今にも白いものが舞いそうな寒い日です。

温かくして過ごしましょう。

 

誉田の思い出 その3

   甘い通信簿と友達

 

 オール5はオール4になった。通信簿のことである。校長の子供ということで、きっと担任の先生のご配慮が働いたのだ、と思う。体育だったか、体操だったか、うろ覚えだが、一科目4以外は5だったが、誉田小学校に来て、全て4になった。今は絶対評価、しかし、昔は相対評価、要するに、クラスでのトップグループからは外れたこと。しかし、僕は、そんなこと全くお構い無し、新しい友と、新しい遊びに夢中になった。

 

 誉田小学校は、現在地と少し違う、当時、常陸太田市街が北に延びる大子街道のすぐ側にあった。低地だから見晴らしはない。しかし、すぐ脇の道は、生瀬内大野に繋がっている、この間まで遊んだ仲間はどうしているか、教室の窓から時折見掛けるバスの姿に、内大野の友を思うこともあった。

 

 誉田でも、友は何人か、すぐ、出来た。今、自由が利かないこの身になって大変なお世話をかけてるH、Tは、転校したてで出来た、竹馬の友と言うのだろう。その他、少し悪ふざけするM、今はちと病気がちな奥方専念で交流途絶えてるSなど。やはり思春期の始まりなのか、女友達は出来なかった。だが、勉強が出来て目がクリっと大きいKは気になった、でも、何か言うとビシャっと言われそうで、話しかけることはなかった。

 

 校庭から土手道を登って行くと、別世界の野原が広がっていた。正に小さな大草原の世界だった。地球のように丸く畑が弧を描き、その弧のてっぺんに、我が家があった。足元には、色とりどりの草、花、虫が生きていた。遠くを観ると、山並と稜線、今、大袈裟に言えば僕は、マクロとミクロの大事さを、この景色から学んだ気がする。