山口市街地から、仁保川沿いを徳地に向け、進むと玄答院の案内標識がある。
山号を放光山といい、曹洞宗の寺院です。寺伝によると開創された年月は不明ですが、天正5年(1577)に曹洞宗に改まったとある。寛永7年(1630)この地方の領主であった益田景祥が没したことにより、古くからあった寺を玄答院と改名し、益田景祥の菩提寺とした。
田園風景の中にある寺院はいい。
山門
本堂内
木造阿弥陀如来座像が安置されている。山口県指定の有形文化財だ。ヒノキの一木式寄木造りで、頭体部を通じて前面はほぼ一材で造られている。像高は270cm。いわゆる丈六仏である。平安時代後期12世紀の制作。右手はまげて手の平を前にし第一指、第二指を捻じ、左手は手の平を上にして膝の上におき、第一指、第二指をつける、上品下生の手印である。顔は満月相でやや大きく、肩も張り気味で、上半身が大きく、重量感がある。保存は割とよく、両手先に至るまでその大部分は造像時のものである。この仏像はもとこの地の深野八幡宮の社坊神宮寺にまつられていて、村人は「深野の大仏」と呼んでいたという。江戸時代末に神宮寺が退廃したため、玄答院に安置されたのである。
山門前に八幡宮と刻まれた石灯籠を見た。
仁保川に並行して走る県道は鹿野まで行く。山口市街地から鹿野に至る街道は大内氏時代には重要なインフラだった。
瀬戸内海沿いに発展した毛利氏以降の山口と違う大内氏文化の山口を訪ねる旅をまだまだ続けて行きたい。