江戸時代、板橋宿に至る西巣鴨辺りは、
農村地帯で、畑では「江戸東京野菜」の
滝野川ゴボウなどの根菜類、大根・ニンジン・
ゴボウなどを育てていたそうです。
中山道を行く旅人が、収穫された野菜を
みて感心し、種を分けて貰ったそうで、
そのうち農家の副業として、
種の商売が始まったとのことです。
今もその面影を残しているのが、
榎本留吉商店の「東京種苗株式会社」
の建物や、今も営業している
「日本農林社」や「滝野川種苗店」
なのでしょう。
江戸時代から昭和にかけて、
東京の人々の食生活を支えてきた
江戸東京野菜は、一代交配種F1なる
品種に取って代わり、その品種は、
普及していった反面、種の開発に
時間と資金がかかるので、
企業化したり、廃業したり・・・。
何だか「種子屋街道」の衰退を
思い描けます。
さらに「稲・麦・大豆」という主要作物は、
「主要農作物種子法」で国民の食を
支えていたけれども、これを廃案にして
民間企業も参入できるように
するということです。
私の好きな納豆でも「外国産」や
「遺伝子組み換えでない大豆」
という表示が多くなりました。
「遺伝子組み換え」して、自然のものを
操作してしまう。
AとBのいいところをとってCというものを
作ったとしても、そのCは、自然界には
存在しない人工的なものに他ありません。
自然界が、狂ってしまうのです。
何が起こるか、人類には
想像できないことでしょう。
民間企業は、利益を追求しています。
目先のことにたいしては、切り開いて、
利益を生み出すかもしれませんが、
その先のことには、責任をもつかどうか・・。
しかも、日本の零細農業が、
外国資本の大企業に、種子ごと
飲み込まれていったらと思うと
私たちの「食」も、外国に
支配されることになるのでしょうか。
今でも輸入作物や食品がたくさん
出回っています。
最近見直されている伝統野菜や
有機農法、オーガニック、
無農薬野菜などといった言葉や
商品、レストランなど気になります。
「毎日の食」で健康になる、
当たり前だったことが、
今や特別に選ばないと
手に入らなくなったのでしょうか。
食品のアレルギーや健康被害などが
あると、「食」の変化に
体がついていかない
何かを感じます。
以前の職場に岩手の宮古出身の方が
いました。その方の家は、農家でも
漁師でもありませんでしたが、
サンマが捕れる頃になると
「貰い物のサンマを、今日も明日もと、
毎日食べさせられた。」
とのことです。
「そうやって育ったので、東京に来て、
食材はいろいろあるし、一年中
売られているものもあるので
びっくりした。」
というのです。
自然の中で生きていることを
今一度、見直してみようと
思います。
「生きる」と「生かされている」
を考えながら・・・
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