母から聞くまで知らなかったのですが、母方の従弟(多分11歳下)家族が、栃木県で被災していた事が判明。

この従弟とは彼の結婚を機に年賀状のやり取りをしていたのですが、転勤になった時我が家に転居届が来なかったので、栃木にいる事を知らなかったのです。
そのため、被災した事を知るのがこんなに遅くなったわけですが。

家の中はしっちゃかめっちゃか。建物は無事で、家族にも怪我はなし。
でも職場は半壊。
計画停電はあるけれど、ガス・電気・水道はそれなりに使えている。
足りない物は、食品とガソリン。買い占めのため、新しく手に入れる事が困難。
従弟宅には備蓄があり、1週間は大丈夫だと書かれていましたが、既に1週間が経過した今日、どうしているのやら。

奥様の実家が静岡で、先日の地震の際にはかなり揺れた。
でも震源地からは離れているので、被害はなかった。
あれが東南海地震の引き金になるのではないかと心配している。

そんな感じの内容でした。


母からのメールで

母「メールで様子を訊ねてあげて下さい」

とあったのですが、正直何を書けばいいのか悪いのかが分からず、唸っています。
人的被害がなかったので、そこまで深刻に考えなくても良いのかもしれませんが、不安を煽るような事になってはいけませんし。

うーん。
とりあえずもう少し考えてみます。



千葉県の幕張に、高校時代の友人が住んでいます。

地震以後、無事の確認をしようにも電話が繋がりにくく、被害が大きくはないとの報道を信じて、落ち着いてからと思っていました。

気の昼間に何度か電話をかけましたが、電話中のツーツー音だけで繋がらず。
午後9時半に、ようやく自宅に電話が繋がりました。

マンションの周囲は液状化がひどく、特に千葉マリンスタジアムの周囲の被害が大きいようです。
地震当時友人と下のお嬢さんが自宅にいました。
11階という高層階ですので、震度5強の揺れはさらに大きく。

ゆっくりとした横揺れだったため、揺れの大きさの割に恐怖心は少なかったと言っています。
しかし彼女は、阪神淡路大震災当時、私と同じ大阪在住で、被害は小さかったもののあの恐怖を体験しています。
今回の地震に対する恐怖心がなかったとは、とても思えません。
ただ、お嬢さんと一緒だった事が、母親としての彼女を強くしていたのではないかと思います。

テレビが落下。
食器棚の中身が散乱して割れたけれど、誰も怪我をしなかった事は不幸中の幸いだったようです。

上のお嬢さんは外に遊びに出ていたのですが、液状化の瞬間を目の前で見ていたそうです。

上のお嬢さん「怖かったよ」

帰宅して、そう言ったそうです。

タイミングが悪い事に、友人は地震の半日ほど前に足首を捻挫。
医者に行って一息ついたばかりの時に地震が来てしまい、上のお嬢さんを捜しに出るどころか身動きさえまともに出来ない状態。
お嬢さんが帰宅するまで、生きた心地がしなかったと言っていました。

旦那様は電車が動かず、勤務先で一泊。
翌朝動いていた電車で帰って来られたそうです。

ガスは一時止まったものの、電気も水道も問題なく使えているそうです。

友人「いやあ、地震のお陰で、久しぶりの人からいっぱい電話がかかってきたわ」

とのんびりとした口調で笑う友人。
私自身、年賀状とメールで連絡を取っていただけなので、数年ぶりの会話ではありました。
が、それには実は理由がありまして。

私「メールアドレス変えた時に、連絡メールがエラーで戻って来たんやけど」

そして昨日携帯に電話をかけると、知らない男の人に繋がりました。

友人「あれ? 携帯買い換えた時に、全員に連絡したつもりやってんけど」
私「きてへんって」
友人「ごめん、ごめん。N(共通の友人)は去年遊びに来たから、その時に教えといたんやけど」
私「今日連絡がつかへんかったら、Nに聞こうかなと思ってたけど、なあ」

無事だったからこそ、笑い話で済みましたけれども。
連絡はちゃんとしようねと、お互いに思った夜でした。


※3/21追記
友人の自宅マンション、無傷ではなく、柱の一本にひびが入ったらしいです。
幸い? 大規模補修が完了したばかりで足場を組んだままの状態だったので、そのまま補修をして貰う事になったそう。



