広電宮島線山陽女学園前から川沿いに北上すると、佐方八幡神社が見えてくる。
創建年代は不詳なのだが、厳島神社と同じころの創祀と考えられている。
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拝殿
本殿
承久年間(1219~22)頃、桜尾城主藤原親実(厳島神社神主)より藤原氏が代々祭主を勤め、毛利氏からも神田の寄付があったという。福島正則により没収されたが、以後、佐方村及び廿日市東町の住民の氏神として尊崇されてきた。
参道の石燈籠一対は文化五年(1808)堀田仁助の寄進による。仁助は延享四年(1747)廿日市東町、津和野藩船屋敷に生れ長じて幕府の天文方となり、寛政十一年(1799)幕命により蝦夷地(北海道)の測量におもむき、その地図を完成した。有名な伊能忠敬は彼が老齢を以て推挙した弟子である。この燈籠は仁助が江戸より故郷の産土の神に献じたもので、銘文の「天文生」は彼の面目を後世に伝えている。また、「船屋敷 田原小左衛門集善、廿日市 西村屋久米次郎」寄進の狛犬一対、「若連中」寄進の石燈籠がある。
特牛(こっとい)が寄進されている。日本の難読駅名、下関の特牛駅に行ったとき、調べたことがある。特牛をこっといよ読むのは古語で、その後、こってうしと言うようになった、荷物や耕作に使う牡牛のことだ。特牛に出会えたことがうれしかった。
現在では、往時を偲ぶことができないが、この神社から、西側にある洞雲寺にかけては、田園地帯だったことを覚えている。
田畑の中に寺社が点在していた風景も廿日市の風景だったのだ。