総社駅から伯備線沿線を歩くと、門田踏切の左側に旧い住宅が見えてくる。
浅尾藩祖の蒔田広定は、伊勢の津市雲出を本拠とする豊臣恩顧の大名で、関ヶ原合戦では西軍に属した。戦後は高野山に蟄居していたが浅野長政などの尽力により許され備中国賀陽郡で1萬石の外様大名として封ぜられた。
2代目定正は、弟に3,000石分与したため7,700石の寄合旗本となった。
幕末の1863年に江戸市中警備の功により1萬石の譜代大名となり、現在の総社市浅尾に陣屋を築いた。
藩校の集義館跡、陣屋跡が残っている。幕末には長州藩とも戦っている。今回は、ゆっくり、歩けなかったが、再訪したい場所だ。