とても人気のようですが。
1950年頃にお生まれになった方々は、男女を問わず、赤毛のアンのファンが多いのではないでしょうか?
かく言うクジラも、小学生の頃からアンシリーズを愛読しておりました。^^
ドラマの原作を読んでしまったので、今はあまり見ていませんが、修和女学院時代のものは毎日見ていました。^^
原作からも大きく外れておらず、面白かった。♪
オトウとのエピソードは、作り話しのようですが・・・。^^;
キリスト教に信奉したオトウの関係で、学校に行けた話は事実のようです。
あの時代に貧しい農家の娘が、貴族の子女と共に学べたのは、奇跡ですね!
以前にも書きましたが、クジラも女子校出身です。^^ ハハハ
花子の学校の教育の基本でもある、キリスト教の精神のある学校に、中高6年間通いました。^^
新渡戸稲造って、ご存知ですか?
そう、あの5千円札だった人です。^^
学園ホールに掲げられていた、あの方のお顔をお札で拝見した時は、ビックリしたものです。^^
朝礼の学校長訓話で、新渡戸稲造の話を聞いたことがあります。
「あなたたちは、太平洋の橋になりなさい」
とおっしゃりながら、渡航のお見送りに行った先輩たちに、キャラメルを一粒ずつくださったとか・・・。^^ ホントカ!?
金曜日には、讃美歌集会があり、卒業式や、入学式に歌う讃美歌を何回も練習しました。
だから、今でもその時の讃美歌は歌えるの。^^
賛美の歌は歌えないけど・・・。^^; ハハハ
クジラの学校には、大金持ちの方や、貴族のような方はいらっしゃいませんでしたが、みなさんそこそこお嬢でした。
勿論、クジラのような下町の貧乏お嬢もいたわけですが・・・。、^^;
クジラが何をもって人をお嬢と定義するかというと、花子の学校の先生や先輩たちのような、おっとりとして、浮世離れした善悪の価値基準を持っていた人、つまり、性善説で生きているということです。
過度な競争心を持たず、あくせくせず、友達や先生を信じ、正しいことをしようと努力するお嬢たち、そんな生徒たちのいる学校でした。^^
ちなみに、クジラの学校では、不純異性交遊は禁止でした。
こんな言葉、若い皆さんはご存じかしら?ハハハ
ある日、クジラの仲良しの一人、小学校からともにこの学校に進んだ由美ちゃんが、退学になりました。
不純異性交遊の果てに、妊娠したのです。
クジラは、先生に掛け合いました。
そんな生徒こそ、この学校がきちんと教育すべきではないかと。 イヤー ゲンキッダッタ!^^
勿論クジラの抗議など通るはずもなく・・・。
教育って、なんなんだ!
とい憤る若きクジラでした。 ハハハ
何だかJWと被る。^^;
それはさておき、クジラは、アンと稲造の影響で、神や聖書に敬意を持ち、隣人を愛し、社会に貢献したいと思う人間に成長しました。
まぁ 平たく言えばお人よしです。^^;
そんなクジラが長男を出産したころ、JWと出会いました。
なんだかんだあって、長男が3歳になる前に、研究を始めました。
今思えば、聖書を間に司会者と向き合った時、クジラは性善説のもとに司会者や、長老を無条件で尊敬する研究生でした。
学園で親しんだ、聖書の精神を持つ人ばかりがJWでないことには、すぐに気づきましたが、それでも神と聖書に重きを置く人々であると、JWに敬意を持っていました。
個々の人間の不完全さは、JWの問題ではなく、各人の理解力や信仰の問題だと思っていたのです。
ですから、司会者の説明や、信仰が腑に落ちなくても、楽観的に見ていました。
そんなクジラは、90年のバプテスマですが、ウィンドオズ95のころからネットはやっていました。
その時に、レイモンドフランズの記事も読んだことを覚えています。
そんなクジラはJWまっしぐらでしたが、教理を100%信じていたわけではありません。
生き方としてのJW、開拓奉仕は、WTの教えを受け入れた以上選ぶべき道と考えていました。
ですから、長老たちが審理委員会や、物事の決定に聖書の基準を精査してあてはめないないなど、考えてもみませんでした。
クジラは昨年まで30年近く、JWとかかっわていた間の自分の行動を、マイコン、お花畑と言いたくありません。
それは、自己憐憫や責任逃れではなく、教理に信仰を置いていなかったことが理由です。
クジラがJWだったベースには、アンと稲造の聖書的な見解があったからです。
WTの教理に踊らされていたと言うよりは、何とか抵抗しようとしていたからです。
こんなクジラがJWで得た傷は、マイコン一世の親に育てられた二世の皆様の傷とは全く違うものだと思います。
でも、JWが人間不信という影響をもたらしたと言う点では、共通のものがあるのかもしれません。
まぁそんなところがクジラのJWへの道でした。^^
そんな昨日のお弁当。^^
ヘルシオから揚げと野菜たち。