京都ひとり散歩(その7)~上賀茂神社(その2) | 大根役者

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上賀茂神社の摂末社は26社ある。

楼門を出て左手へ進むと石段がある。石段の突き当りにあるのが新宮神社(重要文化財)。

祭神は高龗神。貴船神社と同じ神で、上賀茂神社の境外摂社の貴船神社に自然災害等で、お参りできない時に、境内に分霊したもの。
大山祇命を祀る山尾神社がこの境内にあるのだが、門が閉まっているので、お参りできなかった。

山の神を祀る山尾神社の反対側に川の神を祀る川尾神社(重要文化財)がある。

片岡社(重要文化財)

片岡橋を渡ったところに鎮座するのが片山御子神社(片岡社)だ。上賀茂神社の第一摂社に指定されている。

片岡社の本坪鈴は、大きな鈴ではなく、神楽鈴が15個つけられたもので、鈴緒が二本ついている。カップルで一本一本紐を持って鳴らすらしい。まあ最初のうちだけだろう。

お祀りされているのは、主祭神「賀茂別雷大神」のお母さま「玉依姫命」。縁結び・子宝・安産・家内安泰のご利益があるとされている。

紫式部も通った京都きっての縁結びスポットとしても知られているのだが、僕がお参りした時には、若い女性が本殿前に

列を作っていた。ひと昔前なら、「御一緒にお参りしましょうか?」と声をかけたのだろうけど、今の僕には、そんな気がおこらない。

縁結びの祈願をして、絵馬を奉納する。絵馬は神紋の二葉葵の葉の形でハート型になっている。紫式部がデザインされている。書かれている和歌は

「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしずくに 立ちやぬれまし」

いつまでも、朝露に濡れると風邪をひくので、早く帰ったほうがいい。

紫式部の歌碑

紫式部歌碑建立記念植樹

平成20年、京都北ライオンズクラブ結成45周年を記念して「ならの小川」のほとりに子の歌碑が建てられた。

 

須波神社(重要文化財)

「延喜式神名帳」に「山城国愛宕郡 須波神社」と記され、平安時代中期には既に祀られていたとも言われている。江戸時代後期明治10年に内務省が末社・諏訪社を境内摂社に指定し、須波神社に社名を改めたと言われている。

 

岩上(がんじょう)

楼門の向かい付近に、生い茂る草木に囲まれて岩の座す一帯がある。

社殿等はないが、周囲には神域であることを示す結界が張られている。
案内板を転記する。


『賀茂祭(葵祭)には宮司この岩の上に蹲踞、勅使と対面し、御祭文に対して神のご意志を伝える「返祝詞」を申す神聖な場所である。(中略)この岩上は神山と共に賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所である。神と人との心の通路でもあり「気」の集中する場所である。』

 

この岩上は御祭神が降臨した神山と共に上賀茂神社の信仰の原点となる場所で、古代より重要な祭祀が行われ、神聖な「気」が集中している場所である。「この土地の気の発生源で、最も強いパワーがある」と言うパワースポットだ。

岩上の後方にある小山は禁足地になっている。

 

賀茂山口神社(重要文化財)


ならの小川(御手洗川)から東に分流する沢田川の畔に祀られ、沢田神社とも言われている。起源が明確ではないが、貞観元年(859)正月27日に従五位下に叙され、それ以前から祀られていたとも言われている。「延喜式神名帳」に「山城国愛宕郡 賀茂山口神社」と記され、式内社(小)に列せられた。明治10年に内務省によって上賀茂神社の境内摂社に定められた。稲の神とも言われている御歳神を祀り、上賀茂神社の御田を始め、神領地の田畑守護の神とされている。
歳神は日本最古の歴史書「古事記」によると須佐之男命の子孫で、大年神と香用比売の間に生まれた子神で、穀物神とされている。

 

願い石(陰陽石)

 

上賀茂神社の境内に、願い石(陰陽石)がある。 「願い石」は、 池の底から出土した陰陽石だ。石の表面の質感が異なり、陰と陽が融合した石になっている。この願い石は、両手で同時に触れると願い事が叶うと伝えられている。

 

 願い石があるのが、渉渓園と呼ばれる庭園だ。

陰陽石の側に大きなスダジイの木がある。

 

睦の木

案内板には「このスダジイの木は、300年以上昔よりこの大地に根差し、一つの根より大樹が何本も伸びているところから一つに結ばれた仲睦まじい家族を表す。家族の絆や家内安全を見守って下さいます。そっと手を合わせてお祈り下さい。」

と書かれている。

岩本神社(重要文化財)

鎮座年月日は不詳。大岩の下の東傍にあったことから岩本社と言われ、後に大岩の上に移る。現在の岩本社は寛永5年 (1628) に建てられた。
海上の守護神また和歌の神とされる底筒男神・中筒男神・表筒男神(住吉三神)を祀っている。在原業平がごうしされているとも言われている。

 

渉渓園から、神山方面に進むと赤い林立鳥居が見える。

 

二葉姫稲荷神社と刻まれた石碑がある。

参道を進むと祠が見えてくる。途中の木の隙間に小さな鳥居があるのもこの山への信仰なのだろう。

八嶋龍神社

神宮寺の移転後に池が埋められたとき、池の龍神が村民の夢に出たので、 龍神を祀ったといわれている。。

御影龍神

天之斑駒社。

祭神は御祭神は天之斑駒。天斑駒(天斑馬)は「古事記」の天岩戸や日本書紀に登場する天上に存在したとされる馬とのことだ。

金毘羅宮

二葉姫稲荷社

二葉姫稲荷神社は上賀茂神社境内のすぐ近くにあるが、摂末社ではない。上賀茂神社の摂社 片山御子社(片岡社)の神宮寺の鎮守社だった。神宮寺が移転した後、 鎮守社だけが残された。
神宮寺は現在の上賀茂神社にある渉渓園周辺にあったと云われている。

 

二葉稲荷神社の末社が八島龍神社、金毘羅宮、天之斑駒社、御影龍神、光善稲荷社になる。

 

神宮寺山から上賀茂の風景を見ながら、東側参道を下りる。

北神饌所(庁屋・重要文化財)

寛永5年(1628)に再建された長い建物。かつての神饌調進所、神への供え物を調理していた所で、奈良神社の拝殿を付属させている。神職たちが集まって重要事項を決定する会議場としても使われた。

なら鳥居

山森神社

祭神は,素盞嗚尊,稲田姫命,田心姫命の三柱。
かつては、現在地の北西800メートルの西賀茂山ノ森町で産土神として鎮座していた境外末社であった。

梶田神社

祭神は瀬織津姫神

上賀茂神社を出て、上賀茂伝統的建造物群保存地区を歩いた。

上賀茂は、上賀茂神社を中心に、神官(社司と氏人)と農民によって門前集落が形成され、室町時代から神官の屋敷町として発展してきた。神社の境内から流れ出る明神川に沿って、「豕扠首(いのこさす)」という独特の妻飾りを持つ社家(神官の屋敷)が建ち並び、土橋、土塀、門、前庭の樹木と一体となって、社家町の歴史的景観を今に伝えている。

 

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