NO.100 権力に翻弄されないための48の法則 | マルティン・ルターのぶろぐ

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はじめまして、マルティン・ルターです。今年の目標として読了30冊を掲げました。
今まで読んだ本も備忘録として残していきます。
主にビジネス書、リベラルアーツ、などです。+で中日ドラゴンズとごはん屋さんも発信していきます。

権力に翻弄されないための48の法則 上巻




 

 

序章がすべてかなと思います。権力なんていらない。そう思っていました。ですが、平等、公平、正直、率直さ、純真さすべてパワーとは無縁にならない。であるなら、うまくパワーを使いこなせということなのだろう。

 

教訓としてかなり面白いものも多くあり、なかなかいい本だと思います。ただ、体系的に書かれているわけではないので、各章ごとに読む方がいいように思う。中には、うーむと首をかしげたくなる事例もあるが。

 

目次 序

 

ゲームに加わらないと見せかけるもう一つの戦略は、人生のすべての面において平等を求めるというものである。地位や強さにかかわらず、人はみな同等に扱われなくてはならないというわけだ。しかし、パワーにつきまとう汚れに染まるまいとして、全員を平等に、公平に扱えば、あることをうまくやれる人びととやれない人びとがいるという問題に直面する。全員を平等に扱うということは、人それぞれのちがいを無視して、能力のない者を引き上げ、すぐれた者を押し下げるということである。このようなやりかたをする人びとの多くは、やはり一種のパワーの戦略を展開しているのだ。彼らの決めた別の方針に沿って、人びとに報酬を分け与えているのである。  

 

ゲームにかかわらない方法としては、正直と率直さを貫くという手もある。パワーを追い求める人びとの主要な戦略の一つは、ひそかに相手をだますことだからである。しかし、正直を貫けば、必然的に多くの人を傷つけ、侮辱することにもなる。お返しに、こちらが傷つけられることにもなりかねない。いくら正直な意見を述べたところで、それが個人的な動機とは無縁の客観的なものだとは誰も思わない。そして実際、その見方は正しい。正直さを打ちだすのも、やはり一つのパワー戦略なのである。自分が立派で、善意にみち、私心のない人間であると思わせようという目論見が、そこにはある。これは一種の説得だ。目に見えない強制と言ってもよい。  

 

最後にもう一つ。ゲームとは無縁だと主張する人びとは、純真なふりをしている場合がある。パワーを手にしたあとで非難されないようにするためだ。こういう人にも用心しなければいけない。見せかけの純真さは、往々にして有効なだましの手段となりうる(法則21の「だまされやすい人間を装って人をだませ」を見よ)。本当に純真な場合でさえ、パワーの罠と無縁ではない。子供は概して純真だと言えるが、それでも人間の生まれつきの資質として、しばしば周囲を支配しようとする行動にでる。大人たちを相手にして、子供は自分が無力であることを深く実感せざるをえない。そこで、あらゆる手段を使って自分の希望をかなえようとするのである。本当に無邪気な人びとも、やはりパワー・ゲームに加わっていないわけではない。それどころか、彼らは周囲の非難という妨害を受けないから、概して恐ろしいほどのゲーム巧者となる。前の例と同じく、無邪気な顔をした人びとは、無邪気とは最もかけ離れた人びとなのである。  

 

ゲームと無縁なふりをしている人はすぐにわかる。自分が道徳的で、敬虔で、このうえない正義漢であることをひけらかしているからだ。しかし、人は誰しもパワーに飢えているものなのだから、人の行動はほぼ例外なく、パワーを手に入れることを目的にしていると考えていい。ゲームに加わらない人びとは、徳のある雰囲気をただよわせることでパワーの行使が見えないように、周囲の目をごまかしているだけなのだ。そういう人をよくよく観察してみれば、たとえ本人は無自覚であるにせよ、実は間接的に人を操ることに最も長けた人間であったりする。そして彼らは、自分がいつも使っている作戦を暴露されると、大いに憤慨する。  

 

