おかやま散歩2020(その6)〜備中国総社宮 | 大根役者

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総社宮を久しぶりに参拝した。

総社は特定地域内の神社の祭神を集めて祀ったものだ。飛鳥時代から明治時代初期まで続いた日本の地理的区分の基本であった律令国の範囲で集めたもので、祭神の合祀だけではなく、神社の統合の場合もある。古代、国司は各国内の全ての神社を一の宮から、順に巡拝することも仕事だった。大変な時間と労力をかける業務を効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて、祭祀を行うようになった。この社は備中国の総社である。

今回は、JRの東総社駅から歩いたので、国道180号線から境内に入った。

この神社は摂末社の木野山神社で大山祇神を祀っている。この神社の守護神は狼で胡瓜を供える習慣がある。

 

総社宮本殿

本殿裏に古社の風景が見える。

 

本堂裏から回廊に入る。総社宮の参道は回廊で結ばれている。

拝殿

由緒によると、

総社ができる以前、この地に仁徳天皇の皇妃・八田皇女の名代として、八田部(八部)が設けられた。のち御友別(みともわけ)(応神天皇妃の兄)の子孫が当地に移住し国造となり、野俣神社(現 境内社の沼田神社)を建て周辺一帯の総社としたとされる。大化後、当地に備中国総社が創建された。平安時代中期、『延喜式神名帳』には式内社として「備中国賀夜郡(賀陽郡) 野俣神社」の記載があるが、沼田神社はこの論社とされている。

室町時代には戦火に遭って社殿が焼失[正長2年~永享元年(1429)に再建されたとされる。天正年間(1573-1592)に再び焼失、貞享4年(1687)に再建され、彩色二十四孝の絵馬が奉納された。これにより商家の信仰が増し、豪商の西戎屋等により京都の一流画家の描いた絵馬が奉納されるなどして繁栄した。周辺は門前町・宿場町として発展し、のちの総社市の礎を築いた。

明治5年(1872)11月、近代社格制度において県社に列した。

祭神は大名持命(大国主命の別名)須世理姫命(大名持命の奥様)、神祇官斎祠御霊鎮八神、高御産霊神、神産霊神、魂留産霊神

生産霊神、足産霊神、大宮売神、事代主神、御膳神備中国内三百二十四社の神々だ。伊勢神宮系ではなく、出雲大社系の神であることが

古代吉備王国の存在を感じる。

表参道参道入り口

 

庭園は後楽園作庭の際に参考にされた。

摂末社は下記が勧請されている。

 

大神神社、荒神社、清正公神社、和霊神社、琴平神社、沼田神社、笑主(えびす)神社、祇園神社

 

社名が市の名になっている神社だ。総社は各地にあるが、国分寺もあった、この地で、いかに重要な神社で会ったのかが理解できる。

総社を中心に街道が発展していった。