116. 入院中のお見舞いは、タブー!? | 脳腫瘍の後遺症と2024年からは悪性リンパ腫と闘うマッキーの記録

脳腫瘍の後遺症と2024年からは悪性リンパ腫と闘うマッキーの記録

40代で余命宣告され、脳腫瘍手術〜リハビリを乗り越えた体験記です。

病気の種類と病人の人柄による

と思いますが、私の場合は、

「お見舞いお断り」でした。

 

我が子でさえ、許可しませんでした。

 

脳腫瘍という、予測不能な

手術を受けるのです。

 

自分がどんな姿になるのか、

どこまで復活できるのか、

未知数でした。

 

その代わり、会いたい人には、

手術前に会いました。

心配してくれる人には、

会えるようになったら、

必ず、私から連絡すると

約束しました。

 

闘病中、病室に来ていい人は、

2人、兄と夫でした。

 

外科的な治療は、1ヶ月でした。

その後の後遺症のリハビリに、どの位かかるのか

どこまで治るのか、分かりませんでした。

 

闘病の様子は、ブログの24~44、

リハビリの様子は、45~に綴りました。


 (トトロとキキ)

闘病の目的は、

まずは、生きること、命を守ることでした。

そのためには、大きくなった腫瘍を

取ることが目的でした。

 

でも腫瘍は、脳幹部にあり、

たくさんの神経を巻き込んでいました。

手術前の説明では、リスクとして

5つ、あげられていました。

どんな麻痺や症状がでるのか、

理屈を言葉で聞いていても、

本人には、ピンときませんでした。

 

実際は、説明では得られなかった、

不都合がおき、手術でも薬でも

治るというものでは、無かったのです。

 

時間と、治したいという本人の努力と、

専門の知識をもった方たちの

医療の支えがあって、

何時までに、どこまで治るか分からない

闘病生活でした。

 

病院生活に、退屈している時間は、

ありませんでした。

 

心配してお見舞いにいらした方に

その状況を理解できるように

お見舞いの時間で、説明することは、

不可能です。

 

まして、私は2ヶ月近く、

まともに声が出ませんでした。

声帯が、麻痺していたからです。

これも手術前には、

予想していませんでした。

 

友人の中には、家に電話して、

夫と話した方もいたようです。

 

闘病に専念できたことに感謝です。

 

息子たちにも母にも会えなかったことは、

寂しいことです。でもそれどころではない

自分がいたのです。

 

早く、みんなに会いたい、

早く、退院したい、

早く、普通の生活がしたい、

そして、職場に戻りたい。

 

病気と闘えた私の原動力でした。