近江町市場の起源は、享保6年(1721)、加賀藩の御膳所(台所)として、歴史を刻み始める。元禄3年(1690)の大火をきっかけとして、各地にあった市がこの場所に集められた。近江商人により、作られたことに名前の由来がある。
久しぶりに、近江町市場を訪ねたのだが、以前とは、まったく違う場所になっていた。函館と同じように、すし飯をどんぶりに入れてもらい、各店で、好きな食材をいれてもらうこともできたと思う。名前は忘れたが、寿司の有名店もあり、出張にも関わらず、昼間から、酒を飲んだことを覚えている。
戦災を免れた近江町市場は京都の錦市場のように古くからの趣がある市場として、金沢の台所としてだけではなく、観光資源として、人気を集めていた。アーケードや建物の老朽化はいかんともしがたく、防災にも支障をきたし始めた。再開発事業が市場存続のテーマとなった。2007年、再開発事業が着手された。
地下1階・地上5階建ての再開発ビル(近江町いちば館)が着工され、ビルに面する国道157号・159号の拡幅工事も行われた。広島の世界平和記念聖堂や日生劇場を設計した村野藤吾が設計した北國銀行が、後方に移動され、ビルと一体化され、新しい風景が現出した。
以前の風景が、よかったなんて思うのは、観光客のエゴなんだろうな。
前回、訪問時に地元の方に案内していただいた寿司屋は魚屋の前で通路に面した10席くらいの椅子が並べられたシンプルなカウンターの店だった。このビルは、記憶とは全然、異なる風景なので、僕のポリシーには反するのだが、行列のできている店に並んだ。
ガイドブックなんて見ない僕だけど、内外の観光客が並んでいたので、どこかの金沢本で紹介されている店なんだろう。
それなりに、美味かったが、やはり、行列を裁くことがメインになる店舗には、店主の料理に対する熱量が伝わりにくい。客も落ち着いて、食を楽しめない。
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