三田尻塩田記念産業公園〜山口県防府市大字浜方 | 大根役者

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防府市街から三田尻三田尻港方面に進み、県道58号線を西に進む。この辺りは江戸時代中期から1960年2月まで、約260年間にわたって、塩の産地として栄えたところだ 。防長二国に減封された毛利氏の藩経済はひっ迫しており、藩外に売れる産業の育成が急務とされた。瀬戸内海沿岸のロケーションを利用して、新田、塩田の開発が行われた。米、塩の生産は和紙の生産とともに防長三白と呼ばれ、藩経済の中心となった。中でも、塩は享保年間、7代藩主毛利重就の時代には赤穂に次ぐ、国内第二の生産地となり、三田尻の塩が北前船によリ、山陰、北陸、東北に運ばれて行った。この地は高度成長期に他の塩田跡地同様、工業地帯になって行くのだが、防府市が竹下内閣のふるさと創生資金1億円の一部を使い、三田尻の地にかっての塩田を復活させた。この使用方法はいい。





かつての入浜式塩田の諸施設が復元され、実際に塩を作っている。




園内には、大正前期に造られた石造りの釜屋煙突(高さ12.5メートル、内径43センチメートル)が現存している。

平成24年に「三田尻塩田旧越中屋釜屋煙突」として登録有形文化財とされた。

園長に案内していただいたが、夏休みになると塩田体験に多くの小学生が訪れるということだ。中には、かって、塩田で栄えた広島の竹原からも小学生が訪れている。竹原でもかっての塩作りがNPO法人により、再現されているが、行政が専売制により、殺された文化を再現しているのがうれしい。