この世界が策謀うずまく巨大な宮廷で、人はそこで生きていくしかないのだとすれば、パワー・ゲームから身を引こうとしても無駄というものだ。そんなことをすれば力がなくなるだけであり、力がなくなればみじめになるだけだ。避けられないことに必死に抵抗してもしかたがない。わめいたり嘆いたり、罪悪感をおぼえたりするかわりに、うまくパワーを駆使できるようになったほうがずっとよい。実際、パワーの扱いに長けていればいるほど、人はよき友人に、よき恋人に、よき夫に、よき妻に、よき人間になれる。完璧な廷臣にならえば(法則24を見よ)、他人を満足させるコツを身につけ、他人に喜びをもたらす人間になれる。人びとはあなたの能力を頼りにし、あなたにそばにいてほしいと望むようになるだろう。本書の48の法則を習得すれば、パワーの扱いが下手なことから生じる苦しみから人びとを救うことができる。彼らは火の性質を知らずに火遊びをしているのと同じなのだ。パワー・ゲームが避けられないのであれば、それを拒んだり下手にかかわるよりも、名手になったほうがいい。  

 

パワー・ゲームに習熟するには、世界を見まわして、情勢の移り変わりを察知することが必要になる。それには時間をかけて訓練をつまなければならない。ゲームの大部分は、自然に覚えられるようなものではない。ある種の基本的な技術が必要なのだ。だが、いったんその技術を習得すれば、パワーの法則をもっと簡単に応用できるようになる。  そうした技術のなかで最も重要なのが、自分の感情を支配できることだ。これはパワーを扱ううえで、基本中の基本である。状況にたいする感情的な反応は、パワーを得るのに最大の障壁となる。感情をあらわにすれば一時的な満足感は得られるかもしれないが、その代償ははるかに大きい。感情は理性を鈍らせる。状況を一点の曇りもなしに見られなければ、状況をコントロールするべく備えることも、状況にふさわしい対応をすることもできない。  

 

感情的な反応のなかでもとりわけ質の悪いのが、怒りである。怒りは、何よりも人の見る目を曇らせる。おまけに、人は怒るとかならず状況をコントロールできなくなり、かえって敵の決意を固めさせてしまう。自分を痛めつけた敵を倒そうとするなら、怒りを見せてはならない。それよりも親しげなふりをして、相手のガードをゆるめさせておくのだ。  愛情や好意によって身を滅ぼすこともある。好意をもっていると、相手がパワー・ゲームをやっているとは思いもよらず、その裏にある利己心が見えなくなるからだ。怒りや愛情を抑えることはできないし、そうした感情をもたずにすむわけにもいかないから、無理に抑えつけることはない。ただし、それを見せるかどうかについては、よくよく注意すべきである。そうした感情によって、自分の計画や戦略にいっさい影響がおよばないようにすることだ。  感情を支配することと関連して大切なのが、過去から距離をおき、客観的に過去と未来を考えられるようになることだ。古代ローマで門や戸口の守護神とされていたヤヌスは、前後に二つの顔をもっていた。それと同じように、いつ降りかかるかわからない危険に対処するには、別の方向を同時に見られるようでなくてはいけない。ぜひとも二つの顔をつくりあげ、一方はつねに未来に向け、もう一方ではつねに過去を見るようにすることだ。  未来に向けた顔のモットーは、「一日たりとも油断するな」ということである。つねに悪い事態を想定していれば、いざ問題が生じても決してあわてずにすむ。計画が首尾よく運ぶことを想像して喜ぶかわりに、予想される計画の変更すべきところと落とし穴をすべて計算しておくのだ。遠くを見れば見るほど、計画はそれだけ複雑になり、パワーもそれだけ強くなる。  

 

ヤヌスのもう一方の顔は、つねに過去を見ている。ただし、それは過去の傷を思い出したり、恨みを抱いたりするためではない。そんなことをすればパワーが衰えるだけである。パワー・ゲームの半分は、自分を侵食して理性を曇らせる過去の出来事をいかにして忘れられるかが占めているのだ。一方の目に後方を見させる真の目的は、つねに自分を教育することにある。過去を見て、自分より先んじた人間に学ぶのだ(本書にでてくる多くの歴史的事例は、この教育に大いに役立つだろう)。

 

 

 

法則1 主人より目立ってはならない

 

 

提言  目上の者には、つねに優越感をもたせ、気分よくさせておけ。目上の者を喜ばせて好印象を与えたいなら、自分の才能をひけらかしてはならない。さもないと、逆効果になる恐れがある。相手は恐怖をおぼえ、わが身の不安を感じてしまうだろう。主人を実際よりもすぐれた人物に見せるよう心がけよ。そうすれば、いずれ自分が最高のパワーを手に入れられる。

