62 担任として再スタート | 脳腫瘍の後遺症と2024年からは悪性リンパ腫と闘うマッキーの記録

脳腫瘍の後遺症と2024年からは悪性リンパ腫と闘うマッキーの記録

40代で余命宣告され、脳腫瘍手術〜リハビリを乗り越えた体験記です。

2001年4月、21世紀の春、私は、小学校教諭

として、3年生の担任に復職できました。

 

1999年の冬、頭蓋底の脳腫瘍が見つかり、

2000年2月に手術を受けました。思いもよらぬ

麻痺が出たため、入院は5ヶ月にもおよび、1年間の

病気休業を経て、1月から勤務していました。

 

担任に戻りたくて、選択した「手術」でした。

いろいろなことが、ありましたが、当時は、

子どもたちの前に戻れた嬉しさで、

毎日が楽しかったことを覚えています。

 

○歌えなかった「みかんの花咲く丘」

もちろん、以前のようなわけにいかないこともありました。

 

まず、「給食」。

術前の私は、班毎に子どもたちと話をしながら

一緒に食事をしていました。授業では見せない顔や

話が聞け、子どもたちの様子を観察する絶好の時間でした。

ところが、私には、「嚥下」の麻痺があります。

食べることに神経を集中させないと、上手くいきません。

誤飲してしまうのです。話しながら物を食べるなんて

出来ませんでした。しばらくは、量を少なめにして

教卓で子どもたちを眺めながら、一人で給食を食べていました。

 

何の授業だったか、子どもの頃に覚えた

「みかんの花咲く丘」を歌うことがありました。

ところが、声帯が半分麻痺している私は、音を上手く

操ることが出来ませんでした。特に音が高くなると、

声も出ません。高くならない、かすれた声が出るばかりです。

自分でも驚きましたが、驚いている私に

驚いている子どもたちを見たとき、思わず

「ごめんね。歌えなくて。」と謝りました。

 

出来ていたことが出来ない自分と、

その自分を支えてくれている子どもたちに

思わず、目頭が熱くなりました。