来週末に予定されていた、オットの勤務先の行事。
創業○○周年の記念パーティーで、社員の家族も招いてのホテルでの食事会でした。

今日帰宅したオットが、ムスメ達にホワイトデーのプレゼントを渡しつつ報告。

オット「食事会、キャンセルになったわ」

食事会を取りやめて、その費用を義援金として被災地に送る事になったのだそうです。

関東以北にも勤務先の顧客はいるわけで、その方達にとって大変な時期にパーティーなど開いていられない。
というのが、経営陣の意見です。
それはとても建設的で良い事だと思います。


被災地までの輸送経路を確保する事が困難になっています。
宅配各社が、被災地方面への荷物の集荷及び出荷を停止しています。
消防や自衛隊の皆さんや、各国から支援に来て下さっている皆さんが活躍している今。
一般のボランティアに出来る事は限られていて、受け入れ体勢を整える事も出来ない地域がたくさんあります。

企業からの支援の申し出も、ごく一部だけを受けて断っている状態だそうです。
そんな中、何が役に立つのかと考えた時、必要な物に変える事が出来るお金が一番ではないかと思います。

義援金詐欺が目的の偽サイトや偽メールなどが出始めています。
義援金の最終窓口は、日本赤十字社 です。
現在まだ受付窓口が設置されていませんが、準備でき次第ホームページ等でお知らせがあります。

一般からの受け入れ窓口は、各テレビ局・新聞社など。
今現在、日赤の名で義援金或いは募金を募っているのは、間違いなく偽物です。
他にも名を騙る不届き者もいますので、真偽を良く見極め、送金したいと思います。


と思っていたら、なんと。
下のムスメが学校から、共同募金の袋を貰ってきました。
袋はたまたま余分があったため使ったようですが、お金の使用目的は義援金です。
早速私の財布から、幾ばくかの小銭を出しました。

本当に小さな事しかできませんが、小さな事が集まって、大きな善意になるのだと思います。




朝からテレビで地震の情報を見て、絶句していました。
あまりにも過酷で凄惨。
こちらはいつも通り穏やかで、被災地の方にとても申し訳なく思いました。


それでも日常は回っているので、こちらはこちらで生活を送っているわけなのですが。


今日はオットの実家に、おひな様を片付けに行って来ました。
主に私とムスメ達。
オットはひな壇を片付ける時と箱を2階に運ぶ時に活躍しましたが、それまではムスメたち(特に下のムスメ)に邪魔者扱いされていました。
確かに邪魔でした(笑)。

7段飾りのお雛様。
虫干しを兼ねて三年ぶりに飾りましたが、出すのが大変なら片付けるのも大変。
次は上のムスメが高校生になったころかなと、オットと苦笑い。
やっぱり、ケース入りのにしておけばよかった……。

片付けが終わった後には、オットの両親が用意してくれた紅茶とロールケーキをいただきました。
3月と4月は誕生日と記念日が目白押しで、ケーキを食べる機会が多いのですが。
またお腹周りに肉が付いたような気がするのですが。
美味しいんだけどなあ。辛いなあ(涙)。


明日はオットの母の喜寿のお祝いです。
またオットの兄家族と顔を合わせるのですが、そのストレスが原因で、上のムスメの顔にはニキビが花盛り。
でも今月はまだ26日にも、オットの勤務先の行事が控えているのです。

がんばれ、ムスメ。


昨日、とても大きな地震がありましたね。

我が家は関西なので、幸いにも震度3で津波の心配もなかったのですが。
それでも高層マンションの最上階なのでかなり揺れ、上のムスメと二人で食卓の下に隠れました。

次々にテレビに映し出される被災地の映像に、出てくる言葉はなく。
M8.8なんて、地震の規模だけでも観測史上初だというのに。

まるでおもちゃかゴミのように流されて行く車や船。
大破する家屋。
得体の知れない巨大な生き物のように、津波が地面を這って全てを飲み込んで行く様。

阪神淡路大震災の、180倍の地震エネルギーだそうです。
あの時にも多くのかけがえのない命が犠牲になったと言うのに。
オットは神戸で、火を噴く建物の下を車で通り抜けていましたけれど。

人為的に起こされた火事で、助かった命までもが犠牲になりました。
それでもあの時は、津波がありませんでした。

自然が引き起こす大きな禍いの前で、人間の力の小ささを実感させられます。
朝になって明るくなれば、きっと甚大な被害が目の前に横たわっている事実を突きつけられるのでしょう。

けれど。どうか。
救助中の二次災害が、起こりませんように。
一人でも多くの方が、助かりますように。
失われる命が、一つでも少なくなりますように。

被害のない地で祈っても、偽善だと言われてしまうかもしれないけれど。
それでも、願ってやまないのです。