▼先月書いたブログ
 
 今回は最初からガッツリとネタバレありです。基本原作も映画も大筋は一緒ですが、細かい人物設定や伏線の量が半端じゃないので原作を読み進めている最中の方はネタバレに注意してください。
 
▼映画のフライヤーと映画版の特別表紙が被せられた上下巻

 
▼映画版の特別表紙をめくると、従来の表紙が登場しました
 
 あれからポプラ社さんの辻村深月先生の原作上下巻を購入し、ゆっくりペースで読みました。ゆっくりとは言っても、ゆっくり読んだのは上巻だけで、下巻についてはほぼ一日で一気読みでした。映画で言うと終盤の三学期のパート――マサムネ君の「オレたち、助け合えるんじゃないかって」の台詞から始まりそれぞれの決意を胸にそれぞれの一月十日に向かうところからが下巻なので、もうボリュームたっぷりです。
 そうそう、前回のブログで書いた「特製ミラーカード貰えなかった」って言ってたやつ。下巻めくりながら「なんか分厚いの挟まってるな?」って思ったらミラーカード入ってました! なんで上巻には無かったの――って思いがちですが、そもそも貰えないと思ってたので一枚貰えただけでも嬉しかった!

 

▼特製ミラーカード(三種類のうちの一枚かな?)

 
【映画と原作の違い】
 基本の大筋は一緒です。でも原作の方が当たり前だけど情報量が多くて、それぞれのキャラクターの背景もしっかりしていて、だからこそ受ける衝撃が本当に大きかった。
 
 
コーヒー真田美織とそのグループのイジメ(本人たちにその自覚はきっと無い)の描写がキツイ
 勿論映画版でもちゃんと重要なところはおさえてあるんですが、同級生の池田仲太のエピソードとか、トイレの個室に入っているところを覗かれそうになったところとか、じわじわとキツかったです。映画は映像と音声で訴えてくるものがあるので……あの自宅に集団で押し掛けられたあのシーンの圧は本当に大きいのですが、それまでの積み重ねが多ければ多いほどあのシーンの怖さが来るので、原作を読んでからもう一度映画を見るのが一番刺さるんじゃないかと思います。
 真田美織に言われた「ばっかじゃないの、マジ死ね」のトラウマがあったから、序盤にフウカがウレシノに対して言った「ばっかみたい」という言葉がとてもこころにはしんどくて、映画ではそこまで描かなかったけれど最初にこころがフウカに対して苦手意識を持っていたというのも納得でした。
 
コーヒーいかに外の世界に出るのが怖いかって話
 これも映画ではカットされていましたが……フウカの誕生日のエピソード。
 最初から誕生日を知っていて小さな花束を持って来たウレシノ。
 お昼を挟んで、家から可愛い三つのクリップをラッピングして持って来てプレゼントしたアキ。
 何も用意出来なかったことを気にして、後日自分でショッピングモールまで買い物に出掛けようとするこころ。
 
 学校に行かなくなった頃から、お小遣いは手つかずのままだ――という言葉がとてもリアルでした。外に出られないし、食べるものは家にある、友達と買い食いだってしない、なるほど……お金は貯まるばかりだ。
 だけど家から外に出たことで、こころが外の世界の恐怖に足をとられてしまい動けなくなってしまうところが、心臓をグサグサと刺しました。同じ中学の制服、ジャージを着た人物がみんな敵に見える。学年も違うのに、きっと自分のことを知らない生徒なのに、自分の悪口を言ってるんじゃないかって思ってしまう。それほど、こころが受けた傷が大きかったことを思い知りました。ショッピングモールの「カレオ」に行って、可愛いものをフウカに買おうって、そう思ったのに。それが出来なかったことがどれだけ悔しくて悲しくて情けなかったのだろう――そう思うと泣いてしまいそうでした。
 
※ここ余談なんですが、終盤のフウカパートを読むと少し救われます。
 アキが酷評したウレシノの花束だって、フウカはきっと嬉しかったんだなって。こころが、行くつもりだったカレオまで行けなくて、コンビニの棚からもぎ取るようにしてレジに持って行っただろうチョコレート菓子、英字新聞で可愛く包んだつもりだったのに思ったよりみすぼらしく感じて渡すのを躊躇しようとしたコンプレックスだらけのプレゼントも、フウカには嬉しくて仕方がなかったんだろうなって、思いました。
(この時こころが買ったお菓子は14年後のフウカの時代にはもう無かったお菓子なのかもしれない。そもそもピアノに生活の全てを捧げているフウカの家はお菓子なんて買う余裕が無いのかもしれない……フウカパートを読むと本当心が痛い)
 
