2001年4月、21世紀の春、私は、小学校教諭
として、3年生の担任に復職できました。
1999年の冬、頭蓋底の脳腫瘍が見つかり、
2000年2月に手術を受けました。思いもよらぬ
麻痺が出たため、入院は5ヶ月にもおよび、1年間の
病気休業を経て、1月から勤務していました。
担任に戻りたくて、選択した「手術」でした。
いろいろなことが、ありましたが、当時は、
子どもたちの前に戻れた嬉しさで、
毎日が楽しかったことを覚えています。
○歌えなかった「みかんの花咲く丘」
もちろん、以前のようなわけにいかないこともありました。
まず、「給食」。
術前の私は、班毎に子どもたちと話をしながら
一緒に食事をしていました。授業では見せない顔や
話が聞け、子どもたちの様子を観察する絶好の時間でした。
ところが、私には、「嚥下」の麻痺があります。
食べることに神経を集中させないと、上手くいきません。
誤飲してしまうのです。話しながら物を食べるなんて
出来ませんでした。しばらくは、量を少なめにして
教卓で子どもたちを眺めながら、一人で給食を食べていました。
何の授業だったか、子どもの頃に覚えた
「みかんの花咲く丘」を歌うことがありました。
ところが、声帯が半分麻痺している私は、音を上手く
操ることが出来ませんでした。特に音が高くなると、
声も出ません。高くならない、かすれた声が出るばかりです。
自分でも驚きましたが、驚いている私に
驚いている子どもたちを見たとき、思わず
「ごめんね。歌えなくて。」と謝りました。
出来ていたことが出来ない自分と、
その自分を支えてくれている子どもたちに
思わず、目頭が熱くなりました。