NO.106 利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス | マルティン・ルターのぶろぐ

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はじめまして、マルティン・ルターです。今年の目標として読了30冊を掲げました。
今まで読んだ本も備忘録として残していきます。
主にビジネス書、リベラルアーツ、などです。+で中日ドラゴンズとごはん屋さんも発信していきます。

利己的な遺伝子

 

リチャード・ドーキンス

 

紀伊國屋書店

 

★★★

#読書





 

 

全582ページとてつもなく長い。

サピエンス全史の時と同様難解。

人間を生存機械と呼んでいる

遺伝子の特性は自己複製子

ミーム≒遺伝子

 

『私たちは、子どもたちに利他主義を教え込まなければならない。子どもたちの生物学的本性の一部に、利他主義が組み込まれていることを期待するわけにはいかないからだ。』

第8章の最終部より

まさにこれ。遺伝子的に利他主義が組み込まれることはない。人間が人間たる所以。教育によって後天的に成長する部分。

 

物理学、生物学、遺伝子学、統計学、教育学、社会学などが折り重なった本。今までの自分が考えなかった視点からの提言、例えば、人間が遺伝子の乗り物だという視点はパラダイムの展開となりました。

 

ダーウィニズム

自然淘汰説を中心とするイギリスの博物学者C. ダーウィン(1809-1882)の進化理論を「ダーウィニズム」と呼ぶ。

ダーウィンは生物が多産であること、また同種であっても個体間に変異があることに着目し、より環境に適応した変異を持つ個体が生存競争に勝ち、子孫を残すことができると考えた。また、その変異は子孫に遺伝し、このような自然淘汰が長い間蓄積されることによって、種はより環境に適応した方向へ変化するとした。

自然淘汰及び生物が進化するという思想は当時の社会に衝撃を与えた。イギリスの社会学者H. スペンサー等により、人間社会における最適者生存の理論にも適用されるなど大きな影響を及ぼした。

 

 

30周年記念版に寄せて
第2版のまえがき
初版に寄せられた序文(ロバート・L. トリヴァース)
初版のまえがき

第1章 人はなぜいるのか

 

著者の目的は、利己主義と利他主義の生物学の研究

 

進化は自然淘汰によって進み、自然淘汰は「最適者」の生存に加担する。

 

この本の主張するところは、私たち、およびその他のあらゆる動物は、遺伝子によって創り出された機械にほかならないというものだ。

私がこれから述べるのは、成功した遺伝子の利己主義に期待される特質のうちで最も重要なのは非情な利己主義である、ということだ。

 

私たちの遺伝子は、私たちに利己的であるよう指図するが、私たちは必ずしも一生涯遺伝子に従うよう強制されているわけではない。確かに、利他主義を学ぶ事は、遺伝的に利他主義であるようプログラムをされている場合よりずっと難しいだろう。あらゆる動物の中でただ一つ、人間は文化によって、すなわち学習され、伝承された影響によって支配されている。

 

 


第2章 自己複製子

 

 

あるとき偶然に、とびきりきわだった分子が生じた。それを「自己複製子」と呼ぶことにしよう。 それは必ずしも最も大きな分子でも、最も複雑な分子でもなかっただろうが、自らの複製を作れると いう驚くべき特性を備えていた。これはおよそ起こりそうもない出来事のようだ。たしかにそうだっ た。それはとうてい起こりそうもないことだった。人間の生涯では、こうした起こりそうもないこと は、実際上不可能なこととして扱われる。 

 

 


第3章 不滅のコイル

 

厳密に言うなら、この本には、「利己的なシストロン」でも、「利己的の染色体」でもなく、「いくぶん利己的の染色体の大きな小片とさらに利己的な染色体の小さな小片」という題名をつけるべきだった。しかし、どう見てもこれは魅力的な題名ではない。そこで私はを何代も続く可能性ある染色体の小さな小片と定義して、この本に利己的な遺伝子と言うタイトルをつけたのである。

 

 

 


第4章 遺伝子機械

 

