TEKUてく因幡2024(その4)~衆楽園遊郭跡 | 大根役者

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日常と街道の旅を続けています。ガスリーのHobo's LullabyとアズナブールのLe cabotin(大根役者)を友に

鳥取市衆樂園遊廓跡を訪ねた。遊郭跡の佇まいが好きだ。嬌声の中に存在した悲哀と虚構の世界と時代を想像するのが好きだ。風俗という言辞は風習という言葉に置換してもいいのだが、いつの時代か、定かではないが、性的サービスを提供する店を風俗店というようになった。岡場所、遊郭は、日本の風習であり、文化であった。


鳥取市衆樂園遊廓は鳥取市瓦町に存在した。鳥取駅前のアーケード街「サンロード」を進むと太平公園が見えてくる。

 

この辺りにも鳥取池田氏の城郭があり、扇邸という藩主別荘があった。明治になって、この場所で、各種の興行が行われる歓楽街になり、衆楽園と呼ばれた。

近くに温泉も湧出し、鳥取駅前は、近郊から人々が訪れるようになった。

遊廓は藩主の別荘の在つた所で、私娼から公娼へと生業も変化し、貸座敷が四十七軒、娼妓は八十五名、芸妓は三十五名も居たという。娼妓は、置屋に所属し、送り込み制だった。
条家、小松家、鶴の家、達磨、成都、開喜樓、由伸、由元、益家、今津、末廣、玉喜、はやし、糸竹、明月、三松、甲州樓、芳川、井筒、由芳、戎家、中松の家、錦波樓、都家、壽、丸清、山正、丸竹、吉田樓、春日野、君の家、富の家、由明樓、布袋、武藏野、風月、三友亭、若葉、壽の家、福住、五月樓、松の家、開楽、成田樓、新吉田樓、加根吉、稲荷山、等の名が残っている。

 

照和33年の買収防止法施行まで、賑わいが続いていた。施工後も当然、この界隈で、

取り締まりの網の目の中で、営業を続けていたのだが、徐々に姿を消し、文化の残骸が

存在している。

かっての賑わいを想像しながら、早朝、衆楽園を歩いた。

夜の闇を灯す薄暗い街灯が思い浮かんだ。嬌声と街角から現れる派手な服装の娼婦が見えた気がした。

 


松屋横丁といういかにもそれっぽい建物が残っていた。かっての横浜黄金町みたいだ。

一階の通路を抜けると、広場があり、稲荷神社が祀ってあった。この広場に、小さな店がひしめきあって、客の取り合いをしていたのかもしれない。

照和30年代の風景を想像していた。高度成長期の波は鳥取にも押し寄せていたのだろう。

瓦町界隈にも新しい文化の波が徐々に押し寄せてきている。かっての遊郭跡を利用した料亭や若者たちによるコミュニケーションスペースも作られている。

 

鳥取は京阪神、岡山からの交通の便もよい。この場所は、鳥取駅前から五分。最高のロケーションの中に存在する【HIS】旅行プログラム

 

 

 

 

 

 

。新宿ゴールデン街同様、外国人観光客が、あふれるスペースになるかもしれない。日本一の砂場がある町、日本地図でどこにあるかわからない県の鳥取が、インバウンド需要による人気ランキングに入ってくるかもしれない。