コーヒーこころ以外の六人のエピソード
【スバル】
 両親に捨てられたも同然で、祖父母の家で暮らしているスバル、そして不良の兄ちゃん。特別な悩みがあるだとか居場所が無いだとか思っているわけじゃないけれど、どこか冷めていて物事を俯瞰的に見つめている。「どうせ、あと十年ちょっとすれば、世界だって終わるかもしれないんだし……」そうでした、ノストラダムスの大予言――これが信じられていた時代にスバルが生きてたんだなって思うと感慨深いです。映画ではほぼ書かれてなかったですね。
 マサムネ君が初めて「プロフェッサー・ナガヒサ」「ナガヒサロクレン」って名前を出して、最後にスバルの名前が昴、プレアデス星団、六連星(むつらぼし)ってからくりが明かされた時に「マサムネ君がこのゲームの開発者友達って言ってたの嘘じゃないじゃん!!」って思ったんですが(タイムパラドックス?…みたいなやつ)そうじゃなくて、マサムネ君の嘘を真(まこと)にしてあげるためにゲームを作る人を目指したんですね。この二人の絆、大好きだなあ。歳の差が随分とあるけれど、お城では本当に良い友達だったよね。
 
【アキ】
 映画でも大事件の引き金を引くのが彼女なので、アキの日常のモヤモヤについては映画でもそこそこ描かれてはいます。でも、あのアキに乱暴しようとしてきたオッサンが母親の再婚相手だとは思わなかった。お葬式に来てた親戚のおじさん――くらいに思ってた。それと23歳の彼氏のアツシ君。テレクラで知り合った――というワードに心がざわつきました。テレクラ……久しぶりに聞きました。昔、繁華街の駅とかに行くとテレクラのティッシュよく配ってたな。正式名称テレフォンクラブでしたっけ? なんかリンリ〇ハウスとかいうお店もあった気がしますw(今の固定電話リンリン鳴らないけどw)テレクラで知り合ったアツシ君、彼は遊びでもアキは本気だったんだろうな。だから学校で居場所が無くて、家の唯一の拠り所だったおばあちゃんが亡くなって、アツシ君とも音信不通になってゲーセンで他の女とくっついて歩いてるの見たら……そりゃ、アキがああしたのもなんだか頷いてしまいました。
 でも映画の時も思ったんだけど、アキの年代ってルーズソックスよりちょっとだけ前な気がするんですよね。wiki見ると最盛期は93年から98年(スーパールーズが96年から98年)ってあるんですよ。で、私の読み逃しでなければ、原作には制服のセーラー服の描写はしっかりされているけど靴下については何も書いていない。いくら東京在住のちょっと派手な子って設定でも、これは映画の美術さんだかキャラのビジュアル設定をちょっとミスったんじゃないかなと思ってしまいます。いや、でもそうは思いたくないな……アキが流行の最先端を行ってたって解釈にしよう、そうします。
 
【リオン】 
 リオンについては映画でも重要な鍵を握っている人物なので、そんなにカットされた印象はありません。でも、実生(お姉ちゃん)の死後、抜け殻になってしまったようなお母さんからのリオンへの態度は見てて辛かった。よくリオンがあんなに真っ直ぐ良い子に育ったなと思いました。
 映画ではエンドロールが「もしも実生お姉ちゃんが生きていたら……」のifの世界がやさしい絵柄で描かれていて、その実生の姿が幻のようにふわっと消えてしまうのがとても切ないんだけど、でもずっと見ててくれたんだろうなって思います。心が主人公のように始まったけれど、エンディングはリオンが主人公みたいなカンジしますね。
 唯一記憶を大事に抱えたまま城の外の世界に戻ったリオンが、こころとこれからどう歩いていくのかとても楽しみです。冒頭のこころの願い――たとえば、夢見る時がある……のくだり、叶ったね!! 良かったね!!
 
