吉備津神社~岡山市北区吉備津 | 大根役者

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日常と街道の旅を続けています。ガスリーのHobo's LullabyとアズナブールのLe cabotin(大根役者)を友に

久しぶりに吉備津神社を訪ねた。祭神は第7代孝霊天皇の皇子の「大吉備津彦命」だ。吉備津彦命は四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人だ。当時、吉備の国は出雲より飛来した温羅(うら)が力により支配し、悪政を布いていた。都まで上り、窮状を訴えた吉備の人の願いを聞き、第10代崇神天皇は吉備津彦命を派遣した。吉備津彦命は今の吉備津神社に本陣を構え、温羅と対峙した。

吉備津彦命は温羅に対して矢を1本ずつ射たが岩に呑み込まれた。そこで命は2本同時に射て温羅の左眼を射抜いた。温羅が雉に化けて逃げたので命は鷹に化けて追った。更に温羅は鯉に身を変えて逃げたので吉備津彦は鵜に変化してついに温羅を捕らえた。

討たれた温羅の首は討たれてなお生気があり、時折目を見開いてはうなり声を上げた。気味悪く思った人々は吉備津彦に相談し、吉備津彦は犬に首を食わせて骨とするが、うなり声静まらず、釜の底へ骨を埋めても地中より温羅のうなり声は響き続けた。ある夜、吉備津彦の夢の中に温羅が現れ、『自らの妻阿曽媛を巫女として釜を用いる神事を行うならば静まり、自ら吉凶を告げよう』と告げた。お告げ通り、神事を執り行ったところうなり声は鎮まり、吉凶を占う存在となった。吉備津彦命はその後もこの地に留まり、吉備国の人々に殖産を教え、仁政を行った。


温羅は出雲から、製鉄技術を伝え、この国を治めた豪族なのだろう。古代出雲王国とつながり、ヤマト王権に対抗する勢力を有していたため、ヤマトにより滅ぼされたということをこの伝承は伝えているのだろう。

吉備津彦命の家来の犬飼健を犬、楽々森彦を猿、留玉臣を雉とし、温羅を鬼として、お伽話「桃太郎」が生まれたとされている。犬飼健は犬養氏の始祖であり、犬養毅首相の祖先であると言われている。


吉備津神社は仁徳天皇が行幸したときに創建されたと伝えられている。当初は三備(備前、備中、備後)の一の宮であったが、三国分割により、備中一の宮となった。分霊が備前、備後の一の宮に祀られている。産業の守り神、長寿の守り神として信仰されている。式内社(名神大社)であり、旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社とされ、特別な権限が与えられている。

足利義満造営とされる比翼入母屋造の本殿は、「吉備津造」と言われ、拝殿とともに国宝指定されている。

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回廊は天正7年(1579)再建され、全長360mにもおよび自然の地形そのままに一直線に建てられている。岡山県指定重要文化財だ。

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北随神門には犬飼健命、楽々森彦命、留玉臣命が祀られている。
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南端の本宮社は吉備津彦命の父母神が祀られており、安産・育児の神様として信仰されている。
おっぱい絵馬が奉納されている。


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回廊の途中に神馬殿がある。

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南門からも本殿への回廊が続く。

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お釜殿では鳴釜神事が行われる。


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摂末社は三社宮 (春日宮、大神宮、八幡宮)岩山宮 、滝祭神社、えびす社、祖霊社、一童社
宇賀神社 (神池の島に鎮座)が祀られている。


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吉備津神社を訪ねてみると、古代吉備王国の壮大さがわかる。吉備津彦はその後、この地を長く支配した吉備氏の祖だ。ヤマトがおそらく渡来人である温羅一族を排除した歴史に今の大陸と日本の関係を思うのだ。排除もしくは同化の歴史を共有の歴史に転化していくことができなかった日本が残念でならない。