複雑な世界を予言することはリスクを伴う仕事であり、生存機械が下す決定はすべて賭けだ。そして、平均してうまくいく決定を下すように脳をあらかじめプログラムしておくのが、遺伝子の仕事 だ。進化のカジノで使われる通貨は生存である。厳密に言うなら遺伝子の生存なのだが、いろいろな 点から見て、個体の生存をその妥当な近似としてよい。もし、水を飲みに水場に降りていくなら、水 場に近づく獲物を待ち伏せて生計を立てている捕食者に食べられる危険が高くなる。水場に降りて行 かなければ、ついには渇いて死ぬだろう。どちらを取るにせよ危険はあるが、自分の遺伝子が生き残 る機会を長い目で見て最大にするような決定を下す必要がある。おそらく最善の策は、喉が渇ききってがまんできなくなるまで飲みに行くのを遅らせ、それから降りて行って、長時間持ちこたえられる ようにたっぷりと飲むことだ。こうすれば、水場へ行く回数を減らすことができる。だがこの場合に は、最終的に水を飲むときに、長時間頭を下げていなければならない。これに替わる最も良い賭け は、少しずつ飲むことかもしれない。水場のそばを駆け抜けぎわに、大急ぎでガブガブッとやるの だ。賭けの作戦としてどれが最良なのかは、さまざまに複雑な事情によって変わる。たとえば、捕食者の狩猟習性などがそれだが、これは、それぞれの捕食者の立場から最大の効果を上げるように進化している。賭けの見込みについては何らかの評価を下さなければならない。とはいえ、もちろん動物 が意識的に計算すると考える必要はない。なるべく正しい賭けのできるような脳を遺伝子が作ってく れた個体が、その直接の結果としてより多く生き残り、したがってその同じ遺伝子を増やしていくだろうと考えればよい。

 


第5章 攻撃――安定性と利己的機械

 

ともあれ、この本の主要テーマである動物個体間の相互作用のレベルに話を戻さなければならない。攻撃を理解するには、個々の動物を独立した利己的な機械と見なすと都合が良かった。しかしこ のモデルは、関係する個体どうしが、兄弟姉妹、いとこどうし、親子といった近親者の場合にはあて はめられない。なぜなら、近親個体どうしが彼らの遺伝子のかなりの部分を共有しているからだ。それゆえ、個々の利己的な遺伝子の忠誠心は、別々の体に分配されている。これについては次章で説明する。

 


第6章 遺伝子道

 

 


第7章 家族計画

 

本章の結論は以下のとおりである。個々の親動物は家族計画を実行するが、しかしそれは公共の利 益のための自制ではなく、むしろ自己の産子数の最適化のためだ。彼らは、最終的に生き残る自分の 子どもの数を最大化しようと努めるのであり、そのためには産まれる子の数は多過ぎても少な過ぎて もよくない。個体に過剰な数の子を持たせるように仕向ける遺伝子は、遺伝子プールのなかにはとど まれない。その種の遺伝子を体内に持った子どもらは、成体になるまで生き残るのが難しいからだ。 家族のサイズの量的な考察は、以上で締めくくることにしよう。次に取り上げるのは、家族の内部 における利害の衝突の問題だ。自分の子どもをすべて公平に扱うことは、母親にとって常に有利なこ となのだろうか。ひょっとしたら母親は特定の子どもをひいきするかもしれない。家族とは単一の協 力集団として統一されたものなのか。それとも、家族のなかにすら、利己主義やごまかしがあると考 えるべきなのか。同じ家族内の全構成員は、同一の最適値の達成に向けて努力しているのか。それと も彼らのあいだには、何を最適値とするかをめぐって「意見の不一致」があるのだろうか。

 

 


第8章 世代間の争い

 