 

法則2 友を信じすぎず、敵をうまく使え

法則3 本当の目的は隠しておけ

 

提言  行動の裏にある目的は決して明かさず、相手を不安にしておくことだ。こちらの意図が見えないかぎり、相手は防御するにも策のほどこしようがない。充分に煙幕を張り、相手を見当ちがいな方向に導いておけば、向こうが真の目的に気づいたときには、もはや手遅れになっている。

 

法則4 必要以上に多くを語るな

 

提言  言葉で感銘を与えようとして多くを語れば語るほど、人からは凡庸に見られ、相手を支配しにくくなってしまう。たとえ陳腐なことを話していても、あいまいで、断定的でない、スフィンクスの問答のような話し方をすれば、独創的なことを言っているように聞こえるものだ。パワーのある人間は、ものを言わぬことによって相手を感動させ、威嚇する。逆に、多くを語れば語るほど、愚かなことを口にする確率が高くなる。

 

法則5 名声は大いに頼りになる――生命をかけて名声を守れ

 

法則6 ぜひとも人の注目を集めよ

 

 

法則7 他人を自分のために働かせよ、ただし手柄は決して渡すな

 

提言  他人の知恵や知識や努力を使って、自分の目的を推進せよ。こうした助力を得ることで、貴重な時間とエネルギーが節約できるだけでなく、有能で仕事が速いという神のごときオーラが獲得できる。いずれ助力者の名前は忘れられ、自分の名前だけが世に残る。他人にやらせられることを自分でやるものではない。

 

 

 

法則8 他人に足を運ばせよ――必要ならば餌を使え

 

 

法則9 言葉ではなく行動によって勝て

法則10 感染を避けよ――不幸な人間や不運な人間とはつきあうな

法則11 他人を自分に依存させておくすべを覚えよ

法則12 意図的な正直さや寛大さで敵の武装を解け

法則13 他人に助力を求めるときは相手の利益に訴えよ。情けや感謝の念に頼ってはならない

 

法則14 友を装ってスパイをはたらけ

法則15 敵は完全に叩きつぶせ

法則16 姿を見せないようにして周囲の敬意と称賛を高めよ

法則17 予測不能の雰囲気をかもしだして、相手をつねにおびえさせておけ

法則18 保身のために砦を築くな――孤立は危険である

法則19 相手の性格を見きわめよ――不適当な人物を攻撃するな

法則20 誰にも深く肩入れするな

法則21 だまされやすい人間を装って人をだませ――カモよりも自分を愚かに見せよ

法則22 降伏戦術を使って、弱さを力に変えよ

 

法則23 自分の力を結集せよ

法則24 完璧な廷臣を演じよ

法則25 新しい自分を創造せよ

法則26 自分の手を汚すな SELECTED BIBLIOGRAPHY

 

周囲に敵がいないと、われわれは怠惰になりやすい。敵がそばにいれば、おのずと才覚が研ぎ澄まされ、精神を集中し、警戒するようになる。だから、場合によっては、やみくもに敵を友人や味方に変えるよりも、そのまま敵として使うほうがいいときもある。

 

パワーを手にする秘訣

 

第一に、自分の気持や将来の計画を話したいと思うのは自然なことで、苦労はない。余計な口をきかないよう、明かしていいことと悪いことをつねに考えるのは容易なことではない。第二に、多くの人が、正直にして開けっぴろげでいれば人びとの心をつかめ、自分のよさをわかってもらえると信じている。これはたいへんな勘違いである。正直というのは、実はなまくらな道具で、血を流すばかりで切れ味はお話にならない。正直でいれば人を傷つけると思っていい。自分の正直な気持や考えを残酷に突きつけるより、相手の聞きたがっている言葉を選んでやるほうが、よほど賢明である。そして、何よりも重要なことだが、呑気にかまえて開けっぴろげにしていれば、人に予測されやすい、わかりやすい人間になってしまう。これではとうてい人に敬われないし、恐れられもしない。人に敬われないような人間に、パワーがつくことはないのだ。  パワーを切望するなら、正直はさっさと脇に押しやって、意図を隠す訓練をするがいい。この技術が身につけば、つねに優位に立てるようになる。意図を隠すという技能の根底にあるのは、人間の本質にかかわる、ある単純な事実である。われわれの最初の直感は、つねに外見を信用するということだ。われわれは自分の見聞きしたもの