脳腫瘍の後遺症と2024年からは悪性リンパ腫と闘うマッキーの記録 -12ページ目

脳腫瘍の後遺症と2024年からは悪性リンパ腫と闘うマッキーの記録

40代で余命宣告され、脳腫瘍手術〜リハビリを乗り越えた体験記です。

友人から「グリーンのナス」を頂きました。

紫や白でなくグリーンです。しかも無農薬

畑を借りて、無農薬野菜作りに、挑戦して

いるそうです。虫と暑さと格闘しているので

ちょっと日焼けしていました。

 

    

 

蝶形骨縁髄膜腫の手術から2か月。

頭の傷は、思いのほか大きく、傷跡が

隠れません。カツラを被るか帽子にする

か、その友人に相談したら、

「カツラより、帽子の方がいいよ。」と。

外では、その上から夏帽子を被ることに

しました。

 

 

 

足の傷は、ようやく塞がったので、「感染予防

の薬も要らない」ということでしたので、

やっと湯舟にも入れることになりました。

ただ、縦に入った線のような傷がみみずの

ように腫れてきたので「テープで押さえると

いい。少なくとも12月まで。」と皮膚科の

先生から言われました。

 

みなさんは「オレンジ計画」をご存じですか。

学校では教わらなかった、学習指導要領にも

なかったので、教えてこなかった歴史にぶち

当たりました。

1897年(明治30年)にアメリカの

T.ルーズベルト海軍次官がハワイ併合の

前年に策定した「太平洋征覇のための

19世紀的日本征服計画」で、甥の

F.ルーズベルト大統領が「開戦の口実」を

得て1941年に発動した「対日戦争のため

の戦争計画」です。

(鈴木荘一著 「日本征服を狙ったアメリカの

「オレンジ計画」と大正天皇」より)

 

  

 

白人支配の植民地にならなかった日本に対し

(タイは英と仏の緩衝国として、エチオピアは伝染病にて

非植民地)「日本人を『徹底的に抹殺する悲惨

な結末』を迎えるまで、アメリカは手を緩めず、

断固として戦い、日本を『無条件降伏』に追い

込む」計画でした。

そのために、

・石油供給を絶つ(それまで8割以上米国から輸入)

・通商路を封鎖し、孤立させる

・艦隊を南洋に派遣し、日本艦隊を誘って、

    殲滅させる

・日本本土への空爆を行い、降伏させる

という「日本攻略ルート」を1923年には

計画されていました。その作戦の大義名分を

作りたくて、日本に真珠湾攻撃をさせたと

いうのがアメリカの記録に残っているそう

です。

恐ろしい計画ですね。

初めて知ったときは、ショックでした。

そして実行され、

「焼夷弾と原爆」を使って、日本国土を

焼きつくすことをしたのです。戦後、東京

裁判の証人として戦争犯罪人を訊かれた

石原莞爾」(いしわらかんじ)が、

「トルーマン大統領だ。」と答えたのは有名

です。東京大空襲や、広島・長崎に原爆を

落として無差別大量殺人をしたからだ、と

いうことです。

 

第一次世界大戦終了後の「パリ講和会議」で

1919年日本は「人種差別撤廃」を提案した

が、アメリカは議長職権で却下。「アメリカの

自由・平等・博愛の理想」は「白色人種のみの

限定で、有色人種は対象外」だったそうです。

 

「戦争は再び起こしてはならない。」

といっても、仕掛けられたらどうしたらいいの

でしょう。アメリカの核の傘下に入っている

とはいえ、助けてくれないでしょう。

現実問題として、8月15日に親子で話し

合ってみるのも良いでしょう。

 

戦前の日本は「ABCD(米・英・中・蘭)包囲網

で、孤立していました。アジアの国は植民地

となっていたので、石油を求めて南へ進軍

すると、アメリカ・イギリス・フランス・

オランダを追い払わなければならなかった

のです。私は学生の頃、日本は東南アジアから

西へ進軍していったのはなぜか、疑問でした。)

 

戦後、アジアの国は独立していきました。

日本が目指した「大東亜共栄圏」の趣旨を

理解した国々は、日本を称賛してくれてい

ます。もう大東亜戦争の頃、生きた方々は

いなくなりましたが、言葉が残っています。

 

プラモート・タイの元首相日本のおかげ

で、アジアは独立できた。日本というお母

さんは、母体を壊してまでもアジア諸国と

いう子どもを産んでくれた。今日、アジア

諸国が欧米と対等に話ができるのは誰の

おかげか。それは、自らを殺してまで産んで

くれた日本というお母さんがあったからだ。

我々は、お母さんがお産を決意した12月

8日を、全ての力を出し尽くし、私たちの国を

産み、力尽きた8月15日を忘れない。

 

ネール 初代インド首相日本は我々に謝罪

するようなことはしていない。それゆえインド

はサンフランシスコ講和会議に参加しない。

講和条約にも調印しない。

 

李登輝(りとうき)台湾総統私は22歳まで

「岩里政男」という日本人だった。何ら恥じる

ことは無い。戦死した兄が眠る靖国に行く。

身内なら当然のことじゃないか。現代の

日本の人たちは、日本を愛することができ

ないというかもしれない。日本はそれほどに

戦争中にアジアの国々に悪いことをしたの

だと。しかし、それも私から言わせると歪曲

された歴史観だ。日本が戦後から行ってきた

教育は、あまりにも自虐的だ。そうした考えに

正義感を覚える輩は、ただの無知なだけだ。

日本のみなさん、日本を愛しなさい。胸を

張りなさい。日本は、あなた方現代の日本人

のものだけじゃありません。私たち「元日本

人」のものでもあることを忘れないでください。

 

ほかに、ビルマ・マレーシア・シンガポール・

アメリカ・フランス・中華民国・セイロン・

韓国・インドネシア・ウズベキスタンなど

大東亜戦争の日本に対する各国代表の評価

を聞いていると涙が出ます。こんな声があった

なんて、知りませんでした。学校の先生からも

教科書にも何にも知らされていませんでした。

教科書は、GHQの検閲にかかっていたし、

その後は教科書検定で統一されていました。

知らないはずです。

 

近年、ワクチン問題から情報がたくさん伝わる

ようになったと実感しています。

(私自身がTVや新聞などの情報が不満で、

ネットの情報を吟味するようになったからかも!?)

まだまだ私自身のアンテナが低いこと、時間

が十分とれないこと、私の理解力が乏しい

ことなどで、キャッチできないことがたくさん

あります。

でも、できるだけ歴史の事実を知りたいと

いう欲求は増すばかりです。歴史を知ること

は、未来を切り開くことです。自分の

生き方にも迷いがなくなります。

 

そして、「戦後70年の安倍談話」で安倍

元総理は「いつまでもアジアの国々に頭を

下げることをさせてはいけない。」と、建設的

な明るい未来志向をうたってくれました。

(マスコミの報道が少ないのか、国民に周知されて

いないように思います。左寄りのマスメディアに

とっては、都合が悪いのでしょう。)

日本のリーダーの自信ある発言は、これから

の子どもや孫たちの励みになりますね。

 

明るい未来を願って、

     8月15日を迎えましょうね。

 

私のキャッチしたことを伝えたくて、少し長く

 なりました。最後まで読んでくださり、

      ありがとうございました。

 

  また、気温が上がるようです。

     ご自愛ください。

 

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