 それから、原作を読んで一つだけ回収されなった伏線と言うか、これは完全に読者の想像に委ねるのだろうなと思ったのが、クリスマスにリオンがおおかみ様にだけあげた小さな包み。なんなんだろうな。
「――家にあったから、よかったらもらって」
 そう一言だけ言って黙って渡したリオン、黙って受け取ってその包みを眺めていたおおかみ様、リオンは城の期限が3/30と知った時点で「おおかみ様=姉ちゃん」って思ってたから……お姉ちゃんであれば喜んでくれただろう家族に繋がる何かをあげたのかなと思います。それこそお母さんの手作りのお菓子とかさ。もしくは、ずっと大事に持ってたお姉ちゃんの形見のうちのひとつとかさ。
 
【マサムネ】
 これ原作読んでもマサムネ君の追加エピソード(というか映画で描かれなかった原作エピソード)あんまり無くないですか?????(マサムネ君推しなもので、ちょっと取り乱してしまって申し訳ないんですが)ほぼ映画の通りで、それ以上でもそれ以下でも無かった。お父さんが公立の中学校や教職員を馬鹿にしているようなところがあるから、なんとなくマサムネ君も「自分は特別」「周りの奴らより優れている」みたいにプライドが高く育っちゃったところがあって、でも現実世界では学校の成績とか運動とか(実際のところ分からないけど)別にそう言う点で特別目立てたってわけでもなくて、それで「オレの友達がさ~」「オレ、知り合いなんだぜ~」ってマウントを取り始めてしまったのかな。
 
 映画でカットされてたマサムネ君の台詞として好きなのが……怪我して学校から城に戻ったウレシノとのシーンがとても尊くて好きです。
 
フウカ「でも、城には来たかったってこと?」
ウレシノ「悪い?」
マサムネ「――悪くない」
マサムネ「お疲れ」
 
 ここなんですよ、ここめっちゃ好き!!!
 
 映画でも、黙ってゲームの間に入って来て手持無沙汰にしてそうなウレシノに、最初に「……遊ぶか?」って声を掛けてくれたのマサムネ君なんですよね、ここ改めて二回目の映画で観て涙出そうでした。
 リオンを除いた六人が学校に行けていないのは分かっていた。ゲームで仲良くなって一番多くの時間を一緒に過ごしているって思っていたスバルが突然髪のブリーチをしてピアスも空けて、まるで自分と違う人種になってしまったように感じていたマサムネ君が一番共感していたのは多分ウレシノなんですよね。ウレシノに関しては、学校に行けなくなった理由も、もう一度行ったけどやっぱり上手く行かなかった事情も全部直接聞いて……共感しつつも「オレには出来ねぇ……すげえな」って絶対に口には出さないけど思ってた部分があったのだと思う。そんなウレシノが怪我して満身創痍の状態で、必死にこらえた涙がやっぱり流れてしまったけれど、それを拭ったら泣いているのを認めてしまうことになるからそうせずに我慢していただろう姿に、マサムネ君も思うところが多々あったのだと思います。
 
【フウカ】
 フウカも映画では、学校そっちのけでピアノに熱を入れていて、それでクラスからちょっと浮いている――くらいの描写しかされてませんでしたが、原作を読んで一番心が痛んだのがフウカの話でした。
 母子家庭だったなんて知らなかったし、夏期講習だって言って城を休んでた間……京都のおばあちゃんの家から有名なピアノの先生の集中レッスンに通ってたなんてことも映画では描かれていなかった。何よりしんどかったのが、お家の貧しさの描写。小さなアパートの立派なピアノと防音設備だけの空間。正社員とパートのかけもちのお母さん。ガスが止まる、電気が止まる、水道が止まる、電話しようと思ったら電話も止められて繋がらない。十四歳のフウカは一体どれほどのプレッシャーを背負ってピアノを弾き続けていたのだろう。お母さんがこんなにしてくれているのに、私には他には何も無いのに、ピアノで結果を出さなくてはいけないのに、全てを犠牲にしているのに。映画のフウカは清楚系なワンピースのような私服が多かったので、そんな気配は全く感じませんでした。ピアノのコンクールに出るようなドレスはレンタルだったりするかもしれないけれど、レッスンに通う為の服とかはお洒落なものを買って貰っていたのでしょうか、それとも映画ではお家が貧しい設定は全く考えないようにしたのかな。
 だから最初にウレシノが「ママのクッキー」って配ってた時はきっと複雑だったと思う。私のお母さんはクッキーどころか料理だってしない。そんな時間無い。私の為に毎日必死に働き続けている――って。
 
 前述の「こころから貰ったチョコレート菓子」については、貰ったこと自体嬉しかったし、見たこと無いお菓子を一箱まるまる貰えたのも嬉しかったし、帰っても灯りのついていない家で、ひとりぼっちの家で、こころに貰ったお菓子を食べることでお城での出来事は夢でも幻でもなくて、ちゃんと友達が自分には居るんだよってことを実感したかったんじゃないかなと思いました。
 フウカパートの最後のところが本当に泣けるんです。
 
