夏野菜の王者キュウリ

8月10日

 漬物でも酢の物でも、やはり単純に生のまま味噌をつけて食べるのが良いかな、夏野菜のもう一つの横綱がキュウリだろう。


 ウキペディアによればウリ科キュウリ属のつる性一年草の果実、インド西北部のヒマラヤ山脈の南の山麓地帯が原産で[8]、紀元前10世紀ごろには西アジアに定着したとみられている[11]。紀元前4000年前にメソポタミアで盛んに栽培されており、インド、古代ギリシア、古代エジプトなどでも栽培された。その後、6世紀に中国、9世紀にフランス、14世紀にイングランド、16世紀にドイツと伝播していき、16世紀ごろのヨーロッパで栽培が盛んになった[11]。アメリカ大陸には15世紀末、クリストファー・コロンブスがハイチに持ち込んだのを端緒に普及していった。キュウリを好物とした歴史上の有名人としてローマ皇帝ティベリウスがいる。

 日本ではしかし、キュウリ受難の歴史が続きます。
6世紀に南伝種が中国から伝わったとされ、仏教文化とともに遣唐使によってもたらされたとみられていますが、当初は薬用に使われたと考えられていて、空海が元祖といわれる「きゅうり加持」(きゅうり封じ)にも使われてきました。食用としては江戸時代までは主に完熟させてから食べていたため、「黄瓜」と呼ばれるようになり、完熟した後のキュウリは苦味が強くなり、徳川光圀は「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」と酷評でした。貝原益軒も「これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり」と、はっきり不味いと書いているように、江戸時代末期まで人気がある野菜ではありませんでした。
 そして、イエズス会宣教師のルイス・フロイスは著書『日欧文化比較』(1585)で「日本人はすべての果物は未熟のまま食べ、胡瓜だけはしかし、すっかり黄色になった、熟したものを食べる」と分析しています。
 重要野菜として定着したのは江戸時代末期、キュウリの産地だった砂村(現在の江東区)で、キュウリの品種改良が行われ、成長が速く、歯応えや味が良いキュウリが出来て、一気に人気となったそうです。明治末期には、栽培面積でナスの3分の1強ほどになり、第二次世界大戦後は温室栽培が盛んになり、特に生食用野菜として重要視されてからはトマトと果菜類の収穫量の首位を競うほどになっているそうです。
 昨日はヘルパーさんに言って、キュウリのスライスたっぷりと、ツナの缶詰を使って料理を頼みましたがツナが切れてるとかでまた次回に。宮崎に冷や汁とかが郷土料理にあるそうです、それを念頭になんか美味しい夏向きのかけ汁が出来そうな気がしています。そうだ、味噌も梅干しも入ったほうが良いな。
皆さんも、こんなキュウリレシピは如何です?なんてあったら教えてくださいね。


8月10日の誕生花は、「ルコウソウ」です。
ルコウソウは、漢字では「縷紅草」と書きます。
これは、縷(細い糸)のような葉っぱを持ち、紅色の花を咲かせることにちなんでいるんですよ。

ルコウソウの原産地は熱帯アメリカで、日本にやってきたのは江戸時代のことです。
ヒルガオ科の植物で、カンボジアから来たアサガオに似た植物ということから、別名「カボチャアサガオ(南瓜朝顔)」とも呼ばれます。

ルコウソウの花言葉は、「出しゃばり」・「おせっかい」です。
これらは、この植物がツル性で、周りにあるものにツルを絡ませて成長していくことから付けられたのです。今日生まれの方がそうであるわけじゃありませんからね。