本章と、そして配偶者間の対立の問題を取り扱う次章は、現に子どもたちに対して、また相手に対 して献身し合っている人間の親たちにとっては、ひどく冷笑的で、それどころか彼らにみじめな感じ を抱かせるようなものと受け取られるかもしれない。そこで、私はもう一度ここで、私が意識的な動 機について語っているのではないことを強調しておく必要がある。私は、利己的な遺伝子の働きによ って、子どもたちが意図的、意識的に親を欺く存在だと主張しているわけではまったくない。もう一度念を押しておくべきことがある。「詐欺や(………)嘘、ペてん、利己的な搾取(………)などを行使す るチャンスを子どもは見逃すべきではない」などという言いかたを私がする場合、「すべき」という 言葉を私がある特殊な意味で使っているという点である。私はその種の行動が道徳的で望ましいもの だなどと主張しているわけではない。私は単に、そのように振る舞う子どものほうが自然淘汰におい ては有利に違いなく、それゆえ、野生の動物を観察した場合、家族の内部には詐欺行為や利己的行為が見られるだろうと言っているにすぎない。「子どもはごまかし行為をすべきだ」という表現の真意 も、子どもに詐欺行為をさせる傾向を持つ遺伝子が、遺伝子プール内で優位を示すことを指している だけだ。私の議論から人間的なモラルを引き出すとすれば、次のようなものとなるだろう。私たちは、子どもたちに利他主義を教え込まなければならない。子どもたちの生物学的本性の一部に、利他主義が組み込まれていることを期待するわけにはいかないからだ。

 

 


第9章 雄と雌の争い

 


第10章 ぼくの背中を掻いておくれ、お返し

に背中を踏みつけてやろう

 

互恵的利他主義:

「ぼくの背中を掻いておくれ、ぼくは君の背中を掻いてあげる」

 

人間には、長期の記憶と、個体識別の能力がよく発達している。したがって、互惠的利他主義は、人間の進化においても重要な役割を果たしたことが予想される。トリヴァースは、他者を騙す能力 や、詐欺を見破る能力、騙し屋だと思われるのを回避する能力などを強化する方向に働いた自然淘汰 が、人間に備わる各種の心理的特性——ねたみ、罪悪感、感謝の念、同情その他――を形成したのだと主張しているほどだ。とくに面白いのは「狡猾な騙し屋」という存在である。彼らは一見きちんと 恩返しをしているように見えるが、実際は、いつも受け取った分よりやや少な目のお返ししかしていない。ヒトの肥大した大脳や、数学的にものを考えることのできる素質は、込み入った詐欺行為を行 なったり、同時に他人の詐欺行為を見破ったりするためのメカニズムとして進化した可能性すら考えられる。このような見かたからすれば、金銭は、遅延性の互恵的利他主義の形式的象徴である。

 

互恵的利他主義の概念を、私たち自身の属する種に適用した際に生じるこの種の魅力的な思弁は果 てしない。面白そうだが、私はこの種の思弁に才能があるわけではないので、この先は読者がご自身 で楽しむに任せることとしたい。

 

 


第11章 ミーム――新たな自己複製子

 

 

 


第12章 気のいい奴が一番になる

 

囚人のジレンマの事例

 

「気のいい奴はビリになる」――このフレーズは野球の世界で始まったもののように思われるのだが、 一部の専門家は、それより先に別の意味で使われていたと主張する。アメリカの生物学者ギャレット・ハーディンはそれを、「社会生物学」ないしは「利己的遺伝子学(selfish genery)」とでも呼べるも のの教えを要約するために用いている。それがいかにぴったりはまっているかは容易にわかる。もし 「気のいい奴」という口語的な意味をそれに対応するダーウィニズム的な言葉に翻訳すれば、気のい い奴とは、自分と同じ種の他のメンバーたちを助け、自らの犠牲において、彼らの遺伝子を次世代に 伝えさせるような個体である。したがって、気のいい奴の数は減る運命にあると思われる。気の良さ は、ダーウィニズム的な死を迎えるのだ。しかし、「ナイス」という口語的な単語には、もうひとつ の専門用語としての解釈がある。この定義は口語における意味からそれほど離れているわけではない が、もしこちらを採用するならば、気のいい奴が一番になることはありうる。このより楽観主義的な結論が、本章でこれから述べようとする話だ。 

 

 


第13章 遺伝子の長い腕

40周年記念版へのあとがき
補注
書評抜粋
 「公共の利益のために」 ピーター・メダワー卿
 「自然が演じる芝居」 ウィリアム・D. ハミルトン
 「遺伝子とミーム」 ジョン・メイナード=スミス

初版への訳者あとがき
第2版への訳者あとがき
30周年記念版への訳者あとがき
40周年記念版への訳者あとがき
訳者補注

参考文献
索引および参考文献への鍵