 ――そのたびに、私、自分が「フウカ」でよかったなって思う。
 
【ウレシノ】
 ウレシノの学校エピソードについては、それがきっかけで「ここにいるみんな、学校行ってないんだよね。行けてない、んだよね」って展開になって、リオンのハワイ在住も分かって――という流れなので、映画でもほぼ全部使われています。ただウレシノが学校で同級生にボコボコにされて怪我して戻って来た時の描写で、さっきも言ったマサムネ君の「お疲れ」って言葉がやっぱり尊くて、それに対して三学期の1/10の一斉登校(ハワイのリオンを除く)があって、一か月の沈黙を経て遅れて城に戻って来たマサムネ君に今度はウレシノが言葉をくれるところがものすごく好きです、泣いちゃうじゃん……こんなの。
 
「マサムネ」
「なんだよ」
「マサムネが、また来て、よかった」
 この時点で真っ直ぐにニコニコするウレシノと、自分に掛けられた言葉が容易には信じられなくて目を大きく開けて赤面するマサムネ君の様子が脳内で簡単に再生されるんですよね。
「もうずっと来ないかと思った。このままお別れだったら嫌だと思ってたから、だから、よかった」
 マサムネ君には素直過ぎるウレシノの言葉と表情が凄く眩しくて動揺もかなりしたと思うけど、でも嬉しかったよね。
「ほら、僕、二学期の最初さ。気まずいなーって思いながら、城に来たら、マサムネが『お疲れ』って言ってくれたことあって、だから、マサムネが次来たら、ちゃんと言おうと思ってたんだ。マサムネ、お疲れ」
 
 もうウレシノめっちゃ良い子じゃん! 彼は素直過ぎて、恋にも素直で惚れっぽくて、ちょっと一般の子よりぽっちゃりしていていじられキャラで、年頃なのにママのこと大好きなのも隠さずに「ママのクッキー、美味しいんだよ」なんて言ったりするから(あれ、これ……クッキーがママの手作りって点は映画オリジナルかな)同級生にからかわれたりしちゃうんだろうな。妙にひねくれてたり斜に構えてたりとかそういうのは全然無くて、でも仲良くなる手段みたいなカンジで友達に奢ってあげる――ということをしてしまったのが始まりだったんだろうな。だからこのお城で、ありのままのウレシノがちゃんとみんなに受け入れられて良かったなと……心から思います。
 フウカに対してもそうなんだよね。ピアノ以外何もない、そのピアノだって上には上がいっぱい居る――ってコンプレックスの塊だったフウカが「ほっといてよ。あんたは、かわいい女の子だけ相手にしてればいいでしょ。なんなの、急に話しかけてきて」って突っぱねるのに「ええっ。僕、フウカちゃんだってかわいい女の子の一人だと思うけど、違うの?」って、なんの下心も策略も無しに素直にそう尋ねるところが……良い子だなあって思って仕方なくて、ウレシノには八歳差なんて気にせずにガンガンフウカにアタックして欲しいと思いました。
 
 
 以下は、原作読了と二回目の映画視聴を経て、どうしても自分で整理したかった七人の時代背景のまとめ(表1、表2)
 
 表2のミカワ青果のトラックについては、ウレシノが「うちの方はそれ、音楽鳴らしてないけど」って言ってたし、トラックじゃなくてワゴンって言ってたの……現代あるあるで「小さな世界の音楽がうるさい、ウザい」ってクレームで音楽鳴らさなくなったのかな――って思ったら、上巻の冒頭に騒音問題って記述がちゃんとあったことにビックリしました。あと2006年時点で三河のおじさんが年だって記述もあったので21年後のウレシノの世界にはもう鬼籍に入られているのだろうな。そして数年の空白を経て、地域の人の声もあって、息子さんが新しくワゴンでミカワ青果の移動販売を再開したのでは――と思っております。
 
 時代を感じるのは学校再編のビフォーアフターもありますね(表1)。私、歳が離れた姉と兄が居ますが、姉が多分スバルとアキの間くらいなんですよね、確かにその頃は小学校も増えていて同級生が新設校に途中から移動していったという話も聞きますし、中学は十組まであったらしいです。アキとオオカミ様の間くらいの私の頃は八組まででした。私が高校大学を卒業した頃には、市内の学区で非常に近くにあった公立高校二校が合併して名前を変えたり――なんてこともよくあったかな。夏の甲子園の地方予選が始まっても知らない名前の学校が沢山あって、それが年々増えて行ったこともあったので、この物語を読んでひしひしと感じました。そういう意味では私の世代(上の兄弟姉妹を通して昭和から平成あたりの時代もなんとなく知ってるくらい)が一番この話、この七人の時代背景を楽しめたのかもしれないですね。
 
