら

意気投合して

ご自宅までお邪魔したこともあった

奥さんも気さくな方で

旦那さんの事が大好きだった

 

抗癌剤の効果が無くなってきて

「フコイダン」と呼ばれる海藻エキスを

飲んでも良いかと問われた時期もあった

藁にもすがる思いで癌と闘って

最後の日

俺は緊急オペがあって

病室へ伺うのがいつもより遅くなった

もう今にも息が止まりそうだって状態にもかかわらず

俺が当時の後輩だった研修医と共に部屋に入ると

奥さんが「先生来てくださったで!」

と声をかけると

俺にはわからなかったが

奥さんが言うには、うなずいたとの事だった

いつも通り、短い声掛けの後

研修医を連れて部屋を出て

ナースステーションに戻り

カルテを机に積み上げて

患者さんらのその日の状況を書き上げる日課をこなそうと思った矢先

奥さんがナースコールを鳴らしたようで

研修医を連れてもう一度部屋に戻ると

呼吸が止まっていた

 

「先生を、待ってはったんですわ」

奥さんがそう言ってくれた

泣き崩れる奥さんを見て、一緒に泣いた

色々勉強させて頂いた患者さん以上に

友達のように感じさせて頂いた方だった

その方が旅立って、もう19回目の命日を迎えた

家に帰ってきてふとカレンダーを見ると

嫁さんが書き込んでくれた「西岡19回目」の文字

いつもならスルーなのに

昨日はなんだか妙に気になった

自分のスマホを出し

電話帳を調べると

あった、「西岡さん」の文字

自宅に電話をかけると留守番電話に繋がった

奥さんは留守なのかな?と思ったら

しばらくしてコールバック

奥さんの元気そうな声にまずは一安心

それから矢継ぎ早にしゃべりだす奥さん

懐かしい話にも花が咲き

20分ほどで電話を切った

 

毎日思い出すなんてことはない患者さんだが

俺の医者としての今に

大きな影響を与えてくれた一人であるのは間違いない

生きたいと思う執念もすごかったし

生き方を見せてくれた人でもあった

来年は20回目

生まれたての赤ちゃんなら成人だ

長いようであっという間のこの19年だった

西岡さんはきっと俺を見ている

見られているからこそ

恥ずかしい診療はしたくないなって

改めて思った日になった