一昨日の記事↓を振り返って、



感じることは、実は


不倫女性は、関係ないな


ということです。


これは本当に、自分でも不思議なくらいですが、

いま現在、女性個人に対して感じるものはありません。


夫が「気の合う人がいた」と言ってきたこと

そこに女の勘? がはたらいたこと


それは本当ですし、


不倫女性が夫の癒しになっていること

夫が彼女の見た目や性格を好きなこと


それも事実だと思います。


わたしより若く出産してない体に、嫉妬したこともあります。




ですが、今となっては、

そんなことはどうでもよくて、あるのは


あの時点で気づいてたんなら

なんで夫が不倫に進むのを

食い止められなかったのか


という、自分へのはがゆさ、かなしみの気持ち。




不倫発覚から数年がたち、

最初の打撃からは立ち直っているし


いろんな学びをしてきて、


社会的、倫理的、道徳的には

不倫夫と不倫女性が悪だとしても、


人のしあわせという観点からは

誰が悪いってことでもないと、納得しています。




わたしの正しさと

夫の正しさは基準が違うし、


わたしの喜ぶポイントと

夫の喜ぶポイントは違うし、


ありとあらゆる面で


わたしが大切にしていることと

夫が大切にしていることは、


親や育ってきた環境が違う以上、

同じではありえないっていうこと。


夫が、夫の望むしあわせを求めて


わたしの望まない、

わたしからしたら変な方向へ

走って行ってしまったことは、仕方ない。


そう思っています。





「なんで食い止められなかったの」


それは当時のわたしには、できないことだった。


そこも、納得しています。





それでも、どうしてもモヤモヤする。


それって何なのか、つきつめていくと、


幼少期〜思春期に不遇だった夫を

癒してあげたい。

安心させてあげたい。

しあわせにしてあげたい。


そう決めて結婚した自分への、不完全燃焼感がありました。




アダルトチルドレンを自認しているわたし


自分と同じように寂しそうな夫をみつけて、


(可哀想な)誰かを救いたい。

(わたしがいないとだめな)誰かの役に立ちたい。


そう思って夫を選んだんじゃないの、


ということも、否定はできません。




ですが、


はっきりとは説明できないのですが

わたしは、これまで生きてきた中で


わたしは人を受け入れる存在であり

わたしは人に安心感を与える存在であり

わたしは人の心を和ませて癒す存在である


なんかそういう自信があります。


だから、そんなわたしが夫に、


これからはわたしが、あなたを大事にするね


と約束して結婚しておいて、


夫の望む愛情の形を理解しなかったこと。

違和感に気づいていながら全力を尽くさなかったこと。


そこに、やり残し感があるというか。




前にも書きましたが、執着かもしれません。


でも、それでも、


わたしがわたしらしくあるために。


先送りしている間に

バージョンアップしたこの課題昇天


を、やりとげないと、納得いかない。


結局そこに、たどり着きました