表1  
 
表2
 
 この話、こころ世代以降の子たちの誰かが携帯なりスマホなりを持って来ていてそれを城で操ってたら(電波は無かったと思うけれど)もっと違っていたと思うんですよね。アキはきっと「何それ? 新種のベル?」って言ったかもしれないし、ウレシノは「ベルってなーに?」って聞いたかもしれない。ただ、自分の部屋にある鏡が光っただろうから最初に来た時にスマホ持ってたりとかはしなかったかな。それを考えるとそれでもポータブルゲーム機(switch的なやつかな?)を持って来てたマサムネ君本当凄いw
 
  ちょこっと感想残そうって思ったつもりが、ガッツリ書いてExcelで表まで作ってしまいましたw
 
 
▼これはTwitterで視聴後わりとすぐ投下したふせったーです。
 かがみの孤城二回目観てきたんですけど、より描写が細かく伏線も多い原作を読んだ後(まだ最後まで読めてないけど)また映画観るとヤバいです、ガン泣きしました。あと、これは私が告知見逃してただけらしいんだけどエンドロール後に追加された
コンテンツにあまりに感動した!
「大ヒットの感謝をこめて、封切り時に第一弾入場者プレゼントとして配布されたポストカードのイラストを公開します」的な文字が出て、こころちゃん&リオン君のその後とか、こころちゃんに連れられて心の教室に行くリオン君とか、ふうかちゃんのコンサートを客席で聴く嬉野君とか、ナガヒサロクレン(昴君)のサイン会にドキドキして並ぶマサムネ君とか、もう最高すぎました、本編でべちょべちょに泣いたのにエンドロールでまた泣かされたよー。
 コナン以外の映画でこんなにハマって心揺さぶられたのは本当に私としては珍しいし、辻村先生の原作と合わせて本当に本当に大好きな作品となりました。みなみさんが出てなければ行かなかった、みなみさんありがとうございました、みなみさんをマサムネ君にキャスティングしてくれた人も本当ありがとうございました!
 
 ちゃんと私がかがみの孤城の公式Twitterとかインスタとかをチェックしていたら知っていたのだと思いますが、全然知らなかったので凄く嬉しいサプライズになりました! 一回目を観た時に既に特典の配布が終わっていたので全然掠らなかったのですが、こういう形で観られて本当に嬉しかったです。
 後日メモリアルブックとか出たりしないのかなあ? 配布した特典を全部カラーページにして――とかさ。
 メル〇リとかで高額で売られてるのもあるけど、私は公式様にお金を出したいです。
 
 特に好きだと思ったアフターストリーの一枚――はアルコ(カレオの進化後の姿……サティがイオンになったみたいなカンジかなw)のフードコートで全員集合みたいな絵が一番好きです。現在劇場版では最後の一枚として紹介されてるやつですね。
 フードコート(マクドかな?)でバーガーを食べるこころとリオン(推定21歳)、その待ち合わせに遅れて来たらしく手を上げる喜多嶋先生ことアキ(推定37歳)(多分映画と同じくこころとリオンが早めに来ていただけでアキが遅刻したわけではないと思いますが)、ピアノのレッスンの帰りなのか小さな鞄を背負い歩いていくフウカ(推定8歳)、ベビーカーの中に居るウレシノ(推定0歳)、マクドの列に並ぶマサムネ君(推定15歳…多分転校後の私立の制服着用)と歩きスマホだかゲームだかをしているスバル(推定44歳)そして鏡に映り込んでいるオオカミさま(いつまでも元気な姿の6~7歳のまま)このポストカード欲しかったなあ~。
 
 二回目の映画は、一回目よりも泣きました。ずっと泣いてて、エンドロール終わっても涙止まらなくて危うくドア閉められちゃうところでした。
 本当にこの作品に出逢えて良かった、素敵な作品を生み出して下さった辻村先生、素敵な映画に仕上げて下さった監督さん他全てのスタッフさん、「みなみさんが少年役で出てるなら観てみたいな」と思わせてくれた高山みなみさん、封切り時体調を崩していて行き損ねたけれど「やっぱり上映されてるうちに無理にでも観に行きたい」と思わせてくれたTwitterのフォロワさんYさん、色んな人にありがとうございましたと言いたいです。